第100話 お姉さまの弟としてこのバンブリア家に生まれ落ちた僕にとっての至上の命題だ。 ※ヘリオス視点
『 さ が さ な い で 』
その書き置きのような文面は、確かに見ず知らずの誰のものともつかない筆跡だった。
けれど、火の気のない場所で急に焦げた臭いと共に現れる文字は、お姉さまだけが使える遠隔地からの言葉の伝達魔法のはずだ。
だから、それが全く知らない文字だとしても、お姉さまが無関係な訳はない。
「つまりこれは、お姉さまに巻き込まれた誰かが書いた文字で、逃げ出したくなるような状況が、お姉さまの周りで巻き起こっているということですね」
「ヘリオス坊っちゃま、旦那様と奥様へのご連絡は……」
お姉さまの部屋へと繋がる扉の前で、廊下にしかれたカーペットの焦げ文字を眺めながら、僕と同じように侍女頭のメリーが頭を抱える。お姉さまがどこで何をして居るのか、ハッキリしたことは何一つ分からないけど、こんな超常現象が起こる程度には厄介な出来事に関わっている事は確かなんだ。
「報告は……」
僕と同じくらい強張った表情のメリーが、僕の次に発する言葉に、固唾をのんで集中する。
「しなくて良い」
一瞬緊張が解けた面持ちをするメリーには悪いけれど……僕は続けて口を開く。
「この危険な状況の続く今、お姉さまがなにかを起こしているとしたら、それはきっと只の商会員にはどうすることも出来ないほどの事態になっているに決まっています」
僕はキッと目に力を込めて、覚悟を促すようにメリーに目配せする。察したようにメリーも一瞬息を飲んで、すぐにしっかり者らしい冷静な表情となって大きく頷く。
「報告なんてまどろっこしい真似はしない。すぐに次の手を打っておきましょう、メリー!」
「承知いたしました、お坊ちゃま」
焦げ文字を目にしたときの動揺など、既に微塵も感じさせないほどの落ち着きを取り戻したメリーは、僕と2、3言葉を交わして直ぐに踵を返す。
彼女には屋敷内の異変の隠滅を命じた。
僕は、お姉さまのと一緒に作っていた運動着に着替えに自室に戻る。何が起こるかわからないお姉さまのトラブルだ、準備には念には念を入れないといけない。
――さぁ、時間との勝負だ!お父様、お母様が戻る夜半過ぎまでの残り時間で、僕はこのバンブリア邸をいつも通りの何事もなかった状態にしておかなければならない。
魔物対策における商会の非常事態運営で、商品供給、資材調達、職員の安全、国の防御拠点への品物輸送等々……お2人が今抱えている問題は今までとは比べ物にならないくらい多い。だから、僕は出来るだけ平穏に家族をいつも通りの家へ迎え入れる努力をしなければならない。
平穏無事の穏やかな家。
これがどれだけ難しいミッションか、お姉さまにはきっと理解できないだろう。だってあの人はいつも何か出来ないかと考え、何かをやろうと動いている。なんにもない通常とは真逆の位置にいる人だ。
「穏やかなバンブリア家を創り出すミッションか……ふふ、お姉さまの弟としてこのバンブリア家に生まれ落ちた僕にとっての至上の命題ですね」
ポツリと呟いた僕に、カーペットの始末をしに来ていた執事が、無言で同情の視線を向けてくる。彼は、もう何十年もこの家に遣え、平穏を共に守ってきてくれた同士だ。彼の苦労も知っているし、僕の苦労も分かってくれている。
「何事もなかった体でお姉さまを連れ戻せるよう、行って来ます!」
「御武運を」
戦場への出立を見送るかのように恭しい一礼を返された。
なにも言わなくても彼は分かってくれている。いや、粛々と協力してくれる使用人たちは皆分かってくれている。これから僕が立ち向かう『平穏』をバンブリア家に取り戻すミッションがどれだけ難しいものなのかを。
「お姉さまの部屋の寝具は冷え切っていたから、これから後を追っても追いつけることはまずありません。ならば、日常のバンブリア家を取り戻すために僕がやることは、混乱を乗り越えて戻って来るであろうお姉さまを逸早く確保することです。」
頭の中を整理するために、敢えて声に出して状況確認する。
あの書置きは気になるけど、お姉さまならきっとどんな困難も乗り越えて帰って来る!それにお姉さまには良くも悪くも、自分には到底太刀打ちなど出来ない護衛達が付いている。たとえ離れていても、彼らほどの尋常でない力の持ち主なら何とか出来るんじゃないかと、漠然とした確信が持てる。
――だから僕には、僕にしか出来ないことをやるんだ!魔物との立ち回りから救い出す事じゃなく、混乱から抜け出したお姉さまを日常に戻す事こそが僕の仕事だ。
自室に戻ってデイパックに必要と思われるものを次々に放り込んで行く。
これから王都の周囲をぐるりと巡った壁の東西南北の4箇所に設えられた関所を巡り、出入りする人々の中から、とんでもない出来事に遭遇した人を探し出すつもりだ。お姉さまが引き起こす事件で、しかもあんな書置き文が送られて来る様な状況だ、近くを通った旅人があれば絶対に目に留まったはず……。
「バンブリア家の平穏のために、がんばるんだ!」
努めて明るく声を発した僕は、玄関の扉を開けて進みだしたのだった。
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