第46話 トレントにはね飛ばされたあの中には居ないと信じたい。

 平野に位置するシンリ砦の後方に広がる草原のど真ん中、砦とその向こう一面に広がる森を前方に見ることの出来る位置に、わたしとヘリオス、ギリム、そして姿を隠してくれているオルフェンズが無言で立ち尽くし、足早に進んで行く衛兵の隊列と、そのもっと先を行く馬車と騎兵の一群を眺めている。

 砦での指揮と戦闘のため、領主館から出立するイシケナルや学園長の乗った馬車に同乗させてもらったわたしたちは、砦までは来てはならないとの学園長とハディス様の言葉に従い、砦とは随分と距離を空けたこの場所で降ろされることとなった。


 砦から来た衛兵の報告通り、森全体が生き物のように大きく蠢いている。あの大きな木々全てがトレントだとしたら、なんて途方もない数があそこに潜んでいるのだろう。そして、森から出て来たトレントは、平野にその全容をさらしているため、巨大で禍々しい姿をはっきりととらえる事が出来た。シンリ砦は3階建ての上に更に遠見のやぐらを備えた無骨な石造りの建物だけれど、トレントたちの最も高い部分の枝は、その3階部分に達しようとする高さで、太い幹は樹齢何百年を生きた木のように、大人3人くらいが手を繋いで作った輪でやっと抱えられるくらいの太さがあり、太い根をタコの足の様にぐねぐねと動かしながら移動している。葉は高い位置こそ緑だが、幹に近い低い位置は禍々しい赤紫で、樹皮は暗灰色。大きく枝を振り回し、対峙する衛兵を跳ね除けるその姿は、遠目でもはっきりと分かる。

 大勢が傷付き倒れて行く場面になど、これまで一度も居合わせた事など無かったわたしは、知らず震える唇を噛み締める。実際の様子を目にして、ようやくハディスがこの先で行われている戦闘にわたしを連れて行くのを嫌がった意味が分かった。

 領主館で報告を受けた数は3体だったが、今では5体に増えていた。


 わたし達とは違い姿を現したまま砦に向かう、先を急ぐあの馬車と騎兵の中には、ハディスやイシケナル、学園長が居る。もう少ししたら、あのトレントの暴れる戦闘地域に届いてしまう。


 突然、一群の後方からぶわりと紫色の魔力が立ち昇って後方を行く衛兵たちもまとめて包み込むのが見えた。そして間を置かず大きなときの声が上がる。次いでハディス様の緋色の魔力が更にその上から包み込む。


 魔力が彼らを覆ってからは、それまでとは比べ物にならないほど移動速度が増し、そのまま戦闘地域へ突っ込んで行き、カヒナシの衛兵、戦闘冒険者を含んだ人間と、トレントをはじめとした小型魔獣たちとの戦いが始まった。


 遠く離れていても、怒号が飛び交い、魔物の巻き起こす土砂の激しい音や、この世のものとは思えない恐ろしい鳴き声が響いてくる。それでも、紫と緋色に包まれた人間達が、怯むことなく巨大なトレントに立ち向かって行く。


 ハディス様もあの中に居る。


 何人かが、呆気なくトレントに吹き飛ばされるのが見える。


「お姉さま」


 ヘリオスの声に、はっと意識を取り戻したかの様に思考が働き出す。いつの間にか胸の前で組んだ両手が小刻みに震えていた。見ているだけで何も出来ない歯がゆさと、無事を確認できないもどかしさがないまぜになって、ただ見ているだけなのに辛く、苦しい。そして、あの中にいるだろうハディスに何かあったらと思うと恐ろしくもある。

 ああ、学園長の言っていた後悔って、こう言うことだったんだと今更ながら理解した。


 ハディス様は何処に居るんだろう?無事な姿を見て安心したい。トレントにはね飛ばされたあの中には居ないと信じたい。けど目に入る景色は何処も大混戦で、たった1人の人間に何が起こっているのかを窺い知ることは難しい。


 少しづつ、人間側の勢いが落ちてきている。

 けれど、トレントもじりじりと森の中へ後退し始めている。

 かと言って、撃退の決定打となるような手も打ててはいないから、このまま優勢になるとは限らない微妙な状態だ。


 足元の草がざわざわと音を立てた思ったら、学園側の森で集まったのと同じ様な、緋色のネズミ達が何匹も集まっていた。ネズミ達はレミングスの大移動を彷彿とさせるような、何十匹と云う数が列を作り、街の方向からぞろぞろとこちらに向かって来ている。

 そして、ここが目的地であるかのように、わたしの足元でぴたりと行列を止め、ここに居る人間たちと同じように砦周辺の戦況を見守っている。この光景が見えているオルフェンズは小さく舌打ちを漏らし、ギリムは突然集まって来たに驚いたのか、ビクリと肩を揺らす。

 やがて緋色のネズミの行列の最後尾が現れ、足元に何十匹と云うネズミが揃ったところで、わたしの頭の上に居座っていた緋色の大ネズミが飛び降り、ネズミ集団を代表するかのように先頭に立った。


 緋色の大ネズミは何か言いたげに、つぶらな瞳でじっとこちらを見上げ、他のネズミ達は静かにこの様子を注視している。


「もしかして、あなたが仲間を集めたの?」


 大ネズミは得意げに鼻をピクピク動かして、顎をつんと反らしてみせる。「良く分かったな!」と言わんばかりの、ちょっぴり偉そうな態度だ。魔力の色が分かる人間にしか見えない緋色のネズミたちは、ただの動物では無いに決まっているけど、あんまり人間っぽい態度を取るから、思わず笑いが零れてしまう。


『ぢぢっ!ぢぅ。』


 少し気の緩んだわたしは、今度は大ネズミにまで怒られた。

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