第3話 ピンク髪乙女に転生したんですが、これってヒロインでしょうか?

「ピンク髪の女の子が出てくるお話は、うつアニメか乙女ゲームのヒロインが多いんだって」


 そんな会話をした記憶が甦る今日この頃。

 あれー?わたしの前世の記憶って、これまで景色ばかりかと思っていたけど、話した内容も残っていたんだー。なんて感慨に耽りつつ、ぼんやりと目の前の光景を眺める。


 視界を埋めるのは、緑色に濁った水と、辛うじて桜色だとわかるわたしの髪。


 あぁ、こんな死んだ色の水なんて絶対に口に入れたくないなーとか、桜色の髪のはずなのに、水の緑色に影響されて、まるで金魚藻や昆布みたいに見えてくるわーとか……。


 ぼんやり他人事の様に眺めていた ら


 ごぶっ ぐぶぉっ


 胸の奥から込み上げてきた空気が、わたしの口をこじ開けて目の前に大きな泡の塊をつくった。


 えっ!?これってわたしピンチなんじゃないの??

 いや、間違いなく生命の危機でしょ!息苦しいし。


 とにかく空気を吸わなきゃ!

 と、わたしの口から離脱してしまった泡の行方を追って泳ごうと手足を動かそうとするけど、あいにくわたしは茶色い布での巻き状態継続中だ。

 一本の棒みたいに括られた胴体と、上の部分からふわふわと桜色の髪が見えている状態で、ちびっこ演劇の桜の木役ならこうだろうって格好だ。かっこ悪い!


 こんな格好での最期なんて冗談じゃない。


 普通のご令嬢ならここで力尽きて沈んでゆくだけだっただろうけど、わたしは過去何度も身代金目的の誘拐に見舞われ、それを切り抜けるための努力もし、そして切り抜けてきたんだから。なめてもらっちゃ困る。


 最初に布の上から縄をかけられたときに、咄嗟に身体と腕の間に空間をつくるようにして縄を解く足がかりをつくっておいたから、ぐっと両腕に力と魔力を込めて簀巻きから両腕を出す。

 前世の記憶の中の小さな箱の中の映像で見たような、大きな火の玉を飛ばしたり、風の刃を飛ばすような、身体から離れても維持できる魔力を扱える者は、この世界に生まれてから見たことが無い。

 代わりに、自分の体の中に魔力を巡らせて、普段以上の力を出す技術を身に付ける。

 まあ、それを学ぶのは専ら戦いに赴く必要のある令息ばかりなのだけれど。


 腕を簀巻きから開放して、さらに布を体から引きはがし、こんどこそ完全に自由になった身体で水面を目指す。


 必死で水を掻き、両足をバタバタと交互に動かすが、想像するより沈んでいたらしくなかなか湖面をとらえる事ができない。

 頭がくらくらし始めたところで、ようやくわたしの手がバシャンと音をたてて水を撥ね、ぐわりと大きく開けた口に空気が飛び込んできた。


「ぶっは――――! 死ぬかと 思ったぁぁ」


 と同時に、視界にかいを操る手を止めてこちらを見ている黒装束が乗った小舟も飛び込んでくる。


「やっば……」


 さらに全身に魔力を巡らせ、勢いよく水を掻き、水を蹴る。猛然としたスピードで泳ぎ出す。前世の記憶をもとにひそかに鍛錬してきた泳ぎ『クロール』だ!

 いろんな泳ぎ方を練習したけど、この泳ぎ方が今世で知った泳ぎも含めた中で一番速かった。


 黒装束がまだ近くにいる以上、命の危機は去っていないし、恥も外聞も気にしてなんかいられないじゃない!


 がむしゃらに泳ぎながら向かうのは、かすかな喧噪と明かりが漏れる、黒く塗りつぶされた景色の一角。間違いなく夜会会場だ。

 あそこに辿り着ければ、さすがにすぐに殺されることはないはず。




 過去最速を記録するんじゃないかと云う文句の付けようのないクロールだったと思う。誰かに褒めて欲しいくらいだけれど、披露することになった相手が黒装束だったからそれは諦めておこう。


 最初、小舟はわたしの後を追走していた。けれど、徐々に速度を落とし、夜会会場へとつながる、湖面にせり出したバルコニーにセレネが手を掛けると、静かに船首を少し離れた湖岸へと向けていた。


 そして、瀕死の思いで辿り着いた夜会会場で待ち構えていたのが、あの婚約破棄の場だった。


 いやほんと、勘弁して!?




――― 黒装束side ―――


 優雅に力強く手足を動かし、少女が水上を滑って行く。彼女の上げる飛沫が、月光を孕んで輝き、星を纏っているかの様だ。その姿を静かに見送りつつ、充足感に満ちながら深く息を吐く。


「よもやよもや……ひと時だけでなく こんなにも心躍る時をいただけるとは」


 静かに、真実たのしそうにつぶやく声は、心地良く響くテノール。けれどそれは安堵をもたらすものではなく、底知れない執着を感じさせるものだった。

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