ep.25 本当の被害者

 九十九グループの本社ビルの受付で、山内啓太はアポイントを取っていたことを伝えると、ゲスト用の入館パスを渡された。


 さすが大企業と感嘆する巨大なビルはセキュリティが万全で、エントランスからロビーまで警備員が常に目を光らせている。


 このパスがないと、ロビーより奥のエリアには入れない。駅の改札にICカードをタッチする要領でパスをかざすと、行手を阻む障害物は簡単に取り除くことができた。


 その奥にあるエレベーターで、最上階を目指す。目的は、この大企業のトップにいる九十九椿、TTに会うためだ。


 あのメモを持っている朔那なら、遅かれ早かれこの一連の殺人事件と違法な臓器移植が関係していることは突き止めただろう。


 金城が亡くなった翌日に会社に足を運んでくるのは想定外だった。


 念には念を入れ、彼には直接会わないようにしたが、別の人間に対応させて、そのことから警察に目をつけられるのも厄介だった。


 山内くんには申し訳なく思っている。


 彼はこの件にはまったくの無関係な人間だが、同じ名字であることを利用させてもらった。彼が無実であることは警察が無能でない限り気づくだろう。


 エレベーターはみるみる上階へ登って行き、次第に減速して目的の階で止まった。扉が開き、廊下に足を踏み出す。


 社長室はこの奥か。山内はこの先で待っているであろう、長年会いたかった女性に胸を躍らせた。


 しかし、それは恋のような甘いものではなく、もっと黒く、汚い感情からくる慟哭だ。



 「山内様、お待ちしておりました。こちらへどうぞ」



 グレーのスーツを着て、長髪を束ねた若い女性が廊下の先で頭を下げる。


 こういった大きい企業になると、秘書課という部署があり、社長のスケジュール管理や、外部の人間との連絡を代行する専門職の人を雇っている。


 これだけ綺麗な女性なら、金城は社長という立場を濫用して私的な関係を迫ったかもしれない。


 彼は女癖が悪く傲慢で、結果的にひとりで生きていくことになった。なんとも皮肉な話だ。


 社長室と表示がされた扉の前で彼女は立ち止まり、こちらを見た。



 「九十九は室内におります」


 「ご丁寧にありがとうございます」



 山内がお辞儀を返すと、秘書は廊下を去って行った。これから先の出来事に巻き込みたくはない。


 扉を三回ノックすると、室内から「どうぞ」と声が聞こえた。ゆっくりと扉を開けて顔を覗かせると、何度もインターネットや雑誌で見た女性が立っていた。


 ようやくこのときが来た。失われた二十年を精算しよう。



 「株式会社GCの山内と申します。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」


 「こちらこそ、金城社長のことはとても残念でした。御社はこれから、山内専務が社長をされるのですか?」


 「いいえ、私はトップの器ではありませんので、誰かに託しますよ。他にやらなければならないことがありますから」



 山内は椿と向かい合ってソファに座ると、先ほどの女性がお茶をトレイに載せて室内にやってきた。



 「どうも」



 秘書が立ち去ったあと、椿は口を開いた。



 「犯人は見つかっていないようですね」


 「ええ、警察も捜査をしてくれていますが、証拠も見つからないようでして。金城は経営者としての才能はありましたが、人間性は万人受けするものではありませんでしたから、恨んでいる人間も多少いたのでしょう」


 「それが経営者です。ときには冷静に、誰かにとって酷な決断を迫られるときもあります。私も誰に恨まれているかわかりません」



 そうだろう。お前もきっと、たくさんの人間に恨まれているはずだ。


 そして、その中のひとりは、目の前にいる。



 「例えば、私、ですかね」


 「え?」



 椿が言葉の意味を理解する前に、山内は胸ポケットに納めていたナイフを取り出して、ケースから抜いてきっさきを彼女に向けた。


 椿は驚きで声が出ず、目を見開いてナイフの刃を見つめる。



 「騒がないでください。できれば手荒なことはしたくない。私は、真実を知りたいんですよ」


 「なんの・・・真実ですか?」


 「二十年前、あなたは臓器移植を受けた。竹中医院の院長に大金を積んで、まだ生きられる命を奪った。それは間違いありませんね?」


 「私は、確かに心臓を移植されましたが、それはドナーが見つかったと聞かされました。幼い頃から、心臓病であることはわかっていましたから」



 惚けるのか。


 これだけの大企業のトップに立つ選ばれた人間が、どこにでもいる平凡な人間のように、保身のためにしらを切ろうと言うのか。


 落胆したが、彼女の説明の辻褄が合わなくなるまでは泳がせてみよう。事情聴取の手段だ。



 「それは、誰に言われたことです?」


 「父です。九十九正隆」


 「九十九会長ですか。なるほど。では、彼をここに呼んでください。今すぐに」



 椿はデスクに置いてあるスマホを手に取り、父に電話をかける。こういうときに限って、彼はなかなか電話に出ない。


 ナイフを喉元に突きつけられたまま、一秒でも早く父が電話に気づくことを祈った。


 その願いが叶ったのか、正隆は電話を取った。



 「お父さん、今すぐ会社に来れる? 大切な話があるの」



 椿はそれだけ伝え、通話を終えた。


 山内は椿をデスクの椅子に座らせると、両手首を背もたれのうしろへ回して結束バンドで縛り、さらにもうひとつの結束バンドで背もたれの支柱と繋いだ。


 これで椿は立ち上がることができない。



 「お父さんはすぐに来てくれるようですね」


 「十五分ほどで着くと思います。父を、どうするつもりですか」


 「言わなくてもおわかりでしょう。真実を打ち明けてもらい、死んでもらいます。二十年前、あなたの命を救うために、心臓を奪われた私の大切な人は、私の姉なんですよ」



 椿はわずかに肩を震わせて、身体から魂が抜け出るように口を開けた。


 彼女は、本当に何も聞かされず、生きられなかった命に感謝をしていたのかもしれない。


 だが、本当の被害者は椿ではない。命を奪われた者だ。決して同情などしない。


 すべてを終わらせよう。琴音のために。

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