第36話 えぇっ!?褒めているつもりよ?

「久方ぶりだな、小娘。再び会いたくなどなかったが、その顔を忘れたことは無かったぞ。光栄に思え。」

「誰?わたし、貴方と会ったことなんてないわよ。」


 尊大な態度の紫髪の男は、どうやらわたしの事を見知っている様だけど、生憎こちらの記憶にこんな男の姿は無い。


「くっ‥‥ここへ来てまだ私をコケにする気か。いつぞやは『どんなか弱いご令嬢やお年寄りでも簡単に使える手頃に扱える運動器具』とやらを勧めてくれたな。」


 そのうたい文句は間違いなくバンブリア商会うちの商品のもので、それを勧めた相手――と考えたところで、ようやくわたしの記憶に浮かび上がった一人の男の姿があった。


「あぁ!ぽっちゃりさんが、随分引き締まって素敵になったから気付かなかったわ。無事にぽっちゃり体型から脱せたみたいで良かったわ!」

「ぽっちゃり!?」

「不健康そうで見ていられなかったもの、どんなに高貴な人でも、どんな高級なものを身に付けても、その人自身が磨かれなくっちゃ台無しだもの。あれは酷かったわー。」

「酷かった!?」


 愕然がくぜんと目を見開き、顔を青褪めさせたイシケナルが、唇を震わせながら素早く執事や侍女、衛士に視線を巡らせると、彼らは我先にとイシケナルに恍惚こうこつとした笑みを向ける。


「いいえ、イシケナル様は存在そのものが素晴らしく、他に並び立つものが無いほどです。凡人に貴方の尊さは伝わらないのでしょう。」

「ありのままの貴方様が何よりも素晴らしく美しい。それは今も昔も変わらず、私の心を捉えて離しません。」

「イシケナル様に相応しくない言葉に耳を貸す必要など御座いません。やんごとなきイシケナル様のご威光に臆した者の戯言たわごとなど聞かずとも、私の貴方を讃える声をお聞きください。」


 全員が次々に賞賛の言葉をここぞとばかりに延べ、イシケナルの表情は言葉が紡がれる度に徐々に元気を取り戻して行く。曲者くせものを捕えに集まったはずの衛士全てまでもがイシケナルを称える言葉を述べるのを満足そうな笑顔で聞きながら、最後の一人の言葉を待ってようやく顔色を取り戻したイシケナルは、おもむろに口を開いた。


「そうであろう、そうであろう。その下賤な娘の眼が曇っておるのだな。」

「ぽっちゃりで不健康体型だったけど、努力した末に健康になったことは誇っていいのよ?ぽっちゃりから現実逃避しなくても、ちゃんと健康的に引き締まったからいいんじゃないの?貴方の過去の失敗は、ちゃんと改善されているわ!自信持って!」

「お姉さま!それだと褒めているようで、物凄く貶していますっ!」


 えぇっ!?褒めているつもりよ?と元ぽっちゃり公爵を見ると、すっかり表情の抜け落ちた虚無の状態で身動き一つせずに立ち尽くしている。


「イシケナル様!貴方こそ、私の心を捕らえて離さない、比類なき輝きを持ったお方です!」


 執事がすかさず掛け声を発したことにより、イシケナルはようやく再起動したらしい。ぶわりと顔全体を赤く染め、ぎりぎりと奥歯を噛み締めながら、喉の奥から絞り出すような声で「おーのーれー小娘ー。」とか何とか言っている気がする。そして、何を思ったのか私に向かって斜に構え「思い知らせてやる。」などと物騒なことを言いながら、紫の瞳にギラリとした光を湛えて視線を送って来る。紫色の魔力付きで!


 咄嗟に、侍女の運んでいたトレーカートから、大ぶりな銀のお盆を一枚取り上げて、迫る紫色の魔力を追い返すように大きくあおいだ。ぶわりと巻き起こった風が、イシケナルの髪を大きく舞い上げ、驚愕で見開かれた紫の眼が顕わになる。


「流し目に加えて、こっちに向かって変な秋波しゅうはを送るのは止めてよね!」


 ぞわぞわする両腕を両てのひらさすりながら言うと、イシケナルはこちらを睨みつけて眉を吊り上げる。

 って言うか、周り中がくどいほど名前を呼んでいるから、紫男の名前を覚えちゃったわ!


「頭にネズミを乗せて破廉恥な服を着たイカレタ娘に侮辱される覚えはない!」

「ネズミは愛らしいし、服は最先端よ!分からないなんて可哀そうね!」

「この小娘がぁ―――!」

「誰彼構わずみだりに秋波を送っている人に言われたくないわ!っていうか、ご令嬢のエスコート一つまともに出来ないのに何が魅了使いよ!そんなんだったらうちの天使なヘリオスや、規格外の実力と容姿のわたしの護衛たちの方がずっとすごいわ!」


 言い合っていると、集まった衛士の一人が怒りの形相で掴みかかって来たので、闘牛を翻弄ほんろうするマタドールの様に、お盆をマントに見立てて力任せにとびかかる衛士の突撃を受け流す。衛士はそのまま壁にぶつかり、転げてしまった。


 ぱんぱんっ


 言い合う声を遮る様に、手を打ち鳴らす音が響く。


「ミーノマロ公爵ともあろうものが、国を揺るがす緊急時でもあるまいに、何故この様に、廊下で大声を張り上げる。」

「お・お爺様‥‥。」

「そしてこちらは‥‥、我が学園の生徒会長とその弟君だったかな。何故ここにいるのかの?」


 にこやかな笑みを湛えて現れたクロノグラフ学園長が、わたしにも笑顔を向ける。

 学園長は、わたしを隠してここへやって来た事を誤魔化しつつ、ヘリオスとわたしが共に彼の庇護下にあることをこの場の皆に宣言してくれたみたいだ。

 よし!ユリアン退治に使ったわたしの女優スキルを再登場させる時ね!――ってそんなもの無いけどね!

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