第99話 ―――――って、服!
ムルキャン・葦はいい仕事をしてくれた。
あのままハディスの攻撃から立ち直れないまま固まっていたら、今頃は不用意に取り押さえに近付いた近衛騎士達がオルフェンズの反撃に遭って、とんでもない惨事になっていたに違いない。
あの気の抜けた文字のお陰で硬直の解けたわたしは、とにかくオルフェンズの短刀を誤魔化しに誤魔化した。それはもう強引に誤魔化した。「リンゴが食べたいって言ったけど、まだ気が早いわよ~」「散髪は屋敷に戻ってからでいいのよ?たまには気分を変えるって言っても王城で切るのはよくないわ」「鉛筆はまだ削らなくても、さっきの王様のお話をメモすることは出来るわ。その小刀は仕舞っておいてね?」などなど、思いつく限りを並べ立てた。
お陰で、わたしの混乱を見兼ねたハディスが、オルフェンズに風呂を勧めて強引かつ有耶無耶に、その場から連れ出す事に成功したのだった。
よって、今はオルフェンズのお風呂待ちなのである。
客室のお風呂場の扉前で待機なのである。
「って、なんで子猫ちゃんがこんなとこに居るのぉ!?お風呂は銀のあの子ひとりでも入れるんだよね!?」
報告会後、自室へ戻ったはずのポリンドがあっという間に身綺麗になって、わたしたちの居る客室へと戻って来た。居ると思って来ているくせに文句を言うのは解せないけど、確かに普通の貴族令嬢は、護衛のお風呂を扉前で待ち構えるような真似はしない……。けどこれには事情がある!
「お風呂の入り方が問題じゃないんです!主人のわたしが居ないと駄々をこねて暴れた末に逃げ出そうとする可能性大の物騒な人物のお風呂の番を、見ず知らずの方々にお願いするわけにはいきませんから……。さすがに洗うのに手は貸しませんけど、放っておくと絶対に血みどろのまま洗いもしないでお城から出ようとするでしょうし、短剣を見た近衛兵さん達からのあの疑惑の目を見ましたか!?あれは疑ってますよ、絶対!だからほとぼりが冷めるまでちょっと時間を潰す必要があるんです!」
「いや、あれは疑惑なんかじゃなくって、確信だし。それに銀のは間違いなく僕を刺そうとしてたでしょ。近衛兵達があれを本気で冗談だと思ったり、セレの言い訳を信じたりしたなら、僕は彼等の再教育をしなきゃいけないから」
そしてもう一人、オルフェンズを扉前で待つと知ったハディスもわたしの隣で出待ちに加わっている。
と言うか、近衛兵が退いてくれたのは忖度だったのね……まぁそうよね、トップのハディスが言ったから、目を瞑ってくれたのね。
そのハディスだけれど、自ら入浴を提案してくれたにも関わらず、わたしがオルフェンズのお風呂終わりを待ち構えているのが、色々と許容できないらしい。「僕が居るから、セレは戻ったら良いよ」なんて言うけど、そんなことしたらオルフェンズは中途半端な状況でも追い掛けてくるに違いないし、ハディスとオルフェンズが2人きりなんて、折角引き離したのに城中刃傷沙汰再来にしかならない……間違いなく。
オルフェンズの入る浴室の扉の前に継承者と候補が3人も立つ混沌とした状況よ。
「全く、こんな血など、この城に滞在する気分の悪さに比べれば香水の如く甘やかなものでしかないものを……桜の君、ご指示通り血を流して来ましたよ?」
ふわりと漂う石鹸の爽やかな匂いとともに、しっとりと濡れた銀髪を頬や剥き出しの肩にまとわりつかせたオルフェンズが……
―――――って、服!
下はきりっと引き締まった黒のトラウザーズを穿いているけど、上半身は裸のまま、手に白いブラウスを掴んだオルフェンズが音もなく扉を開けてしどけない姿を晒していた。
「「なにやってるの!?ちゃんと服着て!!」」
予期せず、わたしとハディスの声が揃う。
オルフェンズはと言うと、いつも通りの薄い笑みを浮かべて「惑わされてはくれませんか」なんて言いながら、実にゆっくりと上着に袖を通し始める。無駄に容姿が良いだけあって、見てはいけないものを見ている気分になるから勘弁してほしい。
オルフェンズが見目良いのは認めるけれど、着替えが見たいわけじゃないし、なんでそんなセクハラ主人ポジに立たせようとするかね!?と、若干プンスカしながら、遅々として進まないブラウスの前ボタン留め作業を代わりに済ませてしまおうと手を伸ばす。けれどボタンに手が届く前にハディスにその役割を奪われ、最終的には舌打ちしたオルフェンズが自分でさっさと留めてしまった。
ちなみにこの服はハディスが手配してくれていた。そこまで気が回ってなかったから助かったけど、服がなかったらオルフェンズはどうしていたんだろう……と何気なくその顔を伺い見る。すると、視線に気付いたオルフェンズが妖艶に口角を吊り上げた笑みを浮かべる。
――くぅっ!!この反応は……!断言できるわ、オルフェンズは服が無かったら絶対に色気でわたしをからかって来るわね!?
慌てて目を逸らしたわたしは、ハディスのフォローに深く感謝したのだった。
ちらりと見えた浴室は、バスタブや足元が朱に染まって、なんだか惨劇の後みたいになってたわ……。お掃除担当の侍女さん……ごめんなさい!
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