第65話 私ですか?それともこちらのバンブリア男爵令嬢ですか?

「お待ちください!こちらは男子禁制でございます!!」

「アイリーシャ!今、彼女の声が聞こえたんだっ。目が覚めたんだろう?会わせてくれっ!」

「いいねー、青春だねー。」


 巫女の静止の声に負けず、張り上げられた声はわたしも知っているものだった。アイリーシャが小さく息を呑んだのが分かった。そして最後の間延びした声はハディスだ。何やってる?うちの護衛。

 ドタバタ云う音の騒がしさに全員の視線が開け放たれた扉の方へ向かうが、誰かが入ってくる気配はない。急に物音が途絶えたかと思うと、巫女の一人がどことなく頬を染めながら、ようやく入室して来た。


神殿司しんでんし、患者様をお待ちの方は、控えの間の一つにお連れ致しました。お待ちいただいている方は‥‥その、少々お休みになっておりますので、ご準備が整いましたらお越しくださいとのことです。」


 どうやらまたハディスに落とされたらしい。あ、巫女じゃなくて『お待ちの方』の方ね。




 何故かわたしは静養室に残ったまま、アイリーシャの身支度が整うのを待つことになり、何故か彼女の取り巻きよろしく背後に付き従う形で控えの間へ同行することになった。出来るなら、『お待ちの方』と顔を合わせる事無く治癒院から辞したいところなんだけど、伯爵令嬢2人があれこれ会話をはぐらかす協力タッグを組んで逃がしてくれなかった。


 夜会とまではいかないもののご令嬢らしい整えられた装いとなったアイリーシャが、案内の巫女に連なって控えの間へ進み入ると、部屋の中央に置かれた簡素な椅子とローテーブルから成った応接セットに、肩口までの淡い金髪の頭をがっくりと落として力なく座る後姿が目に飛び込んだ。

 部屋の壁際に立つ形で、ちゃっかりこの面会の席を陣取っているわたしの護衛ズのうち、ハディスに胡乱うろんな目を向けると「ちょっと待ってねー。」といい笑顔で告げながら、ひとり座る『お待ちの方』の背後に手を当てて何やらぐっと力を込めた。


「はっ!」

「お待ち兼ねの相手が来てくれたよー。」


 意識を取り戻した金髪頭の背をぽんと叩くと、ハディスは元の壁際へ戻る。「私は一体‥‥。」とこの状況が飲み込み切れていない様だが、急に何かに思い当たったらしく勢いよく立ち上がる。


「そうだ!アイリーシャっ!!彼女の声が聞こえたんだ!」

「お久しぶりです。メルセンツ様。」


 静かなアイリーシャの声に反応して勢いよく振り返ったメルセンツの大きく見開かれた目に、みるみる涙の幕が張る。


「アイリーシャ‥‥良かった!良かった、アイリーシャ!」


 わたしここに居る必要あるかしらー。ここは若いお二人に任せて、おいとまさせていただきましょうかね・なんて訳には――。


「貴方が本当に会いたかったのは、私ですか?それともこちらのバンブリア男爵令嬢ですか?」


 まるで金の斧銀の斧みたいな言い様だ。しかもアイリーシャは泉の女神の如く、凛と背筋をのばして落ち着き払った口調だけれど、どこか切羽詰まった雰囲気を漂わせている。メルセンツはそこでようやく、アイリーシャに付き従っているわたしに気付いたらしく、驚きを露わにわたしとアイリーシャを交互に見遣る。


「そんなこと、私がここへ会いに来たのは君に決まっている。アイリーシャ。」

「まぁ、ここへ来られたのならそうですわね。」


 溜息でも付きそうな不穏な言い方に、メルセンツが不安げに瞳を揺らす。


「私、怒っていますの。婚約者の私がありながらよそのご令嬢に目移りする程度、爵位のための政略婚約を受け入れている時点で気持ちは別物と割り切ってはおりましたから。けれどあなたは夜会の場で私を侮辱する方策を取られました。恋や愛などという甘いものがなくとも、政略であれば尊重する気持ちがあれば充分だと思っておりましたのに、それすら踏みにじられました。」


 弁解しようとするメルセンツに口を挟む間を一切与えずにそこまで言い切って、アイリーシャはわたしを振り返る。


「そして家を捨てて愛するものと手に手を取って行ければ美談になるところ、どうやらそれも無い。」


 当たり前です!と大きく首を縦に振ると、ハディスが苦笑し、オルフェンズは薄い笑みを浮かべる。

 わたしが希望するのは「入婿になって一緒にバンブリア商会を盛り立ててくれる人」だ。家を捨てるなんて選択肢は一切無い。


「私、ぼんやりしながらも心の中で連日ぐるぐると考えをただ巡らせておりました。魔力が体内飽和度を越えて心を病んだ部分もあるでしょうが、それは基本となる想いが誇張されただけで、魔力が溢れていた時に取った行動は嘘偽りのない自重を取り除いた本心でしかないと。」


 そうかー、暗殺者を雇って殺したいほど憎かったかー。相当メルセンツが好きだったんだろうなぁ。とばっちり食ったほうは、やっぱり堪ったものじゃないけど、相当な純愛ね。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて‥‥って事よね。

 と、遠い目になりながら、うんうんと頷いていると、続いたアイリーシャの言葉にぎょっと目をむくことになった。


「ですからメルセンツ様は私への尊重の気持ちが無いのだと気付いてしまったのです。そのような方と添い遂げることは出来ません。貴方のような情けない男、こちらから願い下げです。むしろ破棄してくださって、清々せいせいしておりますわ!」


言い切ったアイリーシャは、面会は終了とばかりにさっと踵を返してしまった。


「アイリーシャ!」


メルセンツが追い縋ろうと声をかけるが、ピクリと肩を動かすこともしないアイリーシャは、彼を完全に拒絶するかのようにそのまま退室してしまった。慌てたようにバネッタがその後を追って行く。メルセンツは呆然としてアイリーシャの去った先を見詰めたまま、動くことを忘れたかのように立ち尽くしている。


「メルセンツ先輩?」

「――あ、バンブリア‥‥嬢。」


 声を掛けると、メルセンツはゆっくりとわたしを振り返る。捨てられた子供のような悲痛な面持ちだ。しかし、目が合うと意を決したかのように口を開く。


「済まない、バンブリア嬢。私には幼い頃よりさだめられた大切な婚約者がいる。夜会の話を聞いたが‥‥あれは忘れて欲しい。済まないが、彼女以外に私の気持ちを向けるべき相手は考えられない。想いを寄せてもらって悪いが、本当に済まない。私には応えられない。」


 メルセンツは、言うだけ言って項垂れながらアイリーシャとは別の方向、治癒院の外へ向かって歩き出した。何故かメルセンツに振られたことになってしまっている状況に愕然としたわたしは、堪らず吹き出したハディスにようやく我を取り戻し「なんでそこは勘違いしたままなのよ――――!」と叫んで、片眼鏡に「馬鹿が。」と心底不満そうな顔で文句を言われたのだった。

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