閑話 バレンタインの出来事

別サイトではバレンタインデー前日に上げていたのですが、時季外れで申し訳ないです‥‥ホワイトデー間近ではありますがお届けします。

甘いお話になるといいのですが‥‥?


―――――――――――――――――


 もともと、この世界には前世で好きな人や友達、自分へのご褒美としてチョコレートを用意した『バレンタインデー』の様なイベントは存在していなかった。


 けれど幼い日のわたしが、前世の記憶のまま、この日にテラスヘリオスに向けて、湯煎で溶かしてハート形に固めただけのチョコレートを「だいすきな殿方へ、気持ちをあらわすあまーいチョコレートをおくる日なんですよ」と説明して贈った。すると、涙を流さんばかりに……いや、流れてたかな?とにかく舞い上がった父と、天使のほほえみで受け取った弟の可愛さから、このイベントを止めるにやめられなくなり、現在に至っている。


 14歳となった今年も、なんだかそわそわしだした父と弟に苦笑いをしつつ、母とともにキッチンに立つ。

 いつもは忙しいはずの母も、この年に一度の簡単お菓子作りの日を楽しみにしているようで、毎年僅かではあるけれど時間を捻出してくれる。


「ねぇ、セレネはテラスとヘリオス以外にチョコレートをあげたい相手はいないの?二人の分は私が用意するから、構わずそっちを優先して作っちゃいなさいな」

「相手ですか?」


 と言っても浮かぶのは、家族や使用人たち、商会員たちだけれど、母の言っているのはそう云う面子めんつではないだろう。一瞬、先日緊張の面持ちで卒業祝賀夜会へのエスコートを申し込んできたメルセンツ・ヴェンツの顔がよぎるが、あの先輩はあり得ない。何故に婚約者がありながら、わたしへ声を掛けてくるのか理解に苦しむ。しかも家格の力関係から、断ることもままならない。

 ふぅ―――っと重い重い溜息をついたわたしに母が苦笑する。


「セレネ、あなたがバンブリア商会かぎょうの事を第一に考えてくれるのは嬉しいけれど、でも婚約者はあなた自身の眼鏡にかなった相手にするのが良いと思っているの。もちろん、私やテラスがふさわしいと思う相手を選ぶことも出来るけれど。セレネは自分の思うまま進むのが良いと思っているわ」


 母の手元では、おそらく丸いトリュフを作ろうとしたのだろう。なんだか歪な握りこぶしが量産されている。その塊にそっと手を伸ばし、3つに分けて母に返す。母は苦笑しつつ小さな塊をコロコロ転がして小さな球にする。


「お母さま、わたしはまだまだ商品開発が楽しくて、恋愛ごとに心を砕く余裕はありません。ですので、今回のチョコもお母様にお父様、ヘリオスの分があれば充分ですわ」

「あなた、その年齢としでそんな中堅女性商会員みたいなことを言わないでよ……」


 少々ショックを受けたような母に、困ったなぁと思うけれど、どうしようもない。まさかメルセンツや、他の適当な令息に渡すわけにもいかないし。試供品プロモーションとしてなら、いくらでも渡せるのだけれど。




 そんなやり取りを思い出しつつ、あれから二ヶ月近くが経過した本日、わたしは再び自室のミニキッチンで手作りトリュフを作ってラッピングし、目当ての相手を探して廊下へ続く扉を開ける。


「あ、ちょっとセレネ嬢、バンブリア男爵に自室で謹慎しなさいって言われたでしょ!出てきちゃだめだよー」


 廊下の向こうから、赤髪をふわふわ揺らしながらハディスがのんびりとやってくる。


「目ざといわね。少しは油断してくださいよね」

「いや、ちょっとでも気を抜くと、君の行動範囲予想の上を行くから。一瞬で10歩分くらい進んじゃうから」

「わたしは馬車ですか」

「全力の君は近いものがあるでしょー。付いてくの大変なんだよ、もぉ」


 ついこの間の狩りで、全速力で走りはしたけど、馬むすめ扱いされるなんて。まぁ、それに難なく付いて来た赤と白銀がいたけれど、いつもの慣れた狩りだったわたしはともかく、突然の出発で、初見でぴったり付いて来たこの人たちの方が、とんでもない能力があるんじゃないかなぁ!?


 目の前まで来たハディスを見上げる。


「この前は、いっぱいトレントを運んでもらって助かったから、お礼をしなければと思っているんです」

「お礼なら、ちゃんとお給金は貰ってるよー。僕が手助けしたって恩だけ感じておいて」

「ほほ、ご冗談を。ただほど安いものはないですから、しっかりお返ししておきますわ」


 どうぞ、と甘い香りの漂う桜の透かし模様の入った紙の包みを差し出すと、ぽかんと口を開けたハディスのあまりに間の抜けた表情に笑いがこみあげて来る。そっと取り出したトリュフを指でピンと弾いて開いたままの口に、飛び込ませると「ぐっっ」とくぐもった声を上げてから、もぐもぐと口を動かして、恨めしそうにこちらを見た。


「我が家の習慣です。ほんの気持ちのチョコレートのお菓子ですわ」

「――っうん。ありがとう……斬新な渡し方でなければ、ほんとに嬉しかったよー。まさか、この窒息必至の方法までセットでバンブリア家の習慣なんて言わないよね」

「さぁ?どうでしょうか」


 にいっと、口角を吊り上げて残りのトリュフの入った包みを手渡すと「魔王……」とボソリと呟く声が聞こえた。そうかそうか、そんなこと言う奴には今度からこの渡し方で充分だな。


「おや、赤いのの息の根は止められませんでしたか?お望みとあればお手伝い致しますが」


 ふわりと、真後ろの空気が動いたかと思うと、テノールの良く響く声が耳元をくすぐる。ちょっぴりビックリしたけれど、大分わたしも慣れた。


「出たわね。いえ、来ると思ってたわ」


 驚きの声は上げずに澄まし顔をなんとか保って、身体全体でくるりと振り返ると、目の前にアイスブルー。


「ふぁっっ!」


 不覚!思わぬ顔面超至近アップ攻撃に叫び声が出た。なんで屈んでいるかね!バクバクする心臓を宥めつつ、こちらも腹立ち紛れに、もうひとつ用意していた紙包みからトリュフを取り出して口めがけで指で弾くが、至近距離にも関わらずオルフェンズは簡単に左手でパシリと受け止めてしまった。


「本当に桜の君は興味深い。これは一体なんの戯れでしょうか?」


 掴み取られたトリュフは、長い指の先に摘ままれて、わたしの口に戻って来た。


「むぐっ。ちょっと!これはあなたにあげたものなのに何でわたしが食べてるのよ。もぐっ」

「あぁ……そうでしたか」


 ようやくオルフェンズに渡せると、ほっと息をつきながら紙包みを差し出したわたしの手を見つめて、ピタリとオルフェンズが、動きを止める。


「オルフェ、どうかした?」


 じっと見つめられる紙包みを摘まんだ指先に、つられて視線を向けると、トリュフにまぶしたココアパウダーが付いている。さっきから、ハディスにオルフェンズにと、弾いていたせいだ。


「有り難くいただきますね」


 紙包みを持ったままの手を右手でそっとすくい上げ、逆の手で包みを受け取ったオルフェンズは、けれど既に何も持たないパウダーで汚れただけのわたしの手を離そうとせず……その指が静かに持ち上げられ、勿体付けるような緩慢な動作で、真っ赤な唇に舐め取られる。


「―――っ!」

「っオルフェンズ!」


 絶句したわたしとは対照的に、ハディスが叫ぶと、オルフェンズは薄い笑みを口元に浮かべてふわりと距離を取る。


「確かに頂きました」


 背筋が寒いのに顔は沸騰したかのように熱くて仕方がないなんて奇妙な感覚に、目の前がぐらぐらする。

 こっ……この吟遊詩人は、なんでこんな突拍子もない行動をすんのよ、全くもって理解できないわっ!

 はっ!そう云えば最近こんなとんでもない行動をする人をやたら見たじゃない!そうよ、きっとそうだわっ。


「はっ!ハディス様っ!もしかして今のトリュフに黄色い魔力がついてませんかっ!?」

「いやー、何もついてないねー。って言うか、これは吟遊詩人のいつも通りなんじゃないかなー」

「ふふふふっ。分かりませんよ?私が不思議な魔力に捕らわれていないと、どうして言い切れますか?私の姿すら正しく捉えられているとは限らないのに」


 怪しく微笑んで、紙包みから取り出したトリュフを一つ、自らの口にそっと入れたオルフェンズは、わたしの部屋の窓を大きく開けると、振り返る何気ない仕草のままにハディスに短刀を投げつけていた。


「こらっ、オルフェ!家具に傷が付いたらどうするのよっ」


 すかさず手にしたクッションで、短刀を叩き落したわたしに、ハディスが頭を抱える。「えぇぇー、僕より家具の心配ー?」などとぶつぶつ呟いているけど、わたしが当てさせるわけが無いんだから問題ない。家具に当たることなく、カーペットの上に短刀が転がる。


「ごちそうさまでした。美味しかったです」


 機嫌のよさそうなテノールが聞こえた時には、もうその姿は部屋から消えていた。


「吟遊詩人に先を越されたけど、僕も美味しかったよー。ありがとね」


 ハディスが、大きな掌でわたしの頭をポンポンと二度軽くたたく。


「これで貸し借りは無しねっ!」


 満足してもらえたようで何より!と力強く宣言すると、ハディスは「えぇ――…」と、引いたように顔を引き攣らせた。


 本命チョコだとでも思いましたか?残念でしたー。

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