第52話 さすがにわたしも学習しますっ!

 わたしは今、ひとりバンブリア邸を抜け出して物影、建物の影をこそこそと渡り歩いている。


 いや、正確には1人ではなく頭の上に当然のように鎮座する大ネズミが居るんだけど、重さもなければ触ることも出来ないので、これは物の数に含めなくても良いだろう。出来る限りの簡素な格好で街中に出るのは、これが初めてでは無いけれど、いつもはヘリオスが一緒だった。けれど、これは極秘任務ミッションだ。一人で行わなければ意味がない。頭の上に何か居るけど、気にしてはいけない。


 丁度家並みの一区画分離れた先をふらふら歩く赤髪を注視しつつ、物影に潜むのも忘れない。不用意な物影にはオルフェンズが居そうだけれど今のところ遭遇はしていないから、結果オーライとしておこう。


 事の発端はあのギスギスした朝食の席でのハディス様の言葉。「彼らの社会復帰は王家と王都中央神殿が共に手を尽くす。そんな報告を、僕はする事になる。」と彼は口にした。気安く「王家」を連呼するハディス様の身元はなんとなーくやんごとなき身分なのだろうとは、鈍いわたしでも察しているし、わたし以外の家族は知っている気がする。そんな、わたしだけがろくに知っていない彼は、なんと護衛なのだ。それってちょっとどうなのー?常々そう思っていたところに、ハディス様の外出とあれば、きっと「報告」をしに行くに違いない!身元に繋がるヒントが得られるかもしれない!


「ってことで、今よ!」

「知らない方が良いこともありますよ?」


 ひゅっ、と息を飲んだだけで何とか悲鳴は飲み込んだ。万全な注意は払っていたはずなのに、何故か肩越しに白銀髪の美形かんばせが現れて、ときめくどころか驚愕に意識を飛ばすところだった。


「オルフェ、あなたの予想外すぎる行動には慣れたつもりだけど、まだまだ甘かったと再認識したわ。」


 静止したかと思った心臓が、ようやくバクバクと激しく動き出した事を確認すべく両手で押さえつつ、アイスブルーの瞳を恨めしげに見やるが、その目の形は笑みを象っている。


「おや、私も同感です。桜の君の行動にはいつも驚かされます。」

「これは意外でもなんでもないでしょ。あの秘密男の後をつけて尻尾を掴むのよ。」


 わたしばっかり知らないのは納得できないもの!と、呟きつつ建物の影から角を曲がろうとするハディスの後ろ姿に意識を集中する。


「そうですねぇ。では何かと面白そうなので、私もご同行致しましょう。」


 楽しげな声の響きに、取り敢えず念押しすべき事を前もって言っておくことにする。


「構わないけど、短剣投げたりする悪ふざけはダメだからねっ。」

「ふふっ、分かっております。そんなことよりこちらの方が楽しそうですから。」


 そう言って、わたしの側にそっと屈む。普通に町を歩いても違和感のない、ふわりと袖口の広がったブラウスに、前ボタンのベストを合わせ、トラウザーズを履いただけの普通に町歩きをするような格好なのに、移動する間はもちろん音なんて立てない。

 そうか、これが玄人プロの技か。と感心しそうになりつつ、ハディスへ慌てて意識を戻す。


「ハディス様、ふらふら歩き回りすぎじゃない?あれ?市場に入って行っちゃった。」


 赤髪の男は、休日の暇な時間をもて余しているかのように、いちが立つ街中心部の大広場で、あちこちのテントに立ち寄りながら買い食いを楽しんでいるようだ。見ているこちらのお腹も空いてくる。


「桜の君も、何か召し上がりますか?」


 タイミングよく掛けられたオルフェンズの言葉に、美味しそうによく焼けた獣肉の串焼きを齧りながら、少し先を歩くハディスの姿が目に入る。


「なら、アンパンと牛乳――無いわね。あのハディス様の買った串焼きのお店のをお願い。」

「畏まりました。」


 ふわりと、微かな風を残して立ち去ったオルフェンズは、すぐに肉汁滴る獣肉のかたまりが二つ刺さった美味しそうな串焼きを一つ手に戻ってきた。どうぞ、と差し出されるものの、彼は薄い笑みを浮かべてこちらを見るだけで、自身の分は用意しなかったようだ。


「あら、オルフェ?ごめんなさい、これはあなたが食べて。わたしったら図々しかったわね。」


 慌てて串焼きを押し返そうとするが、オルフェンズは受け取らない。しかし、少し考えて串を受け取り、わたしの顔の前へ差し出す。


「どうぞ。」

「へっ?」


 変な声が出た。いや、仕方ないだろう。なぜ食べさせられるんだ?


「ハディス様から目を離すわけにはいかないんでしょう?だから私が持ちますよ。」


 にっこり。

 何だろう?善意で済ませるには腑に落ちないこの違和感は‥‥。けど、ここで固まっていても仕方ない。わたしは思い切って肉汁滴る先端の一片に齧り付き、首の力で引っ張って一つまるごとを口の中に納める。令嬢としては失格だろうが、この場は仕方がない。


「ん、ふぉいひぃ~!(美味しい)」


 予想外の美味しさに気持ちも舞い上がったまま、満面の笑みでオルフェンズの持つ串焼きに手を添えて、彼の口許へもう一片の肉を押し出す。


「おるふぇも、たふぇてみて!ふぉいひぃーこらぁ(オルフェも食べてみて、美味しいから)」


 途端にアイスブルーがまん丸に見開かれて、やがて笑みを象る。


「そうですね、いただきます。」


 言いながら、わたしの手ごと持ち上げた串に口を近付けるオルフェンズの額を、空いた方の手の指でピシリと弾く。


「今、わたしの手の方を齧ろうとしたわねー!?」

「おや、今度はばれてしまいましたか。」


 笑いを含んだ声音で答えるオルフェンズに、「さすがにわたしも学習しますっ!」と、怒った風に言うと、何故か頭上の大ネズミがびりりと震えた気がした。

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