第59話 天使な弟の仕出かす、大人のイシケナルに口をつぐませる『何か』が気になって仕方がないわ。

 しっとりつややかな藍色の髪を複雑に編み込んで頭頂部に結い上げた妖艶な美人は、フージュの名を頂くにふさわしい気品も併せ持ち、貴族らしい笑みを崩さずに真っ直ぐにこちらへ向かってくる。

 夜会らしく袖の無いベアトップのドレスは、上品な薄い緑色オパールグリーンで、タイトなシルエットでありながら裾で僅かに広がるマーメイドライン。そのスカート部分は正面に膝上までのスリットの入ったフロントベントで、颯爽と歩を進める度に覗く脚は煽情的だ。


 これ以上目立つのはご免なので、是非辞去したいところだけど、こちらへ向かってくるポセイリンドと呼ばれた美人の視線が、何故かここを逃げるのを許さない強固な意志を持って注がれている気がする。


「ハディス様、滅茶苦茶見られているんですけど、お知り合いですか?」


 一度見たら絶対に忘れられそうにない、とんでもない美人だけれど、生憎わたしの記憶にはない。


「ハディアベス?名を明かす事となるこの場に立っただけでも、まあ‥‥お前にしては上出来な方かな?」


 迷い無い足取りで目の前まで来た美人が、ほっそりした腕を持ち上げ‥‥ん?意外にガッチリしてる。ハディスの頬に触れながら、ニィと紅い唇の両端を引き上げる。

 何!?この美人ハディスとどんな関係‥‥ん?ベアトップの胸元には一切の谷間が無いわ!?


「おまっ‥‥また、んな格好でナニやってんだよ!」

「んー?1人でも多くの味方を作るための誘惑?」

「ポリンド講師!?」


 ハディスが心底呆れたような砕けた表情を浮かべる相手だと言うこと、そして声が紛れもなく王立貴族学園の歌劇特別講師ポリンドだ。ハディスにしな垂れかかったポリンドは、何も知らなければお似合いの美男美女が親密すぎる空気を醸し出している様にしか見えない。


「驚きました。女性顔負けですね。」

「美しいものは男も女も関係ないだろ?見てごらんよ、子猫ちゃん。ドレスを纏ったこの姿でも、惑わされる女性は大勢いるんだよ。」


 歌うように告げるポリンド‥‥いや、ポセイリンドに、男女問わず溜息が零れている。彼の素性は入場で告げられているし、なんならこの場の客人たちは彼の性別は承知なのだろう。それにも関わらず、男性でもうっとりとした目を彼に向けている人もいる。‥‥何だろう、この敗北感は。


「ふん、奇をてらった格好が物珍しいだけであろう。そんなもの私の力の前では何の効果も―――。」

「ミーノマロ公爵?僕とお約束致しましたね。無暗に公爵の魔力を使った結果、どうなります?そして僕が公爵に何をすると思います?」

「むっ‥‥。」


 対抗心を見せたイシケナルに対し、すかさずヘリオスが黒い雰囲気を纏って微笑む。すると途端にイシケナルは、くっと唇を引き結び、一瞬視線を彷徨わせたのち黙り込んでしまった。

 き‥‥気になるわ。ヘリオスってばイシケナルに何をしたの!?カヒナシで何をやってるの!?お姉さまは不安よ!


 天使なヘリオスの仕出かす、大人のイシケナルに口をつぐませる『何か』が気になって仕方がないわたしは、この時も入場者の名前が高らかに読み上げられるのを、ただのBGMとして聞き流していた。


「えー?どうしたの?ミーノマロ公爵が対抗してくれないんじゃ、つまらないなぁ。子猫ちゃんもそう思うでしょー?」

「思いません。わたしは静かに過ごしたいだけです。御覧の通りただの学生ですので。」

「やぁ!良かったバンブリア嬢、廊下でなにやら揉めていたと話を聞いていたが、無事会う事が出来て喜ばしい限りだ。」

「ひゃあっ!」


 新たに加わった声に思わず心臓どころか、両肩が跳ねる。

 どうやらさっき入場して来ていたのは、アポロニウス王子だったらしい。キラキラしい笑顔の、迷いない足取りでこちらへ近付いて来る。濃すぎるメンバー集結に、更に入場を告げる声が掻き消される混乱状態だけど、何故か入ってきた人達は続々とに集まって来るみたいだ。

 王子は、上機嫌を隠し切れない軽い足取りで、ポリンドと同じく人垣が割れて出来たまでの道を通ってやって来る。


「アポロニウス王子におかれましては、ご機嫌麗しゅう。」


 学園ではないこの場に合わせて、すかさず淑女の礼のカーテシーをすると、王子は一瞬微かに表情を強張らせ、けれどすぐに人懐っこい笑顔に変えてこちらを見てくる。


「折角友人になれたのだし堅苦しいのは無しだ!」


 周囲の空気がざわりと揺れる。

 え?友人?


 会場中の客人と同様に、わたしもポカーンだ。けれど「違うのか?」と弱々し気に呟きながら、どこかしょんぼりしてあるはずのない耳と尻尾が垂れ下がっている幻覚が見えてくるその姿に既視感がある。


『今よりも少しでも気安く言葉を交わす機会くらいは設けられないかと‥‥ただそう思ったんだ。』

『っだーもーぉ!話すだけですよ?たまに。』


 ―――言った。うん、間違いない。


「こんな場でそれを言い出すなんて、わざとやったなー‥‥。」

「小僧が、桜の君に臆面もなく色目を使うとは‥‥。」


 両隣から圧し殺したような呟きが、わたしにだけ聞こえるような小声で発せられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る