第60話 この美貌に免じて、後の歓談は失礼させてもらうよ。
ヘリオスの足元から、不意に緋色の影が飛び出してきて一目散にわたしに駆け寄り――。
『ちゅう』
次の瞬間には頭上に、よく聞き慣れた声と気配が加わった。
「ふはっ!子猫ちゃん、ソレ何なの!?なぁ、ハディアベス?」
突然こちらを指差してげらげら笑い始めたポリンドに、周囲の人間の殆どは困惑を隠しきれていないようだ。だって、笑う声がこの格好なのに成人男性のソレだし、大多数の人には、何故かわたしの頭の上を定位置に定めている緋色の大ネズミの姿なんて見えていないだろうからね。
「そっか、ヘリオスの所に付いていたから、一緒にこの場所に来たのね。」
見上げても頭上の姿は見える訳もなく。ただ「そうだよ」と伝えるかのように身じろぎする気配が伝わってきただけだ。
「ポセイリンド、折角の傾国の風貌もそれでは台無しだな。」
それまでこの場になかった、笑みを含んだ声音が響いて、久々の大ネズミに気を取られていたわたしは、その段になって初めて新たな人物が現れていることに気付いた。――が、同時に膝から崩れ落ちそうになる。
目に飛び込んできたのは、王冠を頭上に頂き、王族しか用いる事の出来ない『有翼の獅子』の文様と、国王その人を現す『太陽』の文様をふんだんにあしらった豪奢な衣装に身を包んだ黒髪のナイスミドル。そして、その背後には同様の文様を施したドレスを纏った女性と、国王直属の純白の騎士服を纏った護衛騎士たち。
「陛下?私は私らしくあるからこそ美しいのです。他者や世間の大多数の価値基準に合わせてしまった段階で、一欠けらの価値すら無くなってしまい、
「芸術と美を重んじるお前の姿勢は素晴らしいと思っているよ。だが
苦笑する姿にも威厳が漂うこの人こそは、このフージュ王国において最高位の地位にある人で、今回の『月見の宴』の主催者であり、わたしの招待者でもある国王デウスエクス・マキナ・フージュだ。決して頭の上に大ネズミを座らせて対峙して良い相手ではない。
その証拠に、一緒に話していたはずのイシケナル公爵や、大神殿主ミワロマイレそしてアポロニウス王子までもが低頭している。平然と立っているのは、わたしと護衛ズ、そして堂々と無い胸を反らして持論を展開しているポリンドだけだ。
魂が抜けるんじゃないかと思うほどに気が遠くなりかけたけど、取り敢えずちょっとでも不敬を解消しなければいけない。頭を下げ、カーテシーの姿勢をとろうとしたところで――。
『ぢぢっ!ぢぅ。』
頭の上から響く激しい抗議の声。
触れないんだし、重さもないんだから落ちないし、落ちたところで物理的ダメージもないでしょー!?
何で平穏、平凡な道を選ばせてくれないかなぁ!?と、頭上に念を送ってみるけど、そんな能力があるはずもなく。徐々に腰を折ろうとするわたしと、抗議してもぞもぞ動く頭上の緋ネズミとの攻防が続く。
耐えきれなくなったのか、魔力の見えるイシケナルとミワロマイレは肩を小刻みに震わせたり、耳まで真っ赤にして、確実に爆笑を堪えている。
「大丈夫ですよ、そのままで。私には見えておりますから、事情は察します。王弟殿下達が苦労を掛けますね。」
柔らかな声と同じ様に、柔和な笑みを浮かべた王冠を頭上に頂く女性、王妃がこそりと告げる。
「恐れ入ります‥‥。」
助かった―――、と思うと同時に引っ掛かりを覚える。
「王弟殿下?」
ぽつりと唇から零れ落ちた呟きに、ポリンドが再び妖艶に唇の両端を吊り上げ、視線でわたしの側を示す。その視線に促されるように隣に立つハディスを見上げて、確信した。
それぞれが纏う色こそ違うけれど、面差しや、根底から溢れる空気感は間違えようもないだろう。
国王を長男とした3兄弟、「しがない貴族」ではないけれど、その三男坊がハディスであるならば、ポリンドは次男と言ったところか。
その考えがすとんと心の中に落ち着いてすんなり納得したわたしに、アポロニウス王子がひっそりと声を掛けてくる。
「学園に入学してみれば、叔父上達が揃うのだからな。滅多に公式な場には出ない叔父上たちが居ることに、どれだけ驚いたことだと思う?」
「え?それってどう言う――。」
「王子サマ?余計な事は言わないで?」
問い返す言葉を遮るように、どこか苛立たし気な気配を漂わせたポリンドが会話を終了させる。
「叔父上?」
「久々の人混みで疲れたわ。兄さんへの敬意はこれで示せたと思うから、この美貌に免じて、後の歓談は失礼させてもらうよ。」
言うや、ホールから廊下へ出る扉に向かって歩き出してしまった。
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