第44話 中間管理職の叫びが木霊すエンディング

「馬鹿か、お前は。ラシン伯爵家の家宝をこれ以上使わせるな」


 聞いたことのない声が、背後から響いた。落ち着いた口調だけど、刺々しさを隠そうともしない声音が余計に腹立たしい。

 誰?ラシン伯爵家の家宝?あ、『玉の枝』ってムルキャンが言ってた!いや、それより馬鹿って言われたことが一番引っ掛かかってるわ。


 キッと振り返ると、思った通り、片眼鏡モノクルが「ふんっ」と鼻息荒くそっぽを向く。

 いやなに、この男――――!


「セレネ嬢!」

 ばふ・

「うぷ!」

『ガキン』ボスッ『ガンッ』ボスッ『ガガン』ボスッボスッ『ガンッ』ボスッ


 三度みたび『大ネズミの腹』『わたしのヨロケ』『大きすぎる真珠の地面めり込み』の3コンボが決まった。


「凄いです!ほんっとうに凄いです!カッコいいです、ハディス様!」


 感激にうち震えるヘリオスにジト目を向けるけど、わたしの視界は未だ大ネズミの緋色の毛束に覆われている。


「あのぉー、ハディス様?この子はハディス様のペットか子分なんでしょうか?」


 顔面に大ネズミをぶら下げたままハディスが居るであろう方を向く。ぶふっ、と吹き出す音は複数人分聞こえたぞ?ヘリオスと護衛には見えていないはずだから……誰だ?


「まぁ、細かいことは気にしちゃだめだよー。君のこと守ってくれてるから、可愛がってやって」

「モフモフはわたし好きですけど、触れないですからねー」


 もぞもぞと大ネズミが頭の上に戻る。

 ハディスが「そろそろ降りないかなぁー?」と、困った様に大ネズミに声を掛けるけど、大ネズミは移動する気は全くないみたいだ。


「ぐぬぬぅぅぅ……どこまでも邪魔だてをするつもりかぁ」


 ハディスの困り顔に癒されていると、ムルキャンに纏わりつく魔力が強くなったのか、嫌悪感が増した。今度は一体何をやりだしたの!?と振り向けば、ムルキャンに絡み付く黄色い蛇の太さが増して、先程まで以上にグネグネ動いていて……。

 気持ち悪―――い!

 理屈は分からないけど、ムルキャンが怒ることによって、魔力までが強くなってる……っぽい?いや、ちょっと!落ち着いてよぉっ


「面倒だから、そろそろ捕まりなよ」


 大神殿主だいしんでんぬしは長い溜息をつきながら、気だるげな様子を崩さないけど、ムルキャンをこれ以上煽るのは止めて欲しいなぁ!


「大神殿主ぃ?!あなたのぉっ、あなたのために私めは女神より授かった『仏の御石の鉢』の魔力ちからを広く民人たみびとに伝えて参ったのですぞぉぉ!神殿の崇高なる力を保ち、下々からの信仰を絶対的なものにするために身を粉にして働いて、女神の威光のために尽くしたことをっ、面倒などとぉっ……。占術や祈祷などといった下々との関わりを、屈辱に思いながらもこの神殿の権威向上のために我らが行ったのは、金が必要だったからなのですよぉぉお!?」

「頼んだ覚えもなければ、肯定したつもりもない。捕まって。ね」


 あぁ、ムルキャンが、怒りを通り越して愕然としてるよ。上司がこれじゃあ、中間管理職はいたたまれないねぇ。起こした騒ぎを思えばねぎらうのは止めて欲しいけど、せめて怒るとか、部下をちゃんと見てるって分かる態度を取って欲しいものよね。


「なんだ、破廉恥娘。私に文句でもあるのかい?」

「いえ、わたしには神殿の事は分からないから具体的問題点は挙げられないけど、せめて相手の顔ぐらい真っ直ぐ見て話せないかと思っただけよ」


 あまり偉い人に文句は言いたくないし、ヘリオスの視線も痛ければ、ハディスの困った顔を見てるのも心が痛むから、言いたいことは半分に留めるぞー!うん。

 そう決意していたのに。わたしの志は空振りしたのか、大神殿主はため息混じりに言葉を連ねる。


「好きで同じ神殿そしきに居る訳じゃないからね。私に何かを期待されても困るよ」


 あれれ?なにこの無気力上司。ムルキャンも自分勝手だけど、この大神殿主も大概じゃない?神殿って組織崩壊しちゃってるの!?

 ギョッとしていると「ぐぬぬぅぅぅ……ぅぅぅぅうう」とムルキャンの唸り声が聞こえて、視界の端でさらに動きを増した黄色い蛇が、いくつもの鎌首をもたげて荒れ狂っている。


「大神殿主ぃぃい!お前などっ……お前など、ふんぞり返ってばかりで我らの苦労も知らずにぃぃぃ!」


 激昂するムルキャンに呼応したかのように、黄色い大蛇の形をとった魔力が激しく首を振り、迂闊に近付いた警邏隊員は見えない魔力の圧に押し返されて尻もちをつき、あるいは突然の錯乱状態に陥る。

 取り囲んだ警邏隊員が見えない敵に怯んでいると見るや、ムルキャンはおもむろに首元からジャラリと音を立てて、先程水を取り出したのと同じ容器が幾つも連なった首飾りを引き出すと、一本取って中身の液体をまた自身に振り掛ける。


 途端、猛烈な圧迫感と嫌悪感を伴い、ムルキャンの全身が黄色く輝き始める。


「警邏隊は奴に近付くな!」


 ハディスが鋭く叫ぶ。と同時にムルキャンから発せられた幾つもの光の帯が四方に鋭い切っ先を向けたウニのように伸び、そのうちの一つが真珠の枝を絡め捕ろうとする。


「馬鹿が。ラシン伯爵家の家宝は返してもらう」


 片眼鏡がムルキャンに向けて真っ直ぐ手を向けると、光の帯は枝の前にある見えない壁に当たったかのように動きを止める。


「ぐぬぬぅぅぅ……くそっ!くそっ!!御前達のような愚物の下に就かなければならなかった私の苦労が分かるか?力も金も無ければ神殿の権威など保てぬのにぃぃぃ、お前たちはぁ、他人事の様にただ眺めるだけぇぇぇ……こんな神殿ところっっ!辞めてやるぅぅぅ!!!」


 ひと際強い黄色い光がムルキャンから放たれ、全ての光の帯が力強く地面を叩き―――。


「まて!」


 警邏隊長の叫びも虚しく、ムルキャンは空の彼方へ飛んで行った。

 飛ぶ勢いは凄まじく、一条の流れ星が空を行くかのようで、いくらわたしでも走って追うのは無理そうだった。


「ハディス様、違法商取引の犯行動機は『職場環境への不満』と、王都警邏隊の調書には残るのかしら」

「中間管理職の叫びが詰まっていたねー」


 わたしたちは顔を見合わせて力なく笑い合った。

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