第46話 わたし布教活動をした覚えはないけど。

 片眼鏡モノクルの少年がオリーブ色の短髪を揺らして地面に転がる『玉の枝』にそっと手を伸ばす。


 わたしを狙って投擲とうてきされた真珠らを拾い集めて少年のもとに持って行くと、また苦々しげに目を眇められた。どうもこの少年には最初から嫌われているのか、こんな表情しか見ていない気がする。けれど、手にした真珠をまた地面に転がすわけにもいかず、そっと少年に差し出す。


「どうぞ?どこか置くところがあるなら持っていくけど」

「―――」


 真珠はわたしが拾い集めただけでも10個はある。片手では余るほどなので、既に片方に枝を持っている彼には持つことは出来なさそうだ。なのに少年はわたしの手の中の真珠を見て無言で考え込んでいる。無口なタイプなんだろうか?


「これ、蓬萊ほうらいの玉の枝なんて初めて見ました。綺麗ですね。神器だし、直接地面に置くのも気が引けるから、受け取ってもらえませんか?」


 この膠着状態を何とかしたくて、真珠をぐっと差し出す。


「……かが」

「え?」


 少年が俯いたまま、ごくごく小さな声を発する。


「馬鹿が。これは神器などではない。俺がいつ神器などといった。俺が言ったのはラシン伯爵家の家宝だ!」


 なんだこいつ――――!

 愕然としたわたしのてのひらから真珠がぼたぼたと地面に落ちる。


「セレネ嬢、こっちを手伝ってくれないかなー?警邏隊で魔力にやられて倒れている人達を何とかしたいから」


 ハディスがさっさとわたしの手を引いて、片眼鏡の前から連れ出してくれるけど、気になるのは地面に落ちた『家宝』とやらだ。これは、ラシン家をこっそり訪問した時に、窓枠で聞いた『アイリーシャが祈祷師と暗殺者を雇うために勝手に持ち出した』とか云う物だろう。片眼鏡は気に入らないけど、バラバラになった家宝はちょっと気になる。


「わたし、向こうへ手伝いに行きますけどっ、その玉の枝を直すなら職人を紹介することは出来ますよ。修理代金は応相談ですけど、相談したいならバンブリア商会を訪ねてくださいね。商品に罪はないんで直したいなら手を貸します」


 ちらりと振り返った先の少年は、一瞬物言いたげな表情を見せたけれど、またツンとそっぽを向いてしまった。少年も気になるけれど、倒れてしまった警邏隊員さんたちも気掛かりなので、伝えることは伝えたから気持ちを切り替えるしかない。


 ハディスに連れられて行った庭園の一角では、先程のムルキャンの使った黄色い魔力に襲われて、倒れてしまった警邏隊員が集められていた。彼らは、倒れ伏していたり、うずくまっていたりと様々な状態だけれど、黄色い魔力に全身が覆われているのは共通している。


「なんだい?手は足りているよ」


 彼らを見下ろしていた大神殿主だいしんでんぬしがちらりと振り返った。手には黒い小振りな鉢が抱えられており、その中に湛えられた水は既に見慣れた黄色い光を放っている。

 大神殿主が鉢から右手をそっと外し、警邏隊員一人一人の額にそっと指先を這わせて行く。すると、触れた場所から大神殿主の腕を昇る様に黄色いもやが吸い込まれ、鉢の中へと流れ込んで行く。けれど鉢に湛えられた水の量は変わらず、静かに水面を揺らすだけだ。


「仕舞いだ」


 蹲った格好の最後の一人から黄色い魔力を吸い取ると、大神殿主は鉢に布をそっと掛ける。慣れた動きを感じさせる、とても滑らかな所作だった。


「お前たち!もう大丈夫だぞ、しっかりしろ!」


 隊長が、一人ひとりに声を掛けて行くと、悪夢から覚めたかのようにはっと目を見開く者もいる一方で、いつまでも焦点の定まらない苦悶の表情を浮かべている者もいる。


「なんで治ってないの?黄色い魔力は取れてるのに」

「そう云うものだ。この魔力は各々の『想い』を強くする。強さはそれぞれなのさ」


 至極当然の常識を伝えるように、何の抑揚もなく神殿主が呟く。


「仏の御石の鉢ではここまで。回復するかはその者次第だよ」

「ムルキャンに、仏の御石の鉢の魔力によって強い恐怖心を植え付けられた者は、きっかけを作った魔力を取り除いても自分の作り出した恐怖の『想い』に縛られたままだってことだね。きっと」


 ハディスがわたしを見て、申し訳なさそうに、そして困った様に笑む。


「君なら彼らを勇気付けられるんじゃないかなーと思ってね。だから呼んだんだ」

「勇気ですか?わたし、大したことは出来ませんけど、ハディス様は出来ると思っているんですね」

「うん。あまり目立って欲しくないけど、占術館では君のおかげで隊員かれらは一度助かっているから。信頼されてると思うよ」


 あまり心棒者を増やしたくないけどー……と、小さく付け加えられたのはどういう意味だろう?わたし布教活動をした覚えはないけど。


「わかりました。ならやってみます!」


 彼らを勇気付けたと言えばさっきの占術館からの脱出の時よね。ならばやるのはあの時の再現よ!

 扇を開いて全身を使って大きく隊員たちをあおぐ。


「みなさんっ!もう大丈夫です!!あなたたちの頑張りで誰も怪我することなく無事に事件は解決しましたよっ!王都を守ってくれる皆さんのお陰です、さすがの頑張りです!わたし感動しました!!」


 もう黄色い魔力はないけれど「みんな元気になぁ――あれ!」の想いを込めてパタパタ扇いで回る。気分は魔法少女だ。ノリノリにこにこで隊員の間をくるくる回る。


「元気な皆さんが一番ですっ!」

「「「「「「はうっ」」」」」」


 倒れていた隊員さんだけじゃなく、なぜか元気だった隊員さんたちも胸を押さえている。何で?と首を傾げていると「もういいから……」と、ハディス様とヘリオスに引き摺られるように庭園から退去させられた。

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