ch.4 亡霊の足跡

ep.24 守られるべきもの

 山内啓太、四十五歳。


 生まれは神奈川県。ごく一般的な家庭に育ち、父は会社員、母は専業主婦、姉がひとりいる。



 亮真は捜査本部で山内についての調査報告書に目を通していた。


 一連の殺人事件に関わっている山内啓太と、被害者が全員臓器移植を過去に受けており、事実を知っている竹中医院の院長竹中秀治が姿を消している。


 山内の自宅まで出向いたが、家主が不在の家屋に入るためには裁判所が発行する令状が必要で、決定的な確証がない上に手続きに時間がかかるそうだ。


 もどかしいが、正式な方法で動かないと処罰を受けることになり、課長の一ノ瀬が管理責任を問われることになる。


 亮真は大きなため息をついた。



 「相楽さん、ため息やめてくださいよ。こっちまで気分が落ち込みます」


 「すまん」



 隣に座っている夏海が明らかに嫌そうな顔をして文句を言う。


 こんなところで燻っていても、犯人が自首してくるわけではない。容疑者がいるのに何もできない状況が窮屈だ。


 朔那には山内啓太についての調査報告書をメールしておいた。彼なら何か気付くこともあるかもしれないと期待したが、確認すると連絡があってから音沙汰はない。


 一般市民に捜査情報を提供したことが知られると、亮真は警察官ではいられなくなる。


 だが、あとひとりのTTの命を救わなければならない使命感と天秤にかけると、職を失ってもまたやり直せばいいと簡単に考える自分を見つけた。


 命より大切なものなんてこの世にはないのだ。それがたとえ、知らない誰かであっても。



 「課長、まだ山内の令状は下りないんですか」


 「まだ重要参考人の段階でそう簡単に申請が通るわけないだろ。この事件は世間でも注目度が高い。すでに三件の殺害方法が一致していることもマスコミによって発表されたんだ。誤認逮捕でしたじゃ済まないんだよ」


 「そんなこと言ってたら新たな被害者が出るでしょう!」



 亮真が勢いよく机を叩くと、周囲の捜査員が驚いてこちらを見た。彼らの充血した目に殺気がこもっている。


 誰もが亮真と同じことを思っても、口に出さずに耐えている。


 ほとんどの捜査員は自宅に帰ってゆっくり睡眠をとることもできず、ストレスを溜め込んでいる状況だった。



 「相楽さん、大声出さないでください」


 「すまん」


 「気持ちはわかるが、今は手出しができないんだ。堪えろ」



 亮真は舌打ちをしてスマホをポケットから取ると、朔那に送ったメッセージを確認した。既読はついているが、返信はない。


 彼も資料を読み漁って答えを探しているのだろうが、せめてわからないならそう連絡をくれてもいいだろうと苛々は募るだけだった。


 もう一度資料を読み返してみよう。



 山内啓太、四十五歳。神奈川県生まれ。


 ごく一般的な家庭に育ち、父親は会社員、母親は専業主婦、姉がひとりいる。


 小中高、大学を卒業し、民間企業に就職。十三年前、新卒で入社してから勤めていた会社を辞め、転居して株式会社GCに入社した。


 十三年前といえば、桐生実誠が殉職した頃だが、山内と実誠に接点はない。



 「あっ!」



 夏海の大声に亮真は飛び上がり、隣にいる彼女を睨みつけた。


 大声出すなと言ったのはお前だろ。



 「なんだ」


 「課長、桐生実誠さんの奥さん、朔那くんのお母さんの名前はなんですか?」


 「んー、なんだったかな。綺麗な響きだった気がするな。なんかこう、和風な」


 「琴音さん」


 「そう、そんな感じだ。桐生琴音さん。なんで工藤が知ってるんだ」


 「山内啓太のお姉さんの名前が琴音さんです」



 夏海は身辺調査報告書の一部分を指差して亮真と一ノ瀬に見せる。そこには確かに琴音の文字があった。



 「繋がった!」



 山内啓太の姉、琴音は桐生実誠と結婚し、息子の朔那を出産したが、数日後に亡くなり、心臓はTTに移植された。


 その事実を知った実誠は、竹中医院で行われていた違法な臓器移植について調べた。


 一ノ瀬は、朔那が生まれてから先輩であった実誠がひとりで行動することが増えたと言った。


 臓器売買ビジネスはルートがないと成立しない。つまり、奥にもっと大きな組織がある可能性が高い。


 大々的に捜査をすると相手に気づかれて、ひとり息子である朔那に危険が及ぶかもしれない。だから、彼は一ノ瀬すら巻き込むことを恐れてひとりきりで捜査を続けた。


 山内啓太もまた、その事実を実誠から聞いていた。


 実の姉の心臓を奪ったTTを殺そうとしたが、同じく違法に臓器を手に入れた人間にも裁きを受けさせようとした結果が、今回の連続殺人。


 亮真は椅子から飛び上がって朔那に電話をかけるが、なぜか彼は出る気配がない。おそらく、彼も山内と母の関係に気づいて行動に移したのだろう。


 亮真は地面を蹴って机の間を縫って扉に向かい、その背中を夏海が追うが、一ノ瀬の怒号がふたりの動きを反射的に止める。



 「勝手な行動は許さない。令状がなければ違法捜査になる。越権行為だ」


 「部下が独断で暴走した。課長にも迷惑をかけることになりますが、一ノ瀬さんの命令に背いたとあとで証言します」


 「それだけでは済まない。相楽、工藤まで処分を受けるんだぞ。俺が部下を守るように、お前には後輩を守る義務がある」



 この言葉の意味は、亮真なら理解できると信じたが、彼らが止まらないことはよくわかった。


 夏海が振り返り、一ノ瀬に向かってこう言ったからだ。



 「私は刑事です。事件を解決して犯人を逮捕したい。そのためには、守らなければならないルールがあることは理解しています。でも、そのルールのために救える命を見捨てたら、私は胸を張って刑事を続けられません」



 亮真と夏海は廊下を走って行った。


 一ノ瀬は座っていた椅子を蹴り飛ばした。音を立てて壁にぶつかったそれは、床に力なく横たわる。


 普段冷静である課長の荒れた姿を見た捜査員たちは固まって誰も動こうとしなかった。



 「取り乱したな。申し訳ない」



 亮真と夏海の姿に、どこか若き日の桐生実誠の面影を見た。


 十三年経っても夢に見ることがある。海沿いの小屋に向かって走る先輩の背中。炎に包まれて海に飲み込まれる小屋。


 二度と、あんな想いはしたくない。もう、仲間が死ぬのは御免だ。



 「総員、山内啓太の自宅へ向かえ! 相楽と工藤がすでに向かってる! 急げ!」



 捜査本部から刑事たちが一斉に駆け出して行く。


 ひとり残った一ノ瀬は、倒れた椅子を起こし、腰掛けた。



 「桐生さん、立派な刑事になるという約束は守れそうにありません」



 一ノ瀬は右の拳を握って親指を立て、自らの首を左から右に切り裂く真似をした。


 あとのことは事件が解決したら考えればいい。

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