第66話 商会令嬢として損っていうのは全くもって嫌な言葉だわ。

 治癒院へ行った翌日、約束通り試作品プロトタイプの髪飾りを着けたバネッタと、お揃いの髪飾りを着けたわたしに教室中がざわついた。しかしながら、彼女の太鼓持ち達はそれをけなす事も出来ず、更にはニスィアン伯爵令嬢への従属の意を表すために、次々に彼女とお揃いの新作髪飾りの購入予約を行った。また、反目し合っているはずのバネッタとわたしが揃って持つほど良い品物なのかと、自ら判断した周囲の者達の予約も入り、そんな反響のあるものならと更に予約する者も現れて、想像した通りの結果となったわたしはホクホク顔だ。これなら、あんな修羅場に付き合った苦労も報われるというものだ―――。


 週末の休日となり、護衛ズを伴って王都の上流階級御用達の店が軒を連ねる大通りに建つバンブリア商会本店へ、大量予約を獲得した新作髪飾りの手配をするべく、先に入手しておいた作成材料入りの大きな袋を手に馬車に乗り込む。が、相変わらず馬車内は狭い。走行時の揺れが少なくなるよう、父とヘリオスが研究を重ねて完成したバンブリア家の自信作のはずなのに、微かな揺れでも隣り合うハディス様とオルフェンズに肩が当たってしまう。


「ハディス様、オルフェ?わたしには向かい側の席が空いているように見えるのだけれど。」

「奇遇だねー。僕にもそう見えるよ。」

「赤いの、見えているなら移れば良いでしょう?」


 だめだ、また大渓谷が形成されて崩れる気配がない。


「なら狭いから、わたしが移りますね。」


 さっと立ち上がると、ぐっと腰を掴まれて引き戻され、尻餅をつくようにドスンと元居た椅子に逆戻りする。

 いや?感触が違う。


「狭いならこちらにどうぞ。」


 頭の真上から響くテノールに、瞬時に顔に集まる血液が沸騰したかの様に熱を持つ。と同時に背筋を寒さが駆け上る。そう、わたしはオルフェンズの膝の上に座らされている。いや、これダメでしょ!?


「ふざけないで――!」

「真面目ですよ?」


 わたしの叫びとともに、どこからか湧いて来た緋色の子ネズミたちがオルフェンズにピョンピョンと飛び掛かり体当たりを仕掛ける。けれど実体の無い彼らには攻撃力は無い。が、オルフェンズは忌々しそうに舌打ちをする。


「赤いの。」

「お前が悪い。僕のせいじゃない。」


 ハディスがオルフェンズの膝の上からわたしを持ち上げて向かいの椅子に降ろしてくれると、ようやく子ネズミたちは去って行き、わたしの目の前には何とも言えない表情の並んで座る2人の青年が残った。




 アイリーシャは面会の後、程なく無事治癒院からラシン邸へ戻り、魔力の影響もあったとは言え、地位ある伯爵令嬢として自分の行いの責任は取りたいと、自宅での謹慎と、治癒院での奉仕活動を行っていると聞いた。メルセンツは―――。


「あれ、ラシン伯爵令嬢じゃないかなー?」


 ハディスに促されて窓の外へ目を向けると、丁度ラシン邸の裏口から簡素な馬車に乗り込もうとするアイリーシャの姿があった。


「いつも、ここは通りませんでしたよね?タイミングも良すぎるし、わざとですね?」

「知りたいかなぁーと思って。いつもこの時間にラシン伯爵令嬢は治癒院へ向かう様だよ。情報収集も堪能な出来た護衛でしょ?」


 にこりと笑みを浮かべたハディスの合図でゆっくりと馬車が止まり、音を潜めてそっと降りたわたしの頭上には、待ってましたとばかりに大ネズミが飛び乗った。オルフェンズの微かな舌打ちと、ハディスのため息が聞こえたけれど、わたしは慣れたもので既になんの感慨もない。馬車から降りて、わたしを挟んで手を取り合った3人に白銀色の紗が降りる。そのタイミングを見計らったかのように、近くで馬車が止まり、中から慌てた様子で肩口までの淡い金髪を揺らした少年が飛び降りる様に出てくる。


「アイリーシャ!」

「――メルセンツ様。連日飽きずによくいらっしゃいますね。今更私の気持ちは変わらないと何度も申し上げておりますでしょう?」


 こちらの姿が見えないのを良いことに堂々と側に居るけど、これはどう考えても出歯亀と言うやつでは?

 胡乱な視線をハディスに向けると、つないでいない方の人差し指を立てて自分の唇に当て「静かに」のジェスチャーをして見せる。


「謝罪を受け入れてもらえないことはもう理解した、けれど、だからこそもう一度改めてお願いしたい。私たちの婚約は、まだ契約の上では正式には消えてはいないんだ。婚約関係の継続‥‥いや復活を視野に入れて、私に一からやり直す機会を与えてはくれないだろうか?」

「それこそ、家同士の話し合いに委ねるべきところでしょう。私の気持ちがどう動くかは分かりませんが、それとこれとは別の話ですから。」


アイリーシャは、つんと顎を反らしてメルセンツを見ようともしない頑なな様子だ。対するメルセンツは眉を下げた悲壮感漂う表情で、これまで幾度となくこの発展のないやり取りが繰り返されたことを感じさせる。


「そんなことを言わないでおくれ。君からのそしりはどれだけでも受け取るから、私の言葉を少しでも考えてもらえないだろうか‥‥。家同士の取り決めではなくて、君にまた振り向いてもらえるように――私の勝手な思いでしかないけれど。」


 メルセンツ!弱気すぎるわ!!なにその気持ちの揺れない告白は!?アイリーシャも素直じゃない。正気に戻った途端、わたしに「泥棒猫」なんて言ったのはメルセンツに想いがあるからこそ、取られたと思ったって事なのに。メルセンツだって、治癒院で黄色い魔力を抜かれて治療を受けてからはわたしに言い寄る真似は一切して来なくなったどころか、「想いを寄せてもらって悪いが、本当に済まない。私には応えられない。」なんてしっかりわたしをフって来るし。だから、卒業祝賀夜会やフォーレン侯爵家のお茶会でわたしに声を掛けて来ていたのは黄色い魔力のせいだと思って良いんじゃないかな?

 仲良く出掛けたりしていた目の前の2人が、占術館で不安に付け込む様に与えられた『黄色い魔力』のせいで、事件解決とされる今となってもこんな風に悪影響を残すのは何だか嫌だ。わたしも散々振り回されたから、笑顔になれない終わりを見るのは辛いし、殺されかけ損だ。商会令嬢として損っていうのは全くもって嫌な言葉だわ。メルセンツにはこれまで通り商会の商品をどんどん買って欲しいし、なんならアイリーシャの為の物だって沢山提案したい物があるし、買って欲しい。その為には、やっぱり目の前の2人には是非とも上手くいって欲しい。


 互いに主張を伝え合った2人は、無言で立ち尽くしたまま向き合って、けれど立ち去ろうとはしない。


 メルセンツ!ぼ――っとしているんじゃないわよ!!

 手にした試作品プロトタイプの材料入りの大きな袋をぐるぐる振り回し、メルセンツの背中を押すように端を握ったまま放り投げた。

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