アイドルだった妻。

夕日ゆうや

コリコリ触感の肉炒め

 俺は飲みの席ではうるさい方だ。

 そんな俺に業を煮やしたのか、妻はよく作ってくれた。

 砂肝、牛タン、軟骨をニンニクと一緒に炒める。ニンニクはすりおろした奴と固形のままの奴が混じっている。

 俺はそのコリコリの触感を楽しみながら酒をあおる。名を〝コリコリ触感の肉炒め〟とでもしようか。

 分かっている。このままでは、妻は病死してしまうと。でも俺の稼ぎじゃ、病院にも連れていってやれない。

 どの病院もワイロが必要だ。

 同じ医者でもチップがあるかないか、によって客を分ける。

 半日経った今でも、ようやく受けられる診断。

 でも、その診断内容も短く、たいした問診も聞けない。

 俺は自宅に帰ると砂肝、牛タン、軟骨を炒めた料理を出す。

「これを好き好んで食べるのはあなたぐらいよ」

 妻の厳しい洗礼を受けながらも、妻は食べてくれた。

 ご飯と肉を食べていれば、今後も生きられる。

 そう思っていた。

 でも違った。

 妻の昌子まさこは病状を悪化させ、医者の言葉を聞くことなく、力を失っていく。

 弱った彼女から教わった料理を作ってみるが、どれもおいしくない。

 やはり《コリコリ触感の肉炒め》でなくては酒も飲めない。

 妻が床に伏せてからはおかゆを作ることが多くなった。

 〝元気いっぱいのおかゆ〟と名付けたおかゆ。その中には漢方で使うような食べものも入れて。

 料理が嫌いだったわけじゃない。むしろ好きな方だ。

 それでも彼女は小さな口を開けて、食べる。

 それが明日の活力につながるのなら。

 でも妻は食べるとすぐに寝てしまった。

 これからどうすればいい。

 妻は起きる気力さえ湧かない。

 このままでは、起き上がれずに介護をしなくてはならない。

 そんなのは彼女らしくもない。

 アイドルであった彼女らしくも。

 みんなに希望を与え、幸せを運ぶ、それがアイドルというものじゃないのか?

 なんで彼女は今はもうアイドルであることをやめてしまったのか。

 俺は様々な料理を作り、彼女を楽しませた。

 でも、それでも彼女の気持ちは代わらない。

 もう死期を悟っているのかもしれない。

 それでも俺は生きて欲しかった。

 彼女に強く生きている意味を与えたかった。

 すぐには無理でも生きているのなら、素敵な事があると信じて欲しかった。

 俺には無理でも、彼女のファンからは素敵な声が聞こえてくるはず。

 元マネージャーの俺が言うことでもないが、妻は最後の最後まで我が儘であるべきだ。

 俺のことなんて気にしなくて、我が儘であるはずだ。

 でも、彼女はそんな顔を見せない。

 まるで俺を慈しむように。俺を愛しているように、微笑むのだった。

 そんなのは嫌だ。

 俺は妻がそのままの姿で生きるのを望んでいる。

 彼女が忘れてしまったものを取り戻すために生きているのだと、実感したかった。

 子どもの頃から親から見放され、生きる道を失った彼女。

 唯一、芸能界にのみ、希望を見いだし、子役として活躍する毎日。身体の傷を見せると、必ず大人たちが彼女の両親を問いただす毎日。

 彼女は稼ぎ頭として両親を救った。いや、自分を救ったのかもしれない。

 そのお陰で虐待もしなくなったが、それでも両親の旅行に置いていかれ、一人寂しく生きてきた。

 そんな彼女を陰ながら一人で見ていた、ディレクターの子どもである俺。

 俺が大きくなる頃には彼女の面倒をみることになった。

 俺が得た知識は親のもの。

 盗み見ていた知識が役立つ幸福感とともに、罪悪感も生まれた。

 どんなことがあっても彼女の盾になるつもりが、いつの間にか保身に走っていた。

 それでは彼女は守れない。

 守れないから、彼女を助けることなんてできない。

 気を引き締めて、俺は彼女の生きる道を探した。

 彼女が芸能界で生きていくための道を。

 俺にはできない。だが、彼女ならできる。

 そう思い、必死に営業をした。今まで触れたことのない人とも仲良くした。

 時には飲み過ぎて吐いたこともあるけど。でもそれでも彼女には道を開けておいてほしいと思った。

 広がった窓口ならきっと生きていける。

 そう思ったからこそ、ソリの合わない人とも飲んだ。

 一緒にこれからのアイドルについて語り合った。

 これから先、みんなのアイドルになりえるのは彼女だとそう伝えていった。

 俺は独りよがりで格好悪いかもしれないが、それでも彼女に笑顔でいてほしいと思った。

 枕営業なんて一切していない。そんな純白で美しい彼女を、みんなが見守ってくれていた。

 俺の自慢の彼女だ。

 それが年をとり、疲労して行く中で俺は美貌について考えていた。

 人はやがて老いていく。

 それを知っているのか、芸能界は若い者を雇う気があるが、熟年は本当に少ない。

 このままでは芸能界引退もあり得る。

 そう思った俺は最後に彼女の思いをエッセイにしたためることにした。

 その中で〝コリコリ触感の肉炒め〟はみんなの心をつかんだ。正確には、酒飲みの心を。

 彼女の発案したレシピには〝爆弾おにぎり コリコリ触感の肉炒め〟といった、新しいレシピが書いてあった。

 彼女の残したレシピや言葉は偉大であった。

〝死ねと言われたので、死ぬ気で頑張ってみた〟など。

 彼女の力強さが覗える。

 その彼女ももういない。

 俺は一人になった。


 一人で晩酌をし、〝コリコリ触感の肉炒め〟を食べる日々。




 妻よ。ありがとう。

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