第134話 『天の羽衣』の継承者
王城のバルコニーへ、青龍が音もなくひらりと舞い降りる。
「おぉ、王子!お帰りが遅いので何か不測の事態があったのではないかと気が気ではありませんでした!」
ハディスの膝から王子がまだ降りきらないうちに、心配と安堵がない交ぜになった表情で、宰相が駆け寄る。
――不測の事態!
ギクリと両肩が跳ねる。思い浮かんだのは目の前で跪いたハディスの姿だ。
「王弟殿下や継承者候補のお方と一緒であれば、滅多なことは無いとは思いますが……」
――王弟!滅多な事!!
続く宰相の言葉に、見上げたハディスの真摯な表情を思い起こせば、頬がかぁっと熱を持つ。
「何事もなかったようで何よりです」
――めちゃくちゃとんでもない事になったんじゃないかしら――――!?
「よくぞお戻りになりました」
ベランダに降り立ったアポロニウス王子が「私は何でもない」と苦笑しつつ、意味深な視線をチラリとこちらに向けてから、国王のもとへと歩いて行く。
――私
青龍の背の上で、今更ながら交わした約束の重大さに慄いていると、目の前に大きな手が差し出される。
「セレ?やっと――」
「お姉さまっ」
満面の笑みを浮かべたハディスの言葉をぶった切って、険しい表情のヘリオスがゆっくりカツカツと踵を鳴らして近付いてくる。どこか険しい表情なのは、わたしのことを心配していたからだろうか。わたしの衣服に破損や汚れも無いし、見た目に異常はないから問題ないはずだ。
ハディスは何故か難しげな表情で「そうか、すぐに第一関門が待ってたな」なんて呟いてるけど、何のことかは分からない。とにかく問題はないアピールに、にっこりと令嬢らしい微笑みを浮かべて弟の接近を待つ。と―――
「何をやって来たんですか!」
開口一番、結構な声量で怒鳴られた。なんで!?と目を見開いていると、怒りの形相だったヘリオスの表情は、つんと顎を逸らして口元に笑みを刻んだ生意気な表情に変わる。天使が何処かに行ってしまってる……
「どうして僕が気付いたか分からない表情ですね?舐めないでください。僕はこの14年間ずぅっとお姉さまを見て来たのですから、異常の有る無いなど、お姉さまの取り繕おうとする様子ですぐに分かるんですよ!?」
弟が怖いです。澄まし笑顔がダメだったなんて。宰相がびっくりした顔でこっち見てるし。王子はひたすら苦笑してるし。
「素直に言うなら今のうちですからね!」
お父様……天使な弟が、今や強面も逆らえない商会長のお母様よりも怖いです。
そんなわけで、魔法陣確認の報告に加えて、わたしの癇癪で青龍が落下したこと、ムルキャン・トレントに捕まってお仕置きしたこと、その時の対応でムルキャンがポリンドに忠誠を誓ったことをかいつまんで話す羽目になった……のだけど。
「セレ?大事なことが抜けてるよ。僕との婚約を承諾してくれたんだよね」
ニッコリ笑顔の圧でこちらの動きを封じ、流れる動作でわたしの左手を掬い上げて薬指に唇を寄せるまで僅か一瞬。
「お・ね・え・さ・ま。ちょっと?」
ヘリオスが、何だかこめかみに青筋を浮かべた不敵な笑顔でわたしを手招きする。どうしよう……こんな遣り取り、コントで見てるわ。
「えーと……」
呼ばれても行くのは怖いし、何よりわたしの左手は、しっかりとハディスに捕らえられたままだ。しかも話していないことは、たった今、ハディスが全部暴露してしまったから、ヘリオスに伝えることはもう残っていない。ヘリオスだって分かってるだろうけど、それでも敢えて呼ばれる理由はただ1つ。『お小言』を言いたいんだろう。
弟の剣幕を想像して、わたしは涙目だ。口付けはとうに済んでいるのに、未だに解放されない左手だけれど、照れる余裕など既にない。
「ハディス様と何かあったって事なんて分かってます!言われなくても分かる自分が悔しいですが、そこではありません。――……なぜ癇癪なんて起こしたのですか?」
ヒヤリと肝が冷えた。
自分の為に他人を巻き込む、身勝手なかぐや姫の魔法に腹が立ったからこその癇癪。けど、それを嚙み砕いて説明すれば、わたしが転生者だと云うことと、もう一つとんでもないことを説明しなきゃいけなくなる。
世界を越えて呼ばれた『わたし』は、地上に堕ちたかぐや姫を滅ぼす宿命を背負っていると云うことを。短歌の解釈が合っているなら、『天の羽衣』の力で異世界から転生し、彼女を元へ戻す役目を持って生まれたのが、わたしだ。この王国風に言うなら天の羽衣の継承者だと云うことになる。
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