ep.26 緊急事態
亮真と夏海は山内の自宅マンションの管理人室に飛び込んだ。白髪で細身の男性があまりの勢いに腰を抜かしそうになっている。
「驚かせてすいません。山内啓太さんの部屋を開けてください!」
夏海は警察手帳を示して、管理人を急かす。だが、彼は動こうとしなかった。
「ついさっきも男の人が来て、部屋を開けたところだよ。まだあの人は部屋にいるんじゃないかな。鍵も開いてると思うよ。その人は・・・」
「どうも!」
亮真は言葉を最後まで聞くことなく管理人室を飛び出してエレベーターに向かう。夏海は「ありがとう!」と礼を伝えて同じく駆け出した。
こういうとき、短距離走の選手だった亮真について行くのは大変で、彼がエレベーターのボタンを押して、扉が閉まる直前に身体を滑り込ませる。
「危ないな。もうちょっとで挟まるところだったぞ」
「だったら、ドア閉めるの遅らせてくださいよ」
文句を言いつつも、ふたりは同じことを考えていた。先に山内の部屋に入っている男は、朔那だ。
山内啓太が母の弟、自らの叔父であることに気づいた朔那なら、彼が復讐のために一連の事件を起こしたと考える。そして、部屋を探せば、最後のターゲットになるTTの情報があるかもしれないと考えた。
エレベーターの扉が開いて、亮真は再び瞬間的に加速した。走り出してほんの二秒ほどで、夏海は五メートル以上距離を離された。
獲物を見つけたチーターのような俊敏な動きで山内の部屋の前に到着すると、静かにドアノブを回す。
扉は鍵がかかっておらず、亮真は夏海を見ると、ゆっくりと引く。
室内は薄暗く、人の気配はない。
ふたりは警戒しながら廊下を進み、奥にあるリビングに入った。
部屋は無残に荒れており、本が床に散らばり、椅子は倒れ、食器も割れている。朔那が調べたにしては少々手荒いが、この状況に彼は焦っていたのかもしれない。
亮真は床に落ちていた小さな写真立てを拾った。
写真の中では、病室のベッドの上に座る幸せそうな女性と、彼女の腕に包まれた赤ん坊、そして、彼女のそばでふたりの男性が笑っている。
「これは、朔那くんか」
「そうみたいですね。琴音さんと、実誠さん、そして、山内啓太でしょう」
まだ若いが、二十年前の写真からでも山内の面影は確認できる。
こんなに幸せに笑っていた彼らの生活は、数日後に一変した。琴音が亡くなり、実誠は男手ひとつで朔那を育てることを決意した。
だが、妻の死に疑問を抱いた彼は病院で行われていた違法な臓器移植について調べ、朔那が七歳の頃に殉職。朔那はその後、九十九家という裕福な家庭に引き取られ、親の愛情を受けないまま育つことになった。
経済的なゆとりがあるだけ恵まれていたのだろうが、きっと彼も、お金よりも大切なものがほしかったに違いない。
亮真が写真立てを棚の上に置くと、背後に気配を感じた。
咄嗟に拳銃を抜いて振り返ったが、それは強い力によって弾かれ、同時に腹を蹴られて壁に背中を打ちつける。
夏海は腹を殴られそうになるが、空手の経験から両腕で直撃を免れた。ガードの上からでも体ごと飛ばされる大きな力に、彼女も壁に背中を預ける形になった。
「何者だ?」
亮真は肺が麻痺している感覚に耐えながら、正面に立つ男を見上げた。日本では珍しい大柄な身体に、日本人でも珍しい和服を着た若い男だ。
夏海は体勢を立て直し、戦闘態勢をとる。
駄目だ。空手で全国二位になった夏海でも、この男には勝ち目がない。
「工藤、逃げろ!」
「先輩を置いてはいけません!」
「ん? その赤バッジ、警察?」
大柄な男は動きを止め、両手を挙げた。
「どういうことだ?」
突然攻撃を仕掛けてきた男は、なぜか相手が警察だとわかるとすぐに降参の意を示した。
「俺、白幡虎徹と言います。朔の、九十九朔那の友人です」
「なんで、ここに?」
「朔に頼まれて。山内って人の甥のふりして鍵を開けてもらったんです。そしたらクローゼットの中に男の人がいて、助けてくれって。なんのことかわからなかったんですけど、急に変なやつらが入ってきたんですよ。それで追い払って、こんなことに」
虎徹という青年が言っていることが理解できないが、リビングが荒れているのは朔那の仕業ではないらしい。そもそも、彼はここに来ていない。
「あの、さっきの、罪になりますか? おふたりが刑事だって知らなくて。本当に申し訳ない」
「まあ、そのことはいい。それより、その男はどこに?」
なんとか立ち上がったが、亮真は背中と腹の痛みで表情を歪めた。
虎徹に案内されて風呂場に向かうと、浴槽の中で怯えている男が見えた。亮真は膝をついて、男に近づく。
「竹中秀治さんですね。警察です。何があったんです?」
「助けてくれ! 殺される!」
酷く怯えているようだが、山内啓太に殺されるという意味だろうか。この家に監禁されていたのであれば、彼の仕業に違いないが、様子がおかしい。
「大丈夫。ここに山内はいません」
「違う! やつらに狙われているんだ! 臓器移植をしたことは認めるから、保護してくれ!」
「やつら?」
「殺される!」
取り乱した竹中とまともに会話ができそうにない。亮真は竹中を落ち着かせて、夏海に応援を呼ぶように指示をした。
彼女は一ノ瀬に電話をかけるが、捜査員はすでにこちらに向かっているらしい。一ノ瀬の判断なら、彼の責任問題になるのではないか。
だが、一ノ瀬は、俺は桐生さんに育てられた刑事だからな、となぜか笑っていた。
「そのやつらってのがわかりませんが、さっき入ってきた男たちがそうだったのかもしれない」
「一体何があったんだ? 聞かせてくれ」
虎徹の話によると、彼が山内の部屋に入ってすぐ竹中を見つけたが、彼は酷く怯えて虎徹に助けを求めた。そして、急に男たちが数名室内に入ってきて、竹中を連れて行こうとしたところを虎徹が返り討ちにしたらしい。
まだ来るかもしれないと竹中を浴槽に隠し、入ってきた亮真と夏海を先ほどの男たちの仲間だと思ったそうだ。
竹中が臓器移植や、臓器売買に手を染めていたとして、臓器を取引するためのルートには、必ずもっと大きな組織が関与しているはずだ。
竹中は、余計なことを喋らないよう、その組織に消されそうになったというところだろう。
「君は強いんだな。組織の人間を相手にしてひとりで戦ったのか」
「まあ、喧嘩は負けたことないですよ。唯一勝てなかったのは、朔くらいか」
虎徹のその体格を見るだけで、ほとんどの人間は勝ち目がないと戦意が喪失するだろう。落ち着いた雰囲気の着物ではあるが、なぜか彼をさらに屈強に見せている。
唯一勝てなかったという朔那も、実はものすごく強いのかもしれない。
「それで、朔那くんは今どこに?」
「そうだ、行かないと!」
虎徹が何かを思い出して玄関に向かって駆け出した。
亮真は急いであとを追うが、竹中をひとりにしておくことはできない。夏海もまた、部屋を飛び出し、迷っているようだ。
すると、サイレンの音を立てて、パトカーがマンションの駐車場に流れ込んできた。
ちょうどいい。ここは彼らに任せよう。
「工藤、行くぞ!」
「はい!」
事態は想像していたより、遥かに厄介なようだ。
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