第139話 天女……!

 天から降り堕ちる『月の忌子ムーンドロップ』が尽き、月が本来の玲瓏れいろうたる光を取り戻した。


 女神かぐや姫が月にて引き受けていた積年の黒い魔力。それが凝って地上に顕現してしまった巨大獅子こそ、『月の忌子ムーンドロップ』の最後の一体であり、月を曇らせていた元凶であった。しかし、ついに今代国王デウスエクス・マキナ・フージュの治世において、討伐するに至った。


 これは、フージュ王国を憂いて現代に蘇った帝とかぐや姫の最期の力を振り絞った尽力、そしてつの神器の継承者の協力によって成し遂げられた偉業の結果だった。




 突如として天を覆った巨大な獅子の出現から数日を於いて後、ここフージュ王国の国王デウスエクスによって、その報せは大々的に行われた。


 禍々しい光を静かな夜空に撒き散らす天の川に流されて、かぐや姫の治める月から逃げ出した巨大獅子が、フージュ王国中の人々にその恐ろしい姿を見せ付け、身体の自由を奪って恐怖に陥れた記憶はまだ新しい。国王の宣告を受けた市井の人々は、神話の時代から蘇った帝とかぐや姫の奇跡に感嘆し、6人の神器の継承者の大きく誇張された活躍譚に熱狂した。





「女神の創り賜う道を辿り罷り越す君よ 煌めき瞬く刹那の生を二度踏み出し、眩き桜に紛う光彩で示すは、朱よりも尚強き赫々たる流れ そは昏き深淵より我が手を掴み給う」


 噴水の傍で竪琴を爪弾きながら詠う銀髪の美丈夫に、道行く者達が足を止めて聞き入る。


 今日は国をあげての大きな祝典が行われる晴れの日だ。冬の凛と冷えた空気が、空の青さと陽光の明るさをより引き立てる。

 この広場から臨むことの出来る王城では、あと数刻の後に開催される雪見の宴に引き続き、月の忌子ムーンドロップ撲滅の祝賀会並びに功労者である神器の継承者を讃え披露する式典が行われる。その際、泰平の世のアピールのために企画された王族と継承者を伴うパレードは、王城お膝元の市街も行程に含まれている。


 だから今日は、城下に市民だけでなく沢山の見物客が集まり、その人々を目当てに様々な屋台が並ぶ市が立って常ならぬ賑わいを見せていた。そんな中、パレード行程となっているこの広場に突如として現れたのが、この美貌の吟遊詩人だ。

 街を護る警邏隊もその歌声に惹かれたのか、民衆の人垣に交じって静かに聞き入っている。歌が一区切りついたのを見計らい、感慨深そうに頷きなから聞き入っていた警邏隊の1人が、徐にオルフェンズに声を掛けた。


「お兄さん、良い歌だなぁ!新しい継承者様の事だね。俺たちはその継承者様にお会いしたことがあるんだよ。と言うより救われたって云う方が近いけどね」

「えぇ、何者にも代え難き稀有なる輝きを纏ったお方です。我が桜の君は」


 うっとりとした表情で告げる吟遊詩人の人間離れした美貌に、人垣の女たちは思わず頬を赤らめ、あるいは「ほぅ」と溜息を漏らし、男たちもどこか心持がざわつくのを感じる。


「誰よりもお慕いする、類稀なる光に満ちたお方です」


 吟うのと同じく、夢見心地で言葉を紡ぐ銀髪の男が、不意に瞳にギラリとした光を湛えて、広場の一角へ視線を移す。


「あぁ、やはりここだった」


 吟遊詩人の薄い唇からポツリと漏らされた呟きは、なんの前触れも無いものだ。近くに居た警邏隊の男が、その意味を問おうとした瞬間、広場に大勢の悲鳴が響き渡る。


『ギャギャギャギャギャ――――ス』


 悲鳴に導かれるように、突如として広場一角の石畳が盛り上がり、ガラガラと音を立てて崩れて大穴が開く。そこから甲高い咆哮と共に象ほどの大きさの土竜と螻蛄おけらが合わさった、奇妙な生き物が現れた。誰もが瞬時にそれと悟る異形――獣毛に覆われた体躯に、節榑だった手足が六本くっついた魔物だ。


 逃げ惑う人々に、あっという間に吟遊詩人を取り囲んでいた人垣は崩れ、その場には警邏隊員と、吟遊詩人を残すのみになった。

 祝賀ムードに集まっていた人々が走り回る広場は混乱を極め、守る立場の警邏隊は自由に守備隊形を組むことができず、戸惑いを見せている。


 けれども、吟遊詩人オルフェンズは慌てる素振りもなく余裕の薄い笑みを唇に浮かべ、そっと視線を上空へ向ける。


 と、その僅か後――

 上空から身を踊らせてふわりと舞い降りるドレス姿の少女が軽やかに出現した。


 天女……!


 不特定の者達の心の声が揃う。

 魔物の脅威が肉薄する現状においても、その場に居合わせた人々の視線を奪わずにいられない、神々しい存在。けれどその少女は、人々に信仰に似た思いを抱かせる事はなかった。


「何でこんなところまで入り込んでるの!?しかも地面よ!?ムルキャンの根っこには引っ掛からなかったわけ!?職務怠慢よ?イシケナルとポリンドに言い付けちゃうわよ!」


 天女もかくやという美貌の唇から吐かれた言葉は、その理想を満足させるものではなく……


「報連相のレクチャーからやり直したいワケ?そんなんじゃ確固たる利益を生む仕事はこなせないわよ!」


 むしろ、地に足のついた仕事人間としか思えない。

 呆然と見詰める人々の視線に気付いた、桜色の髪の赤いドレスに身を包んだ少女は、警邏隊に目を止めるとふわりと美しい笑みを浮かべる。


「警邏隊の皆様!市民を守るお勤め、ありがとうございます!頼りになる皆さんなら間違いなくこの場を治められるものと信じていますっ!!」


 警邏隊員たちが向けられた琥珀色の瞳の輝きに目を奪われていると、少女の周りに煌めいた輝きが、華々しく周囲を包み込んだ様に見えた。

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