第12話 護衛さん達にしばらくの間セレネを預けるから、頼んだよ。

 教室移動の時、いつもより静かな周囲に物足りなさを感じつつ、その理由が分からないまま今日予定されていた講義を全て終えて、帰り支度を整えたところで、違和感の正体に気付いた。


「オルフェ?ハディス様はどうしたのかしら。」

「赤いのなら、学園へ着いて早いうちにお側を離れていますよ。何も言わずに行くとは薄情な男ですね。」


 薄い笑みを浮かべるオルフェンズの言葉に、首を傾げる。


「それはないわね。だって、ハディス様の魔力の化身のこの子が張り付いてるもの。」

『ぢゅう』


 自分の頭の上に向けて立てた人差し指をくいくい動かせば、微かな返事が伝わってきた。


 ハディスが以前に教えてくれたのは、彼の魔力の化身である緋色のネズミ達の動きは、彼の意識を汲んでのことだけれど、制御出来るものではなくむしろ予想外の事ばかりだと云うことだったわ。けどこの大ネズミはハディスが離れるような時には逆にわたしにくっ付いて来るから、主がいない間の護衛をしてくれているんじゃないかと思うのよね。


「ハディス様の代わりの護衛をしてくれているんでしょ?」


 頭上に問えば、オルフェンズがくつりと喉を鳴らす。


「ただの嫉妬と執着心のあらわれでしょう。」

『ぢぢ!!』

「主に似て目障りな‥‥。」


 なんだかこの遣り取りを聞いてたら、いつもの護衛ズの掛け合いにあまりにそっくりで笑ってしまった。

 やっぱり魔力の化身だけあって、持ち主によく似た性質を持つのかもね、なんて納得したわ。


 ハディスは、その日は夜遅くにバンブリア邸へ戻って来た。戻るなりお父様と2人で書斎に籠って随分長い間話していたけれど、わたしが就寝する時間になってもまだ2人は話続けていた様だったから結局何の話だったのかは分からなかった。話の内容を気にせず休めたのは、頭の上の大ネズミに何と無くハディス様を近くに感じて、側に居なくても不安を感じなかったからかもしれない。


 日の出前の待ち合わせが無ければ起きて待っていたんだけど、残念。





 まだ朝靄の立ち込める頃、王都中心街を囲む障壁に東西南北に設えられた門周辺には、街から出入りする者の姿はまだまばらだ。


 堅牢な石造りだと云うのに、雅なアーチを描く東門には、何人かの年若い者たちが密やかにひとり、またひとりと姿を現していた。


「スバル!衝撃吸収樹脂で作った腕防具アームガードよ、きっと貴女を護ってくれるから身に付けておいて。」

「心配かけるね。けどこれなら、セレネに守られてるって思えて心強いよ。」

「エクリプス様、これは先日の発表用に集めた資料のうち、月の忌子ムーンドロップについて書かれていたものをまとめたものですわ。」

「助かるよ、ニスィアン嬢。じっくり読ませてもらうよ。」

「これは神器から涌き出た水に王都中央神殿で護りの祈りを込めた聖水だ。気休めかもしれんが持って行くと良い。」

「済まないな、マイアロフ殿。ありがたく持たせてもらうよ。」


 思った通り、昨日の大きな内緒話を伝えたい人達には正確に伝わったみたいで、バネッタとギリムが見送りに来ていた。ギリムは1人でふらりと。バネッタは、護衛だけを引き連れてひっそりと。

 公式に月の忌子ムーンドロップが現れた事が発表されない以上、その対策のためのスバルの帰郷はひっそりと行わなければならなかった。学生とはいえ下手に騒ぎ立てれば、その親である貴族達にも異変は知れ渡り、発表をとどめている何処かの権力者からの要らぬ嫌疑や妨害を受けてしまうだろうから。


 旅装のスバルはいつもの制服のスカート姿ではなく、騎士のようにスッキリとした細身のトラウザーズに膝下までの編み上げのブーツ、上衣は腿まで届くミドル丈の厚手のフードコートを纏って腰には帯剣しており、一見しただけでは戦闘冒険者のように見える。


「君たちも気を付けて。本音を言えば君たちも領地も護りたいから身体が2つあると良いんだけど、無いものは仕方無いから貴族の義務を果たしてくるよ。貴族でいさせてくれる領民たちに恩を返したいからね。」

「スバルっ‥‥カッコ良すぎよ!」

「ありがとうセレネ。最大の誉め言葉だ。」

「エクリプス嬢に女神の祝福を。」

「フフッ、数多の魔物を惑わせる効果がつきそうだ。」

「数少ないバンブリア様のご友人である貴女は、間違いなくここへ帰って来なければなりませんのよ?」

「最大限努力する。きっと、あっという間に戻って来るよ。」


 爽やかな笑みを浮かべて、一括りにした長いはしばみ色の髪をさらりと揺らすスバルの立ち姿に、わたしは「ほぅ」とため息を漏らす。

 ‥‥眼福だわ。


「彼女が女性で良かったと心から思うよ。」

「ふなっっ!!」


 突然、その場にいないものと思っていた青年の声が至近距離から響いて、思いもよらない変な声が出た。恥ずかしっ!!そして、ハディス様?まさかのスバルへの焼き餅ですか!?


 驚きと同様で、心臓がバクバク踊り狂うのを必死でなだめながら、声の主の方へ視線を向けると、憮然とした表情のハディスと、いつもの笑みのオルフェンズがひっそりとそこに立っていた。


「護衛を置いて出掛けられると思った?」


 静かな声音と笑顔が怖いってどう云うことだろう‥‥?


 その答えはオルフェンズがすぐに出してくれた。


「狭量で見苦しい嫉妬ですね。」

「はぁ!?嫉妬じゃないしー?僕はセレネが勝手にふらふら出かけて危険だよって言ってるだけだしー。」


 いつも通りの賑やかさが予想もしなかったところで戻って来て、参ったなぁーと思う反面、何だかほっとした気持ちにもなった。

 ギリムとバネッタが呆れたような視線を向ける中、スバルは「じゃあ護衛さん達にしばらくの間セレネを預けるから、頼んだよ。」と、なんだか挑戦的に笑ってエウレアヘと旅立って行ったのだった。

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