第4話 異変は勿論だけれど、何をどう喰ったのかも気になるわ!?

 わたしの正体に気付いたらしい青年が、ただでさえ悪い顔色をさらに悪くして、勢いよく頭を下げた。そのまま前にひっくり返るんじゃないかってくらい勢い良く。


「気になさらないで。お得意様の様だから気になっただけなの。わたしこそ、お忙しいところ突然声を掛けるなんて申し訳ないことを致しました。どうぞ、許して。あと、お仕事を頑張る素敵な方ですけれど、根を詰めすぎずにご自愛なさって・ね?」


 にっこりとお得意様向けの令嬢スマイルを向けると、青年からは「はっぐう゛ぅぅ……」と声にならない音が喉から漏れて、胸を押さえて蹲ってしまった。


「相変わらずだな」


 王子が苦笑するけど、どう云う事なのか……解せぬ。

 程なく青年が顔を上げると、あれだけ苦しそうにしていたのに上げた顔は頬に赤みが差して、さっきよりもずっと血色が良くなっているし。訳が分からないわ。そんな彼にアポロニウス王子が「仕事の手を止めて悪かったな、構わず行ってくれてよいぞ。急ぎの用務の最中だったのだろう?」と声を掛けると、青年は礼儀正しく辞去の礼をとりつつも、何度もこちらを振り返りながら庭園へと駆けて行った。


「さて、これからあの文官がどうなるのか見ものだな」


 アポロニウス王子が黒い笑みを浮かべながら青年の背中を見送っている。お気の毒に、いつの間にかあの青年は『円形庭園の異変』被験者とされてしまったらしい。


「私としては気高き桜の君に不相応な思慕を抱く輩を滅してしまいたいところですが。貴女の利益となる実験台であるなら見逃すとしましょう」

「オルフェ、考え方が物騒だわ。犯罪ダメ絶対よ」


 何もない空間から突然わたしの耳元に顔を寄せて現れた銀髪の美丈夫は、見ずとも分かるオルフェンズだ。ハディスがわたしの隣に付き添って登城している頃からずっと、見え隠れしながら護衛してくれている。


「同じ神器の継承者なのに、わたしやオルフェは大丈夫で、なんでハディは影響受けちゃったのかしら」

「神器の成り立ちの問題もあるでしょう。『火鼠ひねずみかわごろも』は、私の母に恋情を抱いた異界の貴公子の魂核が礎になっていますから、魂が混じり合っている赤いのは影響を受けやすいのでしょう」


 さらりと告げられた答えに、わたしだけじゃなく王子までがぎょっとオルフェンズに顔を向ける。


「ひゃ!!」


 途端に視界いっぱいに飛び込んで来たのは切れ長の冷涼な光を湛えたアイスブルーの瞳。美形のパーツ。近すぎて全体像ではないけれど、それでもダメージは大きい。そうだった、間近に現れていたんだったわね。


「それを言うならオルフェもわたしも神器の継承者よ?けど影響を受けていないわ」

「おや?言いませんでしたか。私は目的のために出来ることは全てやると。力を得るために必要なのは異界の魂核だとはっきりしているのですから、喰えば良いんですよ。私はそうやって『蓬萊の玉の枝』の力を得たので、生粋の継承者とは言えませんから影響が無いのでしょう。桜の君のお力は、もとより貴公子の魂核を礎にした神器では無いのですから影響が無くて当然です」


 喰えばいい――って?


 視界を埋める破壊力抜群の美丈夫の口角が持ち上がり、蠱惑的な赤い舌をちろりと覗かせて、薄い唇をゆっくりと湿らせてゆく。


 何を、どうやって「喰った」のか、知らないほうが良い気がするわ……。


 考えることを放棄したわたしの視線の先では、駆けて行った青年が、ようやく芝生の一角に目当ての人物を見付けたらしく、何かを叫びながら真っ直ぐそちらへ向かって行く。

 呼び掛けられた方は物憂げな様子でゆっくりと青年を一瞥するけれど、それ以上の反応は無く、すぐに微睡みの中へと引き戻されてしまう。これが、ここ1週間の円形庭園の日常風景だ。


「ここからだな」


 隣の王子の声が、どこかワクワクして聞こえるのは気のせいだと思いたい。


 青年が、声を掛けるだけでなく、腕を引いても無反応な先輩文官に困惑した様子を見せたかと思った次の瞬間、何かに気付いたかのようにギクリと両肩を撥ねさせる。そして迷いなく庭園の中央――帝石と女神の御石へと身体を向け、何かを掴もうとするように右腕を真っすぐそちらに向けて、ふらりと一歩踏み出す。が、何かに弾かれた様に全身を強張らせると、進む足を止める。伸ばした手を宙に彷徨わせ、やがて近付くことはあきらめたのかその場に座り込んでしまった。けれど名残惜しそうに、視線は2つの石の元に縫い付けられている。


 どうやらあの青年も『円形庭園の異変』に仲間入りしてしまったらしい。

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