第23話 生徒会長罷免嘆願署名ですって!?

 心底うんざりしたところで声を発すると、喉の奥から自分でも驚くくらいの低い声が出た。


「あぁ、恋愛のスパイスに、わたしを悪役に仕立てて盛り上がったと?もしかしなくても後ろのご令息たちにも、実らせるつもりも無いのに、思わせ振りな秋波しゅうはを送って味方に引き込んだと?自由恋愛、結構。私と無関係なら、その恋愛感情が偽物だとしても、貴族ならそれを見る目が養われるって無理やり理由をこじつけてある程度はわよ?けどわたし、お粗末な恋愛劇に巻き込まれるのは――懲り懲りだから。」


 ヘリオスの一大事なこの時期に、薄紫色に包まれた浮かれた集団を前にして、自分の中の鬱屈した感情が爆発しそうになるのを、貼り付けた笑顔をさらに深めてこらえる。


「――止めて?」

「「「「ひっ‥‥!」」」」


 腹の底の黒いものを出すことなく何とか堪えきって令嬢の体裁を保つことができた!と思ったのに、集団の後方にいた令息たちがパタパタと足音を立てて教室から出て行き、最前列で肩を寄せ合っていた2人だけが取り残される。「え?あ、ちょっと貴方たちっ!」とユリアンが呼び止めようとしているが効果は無いみたいだ。


「とっ‥‥とにかく、これを受け取れ!」


 若干顔色を悪くした騎士団団長の令息カインザにより、手元に強引に押し付けられた紙束に視線を落とすと、その冒頭に書かれた文面に思考がフリーズした。


「確かにっ!渡したからなっ!!」


 最後の言葉を言い終わらないうちに、我先にとぶつかり合いながら教室の扉を潜っていく2人に、良い未来は見えない気もするけど、まぁ、それはどうでも良い。


「生徒会長罷免嘆願りめんたんがん署名ですって!?」


 間の抜けたわたしの声が教室に木霊こだました。

 スバルが「魔王なに磨きがかかっちゃって、まぁ‥‥。」などと苦笑しながらわたしの背をとんとんと撫でて、手の中の書類の束を引き取る。


「王子のご学友の一人、さっきの騎士団長のところのカインザ・ホーマーズが、先日のランチタイムの出来事を逆恨みして手を貸したみたいだね。」


 スバルが顔をしかめる。けどカインザがユリアンに肩入れしているのは単なる逆恨みでもないでしょう、でなければ全身紫色の説明がつかないもの。


「大好きな男爵令嬢に手を貸しただけなんじゃないの?」

「馬鹿が、それはないはずだ。あのカインザには赤ん坊のころから決まっている婚約者がいる。父親同士が同じ騎士団の親友と云う繋がりのご令嬢だ。滅多なことは言うものではない。」


 ふいに背後から掛けられた声に振り返ると、やはり不機嫌そうなギリムが鬱金うこん色の瞳を眇めて立っている。


「けどマイアロフ様なら見えたんじゃないですか?綺麗に紫色に染め上がったが。」

「見えた。今ほど眼鏡を掛けたいと云う衝動に駆られている事はない。けど俺の役割上、眼鏡を掛ける訳にはいかない。」


 何だ?繰り返し眼鏡・眼鏡と?


「ねえ君さ、ひょっとして眼鏡なしだとよく見えていないんじゃないの?」

「へ?しっかり見えているでしょ?」


 わたしの声にスバルが「そっちじゃなくてね。」と言いながら、ギリムに向かって人差し指を立てて見せ「何本か分かるー?」なんて聞いている。ギリムは何も答えずに、更に目を眇めている。

 え?うそ、もしかして視力めちゃくちゃ悪かったの?だからこその、いつもの目を眇めての不機嫌顔!?


「俺の役目は魔力からの護衛だ。だから、いついかなる時も見えるようにしておかなければならない。」

「はぁ!?」


 非効率を強いる瞳に関する情報に、一体どんな状態なんだとまじまじと鬱金うこん色の瞳を覗き込む。するとギリムはぎくりと仰け反り、それから視線を僅かに逸らせてわたしの頭上を見て、微かに口元に笑みを浮かべた。


「最近は、乗っているのだな。最初、それが見えないからついに眼鏡なしでも見えなくなってしまったかと慌てたが。」


 頭の上を指さされると『ちゅう』と静かに返事をするモノがいた。そう言えばハディスと入れ替わりにやってきた色の大ネズミは、来るなり迷うことなく頭の上に陣取っている。重さも感触もないから完全に忘れていた。


「つまり君は眼鏡を掛けてしまうと、視力と引き換えに魔力が見えなくなってしまうと?」


 スバルの問いに是とも否とも答えないギリムは、ただぎゅっと唇の両端を締め付てむっつりと押し黙る。そうか、そのための折衷せっちゅう案で神殿では片眼鏡モノクルだったのねー。

 うんうんと納得するわたしの耳にギリムの呟きが聞こえてくる。


「王子を魔力と武力から守護する双璧が、揃ってこんな状態とは‥‥笑えないにも程がある。」

「え?そんな事ないよ!あなた仕事中毒ワーカホリックなんじゃないかってくらい色んな仕事を沢山取り仕切って、更にその仕事に合わせて片眼鏡なんかの装備品を変えたりって工夫したり、授業の合間毎に1年棟まで護衛の仕事に行き来したり、使えない上司を育てることまでしているんだから、充分すぎるくらいよ?!マイアロフ様は本当に凄いわ!」


 充分頑張っていると思えるのに、落ち込んでいる姿が見ていられなくて、元気付ける言葉を溢れるまま伝えると、きょとんと眼を見開いたギリムは、ふわりとほほ笑み「そうか。」とだけ呟いた。

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