第16話 いや待って!それ飲んじゃだめだわ!!

 ドッジボール会場は異様な盛り上がりを見せた。


 はじめて見る目新しい競技であると同時に、ボールがぶつかったら負け、と言う単純明快なルールがご婦人にも好評だった様だ。

 勝負を単純にするのと、ボールがあまり弾まない物だったため外野に出たり入ったりと言うルールは無しにした。


「さあさあ、残るはお前一人だ!」


 ボール片手に、逆の手でびしりと令息を指差すメルセンツ。そして、良い笑顔で少し離れた位置にいたわたしを振り返る。


「セレネ嬢は私の後ろに隠れていてくれたまえ」

「いえ、固まらない方が良いのです」


 ドッジボールの鉄則。

 なんだけど、即座に返したわたしにメルセンツは悲しそうな瞳で見つめる。ドナドナですか……。


「それ!」


 メルセンツの手を離れたボールは山なりの弧を描いて相手コートに落ちて行く。

 パシりと小気味良い音を立てて相手令息が受けとれば、メルセンツがバックステップで下がってくる。


「勝負はここからだー!」


 叫びながら投球する相手令息に、観戦する令嬢が「きゃぁー」と黄色い悲鳴をあげる。

 ボールは、低い位置を飛び、メルセンツの足元を縫うように抜けると、わたしの元まで飛んでくる。

 低すぎるボールの軌道に軽く右足を振り、ポンと蹴りあげる。


「やった!」


 投げた令息が会心の笑みを見せ、また黄色い悲鳴が上がるが、残念でした。ボールを右手片方で受け取るキャッチすると、そのまま大きく腕を回して勢いをつけ、ほんの少~し魔力を乗せて投げ返す。


「ボールは地面につかなければアウトにならないのよ!」


 びゅぅん


 空気を切り裂く鋭い音が響く。


 ドグッ

「ぐ」


 鈍い音と共に、令息がボールの当たった鳩尾みぞおちを両手で押さえながら体を二つに折る。

 わたしは相手コートに進み入ると、令息の足元に転がったボールを拾い、笑顔を浮かべて右手を差し出す。


「いいファイトだったわ!」

「ぐ……あぁ、俺たちの完敗だ」


 口元の胃液を拭いながら、令息が握手に応じると、周囲のギャラリーからはまた悲鳴と、ほぅ・と言う溜息が聞こえる。

 良かった!無事に決闘騒ぎを乗り越えたわよ、お父様!


「これからも、変わらず我がバンブリア商会と商品をご贔屓にね!」

「ぶふぉ!」


 噴き出したのはハディスだ。何故だ!?場をめるための、とどめの令嬢スマイルなのに解せぬ。

 と、その時、背後の自陣だった場所から弱弱しい声が響く。


「良かった……セレネ嬢が無事で。今度は……私は君を守りきれたんだね」


 何故か地面に横たわっているメルセンツが、感慨深げに私を見ている。何でさっきまで軽やかにバックステップしていた人が倒れているんだ?


「そっちの金のは」

「ひ!」


 相変わらず足音と気配の察知できないオルフィーリアが、突然私の横に現れる。心臓に悪い。


「後退しながらボールを避けた拍子に足を挫いて倒れていた。皆あなたの可憐な立ち回りに見とれていて、ほとんど気付かれてはいないが。だから立ち上がれていないだけで、あなたが気に病む事は微塵もない」


 ハディスがメルセンツに肩を貸して、立ち上がらせている。直後、ヴェンツ伯爵夫人と思しき金髪の女性が駆け寄ると、フォーレン侯爵夫人も歩み寄る。


「フィデリア様、重ね重ね申し訳ありません」

「いいえ良くてよ、私は不問とすると言ったじゃない。この子たちはよくやってくれて、私もゲストの皆様も充分に楽しませていただいたわ。それに、クーペルノも、メルセンツも……昔からの仲じゃない。そんなに気を遣ってはいやよ?」


 おや、フォーレン侯爵夫人と、ヴェンツ伯爵夫人にメルセンツは仲良しさんでしたか。ほう、だから今回のお茶会にかこつけてメルセンツとわたしを近付ける場が出来てしまったと。

 眉間に苦々しく皺が寄らない様に堪えながら、そっと聞き耳を立てる。立ち聞きじゃないよ、大口顧客の交友関係を知るための市場調査だよ?ふひゅーひゅー♪


「久しぶりにこの子の憑き物の取れたような、闊達な姿を見ました。スポーツは素晴らしいものですわね。これで祈祷師の占いに傾倒しがちなこの子も、少しは目を覚ましてくれると良いのですけど」

「母上、占いなどと……それは関係ないでしょう。私ももう学園を卒業する年齢です。この年齢で屋外を走り回る貴族はいないでしょう。それにフォーレン侯爵夫人から折角いただいた機会ですから、私はこの時間を無駄にしたくありません」


 メルセンツが母親に食って掛かるように口を挟むが、足が痛むのか、まだハディスに支えられたままで、首だけを巡らせてわたしを見遣る。


「セレネ嬢、私と少しでいい、一緒に話をしてくれないか?」


 ちょ……待ってよ!何で大口顧客が居る前の断り辛い状況で、そんな無理言ってくるかなぁ?フォーレン侯爵夫人とヴェンツ伯爵夫人は「あらあらまあまあ」と、微笑ましいものを見る目でわたしたちを見比べている。どこでそんな誤解が生まれた?

 小さくため息をついて、できるだけ冷静にメルセンツに語り掛ける。


「この場でお伺い致しましょう。そもそも、わたしはメルセンツ先輩についてほとんど面識も交遊もありませんから。2人きりというのは、いけません。わたしも曲がりなりにも貴族の娘ですから抵抗があります」

「そんな……知らないなんてことはないだろう?セレネ嬢は私のことを誰よりも良く解ってくれているじゃないか!好みの紅茶や、菓子、それらが無くなる頃にはそろそろいかがですかと声を掛けてくれる心遣い。セレネ嬢が勧めてくれる生地でドレススーツを作って似合わなかった試しは無いし、寒くなる頃には風邪をひかないようにと小型ストーブやカイロを勧めてくれたこともある!衣食住全てにおいてセレネ嬢ほど私のことを気遣い、解ってくれている女性はいないんだ!!私には分かるよ!自分を偽る必要はないから」


 ぶぐ……!

 吹き出しきれなかったハディスが、細かく肩を震わせている。自重じちょうはしたんだろう。わたしも他人事なら笑う。そんなことでわたしは命まで狙われたのかと思うと怒りが込み上げてきそうだけど。夫人たちも小さく息を飲んだ様だから、わたしとメルセンツの間のズレには気付いたんじゃないかな。


「商人ならば、お得意様の好みや、お勧めした物の切れる時期を把握しておくのは最低限の嗜みです。そんなことを言っていたらわたしは学園ほぼ全員を懸想するおかしな女になってしまいますよ。そんな訳なので、メルセンツ様はアイリーシャ様にちゃんと謝ってはいかがですか?」


 ハディスをギロリと睨みつけてから視線を下に向け、メルセンツの足首の状態を確認すると、少し腫れてきている気がする。


「なによりその怪我の手当てを早くしたほうが良いと思います」

「やはりセレネ嬢は私の身を案じてくれるではないか……心配はいらないよ。こんな怪我、これを使えばすぐに治るさ」


 しゃらり……

 と、メルセンツの首元から細やかな銀の鎖につながれた小瓶が出て来た。

 透明な小瓶の中には無色の液体が満たされており、鎖と繋がった蓋を開けて中身を出す事が出来る様だ。バンブリア商会うちでは見たことが無い商品だ。

 何気なく液体を観察していると、メルセンツは迷いない手つきで蓋を開け、一気に煽ろうと瓶を口元に寄せ……。


「すとーっぷ!待って待って!!」


 いや待って!それ飲んじゃだめだわ!!

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