第51話 参ったなぁ。
砦の方向から、一人の騎士が馬を駆って平野を突き進んで来る。
こちらの姿は見えないはずだけれど、先行する緋色の大ネズミの記憶を頼りに、わたしの居るこの場所に当たりを付けて駆けて来ているんだろう。
――けど。
「逸れているわよ――!?」
しまった、思わず大声を張り上げたけど、今はオルフェンズの白銀色の紗の中にいるから見えないし、聞こえないのよね。
「オルフェ!出して。」
くいくいと、背の高いオルフェンズの服の裾を引っ張って、逆の手で微妙に逸れて行くハディスを指さす。けど、オルフェンズは薄い笑みを浮かべるだけで紗を解こうとはしない。
「また意地悪してー!そんな事する悪いコはこうよっ。」
目には目を!意地悪には意地悪返しを!!オルフェンズがいつも手に取る大事なものをちょーっと取り上げちゃうんだからっ。
そう、オルフェンズと言えば護衛である前に暗殺者、暗殺者と言えば暗器、彼の相棒の短剣を取り上げてやるー!と彼の着衣のポケットと云うポケットに手を突っ込んで探る。
「お姉さま‥‥。」
「馬鹿馬鹿しい‥‥俺たちは何を見せられているんだ?」
ヘリオスとギリムが揃って苦いものを噛んだ様な表情でこちらを見ている。わたしはと言うと、只今絶賛オルフェンズの上着の中に内ポケットが無いか襟元を覗き込もうとしていたところだ――って!!はぁぁっ、よく考えたらこれってわたしがオルフェンズに痴漢をしているみたいよね!?
そう思ったらボフンと音を立てる様に、一瞬にして顔に熱が上がる。
「ち、ち、ち‥‥違うのよっ!?別に他意はないのよ?決して自分の護衛に無理強いするような、悪徳主人みたいな真似をしているわけじゃあないのよっっ!?」
「ふぅ―――ん?セレネ嬢は僕が一生懸命戦っている間随分タノシソウな事をしていたんだねぇ―――。」
背後から棒読みな声が聞こえて、その抑揚のない声音に背筋に冷や汗が伝う心地になったわたしは、油の切れたおもちゃの様にギギギと鈍い動きで振り返る。いつの間にか、周囲を取り巻いていた白銀色の紗が消えている。
「違うんです!勘違いです!!断じてオルフェに不埒な真似をしていた訳じゃありませんからっっ!」
「おや、もしかすると赤いのは、私にヤキモチを焼いているんですか?」
愉し気なテノールに、その表情をガバリと仰ぎ見れば随分機嫌が良さそうに弧を描いたアイスブルーの瞳が目に入った。
オルフェンズ!貴方って人は、わざとわたしを揶揄ってるわねー!!
「あぁ、そうだな!!僕には銀のみたいな余裕もなくてね!悪いか。」
「んん!?」
今のはどういう意味!?「ヤキモチ」で揶揄われた答えが「余裕もない」??ヤキモチを焼かせるくらいの余裕がないって事?それってつまり――。
「男としての余裕が無いって、オルフェに対する敗北宣言?」
「はぁ!?有り得ないんだけどぉ―!?」
素っ頓狂な声を上げて目を剝くハディスに、これ見よがしに大きくため息をつく我が弟とギリム。そしてくつくつと小声で笑い続けるオルフェンズ。うぅーん、どうやら解釈を間違ったみたいね。じゃあ正解は何だろうと首を捻るけど、面と向かってあれこれ言ってしまうとまた墓穴を掘りそうなので言い辛い‥‥。
困ったなぁと、眉間に皺を寄せて考え込んでいると、ハディスがわたしの頭の上に右手を軽く乗せ、大きな掌でぽんぽんと撫でて来た。
「まぁ、無事でよかった。」
ぽつりと漏らされた言葉にハッとして、それ、わたしが言いたかった言葉だから!と慌ててハディスを見ると、垂れ眼をへにゃりと緩ませた柔らかい笑みが向けられた。
もぉ、敵わないなぁ。そんな風に心底安心した顔を見せられたら「わたしだって心配だった」なんて言葉だけじゃあ軽過ぎる様な気がして、何も言えなくなっちゃうじゃない。――参ったなぁ。
だから、わたしの口はもにょもにょしたまま言葉を紡げず、けど彼同様に安心出来た気持ちは溢れ出て、困った様な笑い顔になってしまったと思う。
「うん。――ハディス様も。」
それだけ言うのがやっとだった。
そしてわたしたちは今、王都へ続く街道を馬車に揺られて走っている。わたしの頭の上には、今は緋色の大ネズミはいない。何故なら、大ネズミはヘリオスの護衛として、彼の頭の上に残ることにしたみたいだったから。
ミーノマロ邸にヘリオスを残して出立する際、何故か苦々しい顔付きでわたしたちを見送りに立ったイシケナルに、いつもは護衛っぽくわたしの後ろか横並びに居るハディスが、珍しく相手を威圧する様に前に立った。
「バンブリア家に手出しをしたら、僕の使えるあらゆる権限を持って対処させてもらうよ。ヘリオス君に何かしたら、こいつを通して僕に伝わるし、セレネ嬢に対してはクロノグラフ前公爵が
ちょっと待って、公爵相手にその態度は問題ないの!?あと誰からの命令で何をしているって?そこはっきり言ってよね。やっぱりただの騎士じゃないよね?いや、そうだろうとは、ほぼ確信していたけどさ。
「ふん、私とて継承者同士で遣り合おうとは思ってはおらん。余計な世話だ。」
苦々しい気持ちを微塵も隠そうと云う気が見られなくて、一層清々しい位、不承不承を前面に出した表情でイシケナルが鼻からフンッと息を吐く。まぁ、だからこそ信用出来るのかもしれないけど。
そんな不穏だけれど信用できる不思議な遣り取りの後、わたしたちはミーノマロ領から穏便に去ることとなったのだった。
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