第33話 イシケナルの案に乗ったとは言え、勘弁して欲しいわ。
「助けてやろうか?」
イシケナルの愉し気な声音に、わたしは思わず眉間に深く皴を刻んだ。
「わたしがこれまで散々な目に遭った元凶である公爵様に、借りを作ると思っておいでですか?自分で切り抜けて見せますからお構い無く。」
とは言ったものの、切り抜けるための良い案なんて無い。いくら記憶の中にある格闘技やアクションスターの動きを再現したところで、本当に鍛えている人には敵わないと思う。前回この屋敷へ潜入した時にオルフェンズの悪戯で、変装したハディスと戦う羽目になった訳だけど、防戦一方だったものね。うむむ、と考え込んでいると、イシケナルが更に調子付いて身を乗り出してくる。
「どうした?意地など張らぬ方が身の為なのではないか?」
全く、静かにしていてほしいわ。わたしの頭は今フル回転中なんだから。そうね――もし武器持ちの衛兵に掛かってこられたら、正面の場合は避けて、横の場合は叩き落として、背後は身体を落として足払いをかけて‥‥。怪我はさせずに。逃げても意味がないから出来るだけ穏便にこちらの話を聞いていただける様に衛兵を無力化しないといけないなんて、なんて難しいの!
「セレネ嬢?握り拳を振り回しながらぶつぶつ言うのはちょっと怖いかなー?」
「桜の君、御身の魔力が溢れ出しそうですよ。この様に無粋な男に
「お姉さま?脳内イメージの相手との闘いが、現実にはみ出て来ていますよ。」
護衛ズとヘリオスの声に、脳内シミュレーションから急に現実に引き戻されて、一瞬現実が理解出来ずにきょとんとしていると、苦々しい表情のイシケナルの紫の瞳と視線が合った。
「小娘?よもや衛兵――私の領民を蹂躙しようと算段しているのではないだろうな?」
「そんな訳ないじゃないですか!わたし武術の心得もないただの商会令嬢ですよ?蹂躙なんて出来るわけないじゃないですか。拘束や無力化なら方法はありそうですけど。」
「なっ‥‥!」
「お姉さまなら、本当にやりかねないと僕は思います。公爵様?」
澄まし顔で告げるヘリオスに、イシケナルが信じられないモノを見るような視線をわたしに向けて、口をはくはくと開け閉めする。
「そもそも、ただのご令嬢なら拘束とか無力化なんて物騒な言葉は使わないからねー!?」
「それでこそ、私が何物にも代え難い煌きを感じるお方です。桜の君に投げられたあの衝撃は今でも忘れられません。」
「以前にも申し上げたではないですか、お姉さまは僕以上だと。お姉さまは未だ、僕にとっての乗り越えられない高い壁です。」
ヘリオスの言葉がとどめになったのか、その言葉を聞いたイシケナルはガックリと肩を落とす。
「分かった‥‥何もするな。私が協力しよう。」
大きな溜息交じりに告げられた言葉は、弱々しいながらも不承不承といった感じだった。気が進まないのはお互い様みたいだけど、借りにならずに厄介事を避けられるなら喜んで?
わたしたちが部屋を取っている宿屋に近付くにつれ、腰に長剣や、長い刺股を持った物々しい衛兵の姿が増えて行く。既に拘束されている、喧嘩していた冒険者を捕らえに来ているにしては大掛かりすぎるその様子に、乾いた笑いが込み上げる。
どうやら本当に
その宿屋の正面まで領主ミーノマロ公爵家の家紋入りの馬車で乗り付けると、付近に散らばっていた衛兵達が集まって来た。魅了の公爵の求心力もさることながら、その特別製の馬車も、貴族が乗るものというには、堅牢度に重きを置いた装甲車じみた雰囲気で、更に窓に取り付けられた鉄格子がその無骨さを強調する非常に目立つ仕様なのだ。きっと、遠目からでも誰が乗って来たのか分かったのだろう。
夜闇の中、衛兵達が手にしたカンテラの頼りない灯りに、緊張と興奮を隠しきれない衛兵達の表情が浮かび上がる。
ガタン・ギィィ
おおよそ馬車の扉が開いたものとは思えない重い音を響かせ、その馬車内から颯爽と降り立ったイシケナルに、周囲から溜息と歓声が上がる。けれど、その公爵が馬車内へ手を差し出してエスコートの構えを取れば、たちまち周囲には訝し気な騒めきと、嫌悪の表情が広がる。
わたしは素知らぬ振りで差し出されたイシケナルの手に、自らの手を重ねて馬車から勿体付けるようにゆったりと足を踏み出す。
いや、敢えてゆっくりしている訳ではない。迂闊に足を踏み出すと、領主邸で着替えさせられたドレスを汚したり、破損させたりしてしまいそうなのだ。薄く、軽やかな生地が幾重にも重なる柔らかな八重桜の花弁を彷彿させるような長い裾は踏めば簡単に破けてしまいそうなくらい繊細な生地だし、しかも、光の加減によっては微かに桃色や紅色がかって見える光沢あるオパール色。ちょっとでも迂闊に何処かに寄りかかりでもしようものなら、間違いなく汚れが付いて目立ちそうだ。
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