第9話 坊やだからですよ。

 学生らしく規定の制服を崩さずきっちりと着こなした姿で、ノートとペンを手に、王都中央神殿を訪れたわたしは、どこからどう見ても真面目で真っ当な王立貴族学園の生徒であるはずだ。

 護衛を2人連れているのは、街歩きをしている貴族のご令嬢ならば多すぎることもないだろう。

 ―――なのに。


「どのつら下げて私の前に現れたんだい、破廉恥娘。」


 女神の神話にまつわる情景のレリーフが施された見上げるほどの大扉。ここにはきっと学園とは違う建国期に関する資料があるはずだと期待いっぱいに手を伸ばした途端、内から開け放たれたその扉の向こうには、不機嫌を絵に描いたような大神殿主だいしんでんぬしミワロマイレ・アッキーノの花のかんばせがあった。


「え?は?なんで大神殿主が出迎えてるの!?まさかまだサボって‥‥うぷ!」

「お出迎え、痛み入ります。」


 とんでもない俊敏さを発揮してわたしの眼の前に割り込んだハディスの背中に顔をぶつけた。若干の恨みがましさを含んだ涙目でにらむわたしにはお構いなしに、ハディスは礼儀正しくミワロマイレへ挨拶をする。


「今、またサボってなどと言わなかったかい?」

「言てません。」

「言ってないよねー。」


 ただの学生が調べ物をしたくて来ただけなのに、神職の中でも一番身分の高い大神殿主自らが出迎えてくるなんておかしいでしょ!?ギリムにSOSまで出しておいて、サボっているとしか思えないんだけど。


「小娘、相変わらずのようだな。」


 今日のミワロマイレの出で立ちは、古代ローマの一枚布の衣服トーガの様な、純白のたっぷりとした布が創り出す流麗な造作が体の線に沿って足元に流れ落ちる衣服を纏い、無造作に垂らした肩甲骨までの鮮やかな黄髪がしどけない危うさを孕んだ美しさを作り出している。


 つまり、性格なかみさえ知らなければなかなかの美丈夫と云うことだ。残念ながら既にムルキャンの一件で最悪に近い形での邂逅を果たしているわたしたちだから、再会した途端にうんざりした様な気持ちになるのはお互い様だろう。


「とてもお忙しいはずの大神殿主自らが、わざわざ出てきて一学生のガイド役を買ってくださるなんて思ってもみませんでしたわ。」

「ふん。お前のような騒ぎを起こす者に、神聖なこの場を自由に歩き回らせるのは危険極まりないからな。神殿司ギリムから聞いているぞ。調べたいのだろ?私を頼ってみてはどうだい?」


 うぬぅ‥‥、自分のテリトリーだけあって強気に出て来るわね。しかもやけに厭味ったらしく絡んで来るし。本当なら、女神を祀る場所の最高責任者だから最も頼りになるはずなのに、こんな風に絡んでくるような相手に恩着せがましくされるのも嫌だわ。


「御心配には及びません。わたしは通説には囚われない真実を探求したいので、調査の許可さえ頂ければ結構です。何か心配でしたら、部下の方に見張っていただいて結構です。」


 きっぱり言い切ると、ハディスが意外なことを聞いたかのような驚きの表情を浮かべて振り返った。けど一体何に驚いているんだろう?


「セレネ嬢は――大神殿主ミワロマイレに会いたかったんじゃないのか‥‥?」


 ハディスの口から思わずと云う様な、微かな呟きが漏れる。

 嫌ですよ、こんな腑抜けた気位ばかり高い大ボスに何度も会いたいわけないじゃないですか!とは、さすがにウッカリのわたしでも、口に出してはいけないと云うことは分かる。ぐ・と唇に力を入れて引き結んだ結果、口元がモニョモニョして眉間に皺が寄った。


「この小娘、口に出さなければ問題ないと思っているんじゃないだろうな?」

「ふ‥‥口に出さないだけかなり自重していると思いますよー。この娘なら、これでも上出来な方かなー。」


 笑顔のまま怒気を発する器用なミワロマイレに対し、ハディスは何だか上機嫌だ。話しながらわたしの頭をポンポン撫でてくる。護衛だよね?って問い質したい態度だけど、何だか凄く嬉しそうなので今回は見のがそう。――と思っていたら。


「ふふっ‥‥本当に面白い。桜の君が他の男に会いに行くと思って勝手に苛ついていた狭量な護衛が、何を偉そうなことを言っているんでしょうねぇ。」

「銀の!?」


 今の今まで気配を消していたオルフェンズがとんでもない爆弾を落としてくれた。

 未だわたしの頭の上の手にぐっと力が入り、抗議のつもりで見上げたわたしと目が合ったハディスは大きく目を見開く。微かに頬に朱が差していると思うのはわたしの自惚れか?

 慌てた様に、わたしの頭上の手をもう一方の手で掴んで離し、落ち着きなく剣の柄を掴んだり、頬を掻いたり、襟元をを引っ張って直したり、まぁ、何て言うか‥‥緋色ネズミのお祭り騒ぎを見る様な落ち着きの無さだ。いや、実際に主の動揺に触発された緋色の小ネズミが視界の端にちらちら映る。

 ミワロマイレとわたしはぽかんと呆気にとられ、オルフェンズはアイスブルーの瞳を細めた薄い笑みのまま静かにその様子を見ている。


「――ハディス様、大丈夫ですか?」

「い、いや、何でもないよ。ほんと、勝手なことを想像で言ってもらっちゃあ困るよねー。何で僕が大丈夫じゃないなんて思うかなー?」


 そう言いながら落ち着きなく視線を彷徨わせるハディスは、あんまり平常心じゃなさそうだから、そっとしておこうかなぁ、と思っていたら、オルフェンズがフッと息を吐き出すだけの微かな笑いを漏らす。


「――坊やだからですよ。」


 落ち着いた声で畳みかけられたハディスは、今度は顔全体に朱を昇らせた気がした。

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