第61話 何やら、とても気になる不穏なひそひそ話が耳に入ってくる。

 ハディスとポリンドが公式の場に滅多に出ない。


 恐らく、アポロニウス王子の告げたその一言がポリンド退出のきっかけになったのだろう。


 颯爽と立ち去る美人の後ろ姿を見送っていると、何となく、その背中が苛立たしさとか、面倒だとか、そんな強い気持ちだけじゃなくて‥‥本当に何となくだけど。


「ハディス様たちが参加された、これまでの公式行事の場や、貴族の方々が集まる場で何か‥‥。いえ、なんでもないです。」


 確認しようとして止めた。ポリンドの立ち去る背中が辛そうに見えたとしたら、甥である王子にも話題にされたくない嫌な出来事があったと云うことだろう。それを最近知り合ったばかりのただの学生でしかない、わたしになど知られたくはないだろうし、同情も空々しいだけだろう。


「ん?」


 それでもハディスは、言いかけた言葉の先を促すようにこちらを穏やかな表情で見てくる。


「いえ、良いんです。繊細な話題を、こんな大勢がいる場で簡単に聞いちゃいけないと思い直しました。今はやめます。」


 ハディスの事は知りたいし、助けになれることがあるなら、何としてでも手を差し伸べたいくらいには近しく思っている。けどそれ以上に、訊ねることでハディスが心に負った何らかの傷口を、広げるようなことになるのはもっと嫌だから我慢する。

 開きかけた唇をぐっと引き結んで、大丈夫ですよ・と笑って見せると、ハディスは柔らかく微笑んで、上手く大ネズミを避けた後頭部を、ポンポンと軽く撫でた。


 国王夫妻が登場し、上座に設えられた席へ移動したことにより、それまで思い思いの場所での歓談を行っていた参加者たちは、順に国王夫妻への挨拶を行おうと行列を作り始めた。国王夫妻の傍に現れた宰相により、今回は神器の継承者およびその候補者が先んじて挨拶を行い、後に公爵、侯爵‥‥と、爵位の順に続く旨が指示されているため、護衛ズやわたしは随分早くにその挨拶を終えてしまった。


 全員の挨拶が終わるまで、この訪月の間で歓談し、他貴族との交流を行わなければならない。最後の一人の挨拶が済めば、別室に移動して晩餐をいただく流れだ。今回の招待客は、事前にごく内々の者たちの集まりだと説明されていたけれど、それでも70人近くの貴族とその従者が集まっている。参加者たちはここぞとばかりに、滅多に直答を許されない国王達との会話を長引かせるため、頭をフル回転させているから、そうすぐには、この挨拶行列は終わらないだろう。


「ハディアベス閣下だ。」

「珍しいな。兄君が先に辞去されたのは残念だが、閣下とも是非お話をしておきたい。」

「陛下の弟君たちも美しい方々ですわね。」

「止めておけ、噂を知らないのか?」

「これを期によしみを結ぶ事が出来たら重畳だな。」

「待て、貴公の一族は王弟殿下の悪言を広げていただろう、今さら掌返てのひらがえしか?」

「昔は昔だ。見てみろ、雄々しくなられて。気品に溢れていらっしゃる。」

「殿下達のご判断が悔やまれるよ‥‥。」


 何やら、とても気になる不穏なひそひそ話が耳に入ってくる。


「お姉さま、立ち聞きはお行儀が悪いのではないですか?」


 わたしたちと同じ様に、早々に挨拶行列から解放されたイシケナルと、その従者として同行しているヘリオスが、再びこちらへやって来る。


「どうせまた魔力で聴覚強化していたんでしょう?」

「ヘリオス、魔力が見えないのによく気付くわよね。」

「否定はしないんですね。お姉さまのやりそうなことは、大概分かりますから。――まぁ、お姉さまが気にされる話だとも思いましたからね。」


 若干の呆れを滲ませて、軽く鼻から息を吹き出すヘリオスも、周囲の貴族やその従者達の口さがない噂話が耳に入ったのだろう。


「どれ、まだ全員の挨拶が済むまでは時間がかかりそうだ。久し振りの王城だ、私達はその辺を散策させてもらおうじゃないか。」


 若干の疲れを滲ませたイシケナルが、片手で前髪をかきあげながら歩いてくると、あらわになった鮮やかな紫の瞳を目にした者達の視線が、熱の籠ったものに代わる。今は、魅了の術を使おうとしている魔力の流れは見えないので、無意識に漏れ出る魔力にあてられたのだろう。


「周りが勝手に盛り上がるのは、我々の常だ。それに付き合う必要もない。」

「だそうですよ、ハディス様。わたしも少し部屋から出てみたいです。」


 言いながらハディスの手に引かれた側の自分の手に力を入れてクイクイと引っ張ってみせると、ハディスは軽く目を見開き、それから「ありがとう。」と呟いて微笑んだ。

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