ep.23 知らないはずの人

 息を切らした朔那が株式会社GCに到着した。


 目的のフロアに飛び込むと、会社の扉を開けて受付を叩いた。


 オフィスにいる社員たちは物音に驚いて一斉にこちらに注目し、手前にいた女性社員が立ち上がる。



 「山内さんはいらっしゃいますか?」


 「専務の山内啓太でしょうか?」


 「ええ」


 「申し訳ありません。山内は昨日より休暇をいただいておりまして、ただいま不在でございます」


 「では、もうひとりの山内さんは?」


 「もうひとり・・・ですか? お待ちください」



 おそらく誰かが訪ねて来てはじめて言われた言葉だっただろう。


 女性社員は不思議そうにオフィスの奥へと歩いて行った。


 山内がふたりいて、亮真たちを対応した人物と、朔那を対応した人物が別人であることに気がつかなかったのは、名字が共通であれば下の名前までは確認しないことを見越してのことだ。


 専務の山内啓太は、あえてもうひとりの若手社員の山内に朔那に会わせた。いや、何らかの理由があって、朔那に会うことができなかった、と考えるべきだ。



 「ああ、九十九さんでしたか。どうされました?」



 朔那が会ったもうひとりの山内がやって来た。彼はまだ若く、専務という役職に就いている年齢には見えない。



 「突然すみません。以前金城社長の事件で刑事が来たと思うのですが」


 「ええ、いらっしゃいましたね」


 「そのとき山内さんが対応されましたか?」


 「いいえ、刑事さんと話したのは専務の山内です。僕じゃありませんよ」


 「山内さんが僕の対応をしてくださったのは、どうしてですか?」


 「山内・・・もうひとりの、専務のほうに言われたんです。九十九グループの御曹司がいらっしゃってるけど、手が離せないから対応してほしいって」



 山内啓太がもうひとりの山内に指示をした。


 そして、彼の狙い通りに亮真と夏海、朔那が会った山内は同一人物だと思い込み、その点に疑いを持たなかった。


 では、なぜ山内啓太は朔那に会わなかった、いや、会えなかったのか。その答えが、この事件を解く鍵になるはずだ。



 「山内専務はどうして休暇を?」


 「理由はわかりません。突然休みをとると。こんな状況なので、専務も心労が祟ってるのかも、と他の社員も心配してますよ」


 「山内専務は、慕われているんですね」


 「はい、亡くなった人を下げる言い方はしたくないですけど、社長より専務のほうが、人間として好かれていますから」



 山内啓太。人間性がよく、社員から慕われている存在。


 そんな人間が朔那に会わないために偽装工作をして、このタイミングで突然休暇を取った。まるで、こちらの動きを読んでいるようだ。


 彼が事件に深く関わっていることはもはや疑う余地がない。


 彼は一体何者だ?



 「失礼」



 朔那の背後にある扉が開き、亮真と夏海がオフィスに足を踏み入れた。



 「やはり、ここにいたか」


 「急に電話切るから心配で」


 「すみません。ただ、思った通りでしたよ」



 亮真と夏海と話をしようと、朔那は山内に礼を伝えて会社を出た。


 人通りの少ない路地の角で、三人は歩みを止める。



 「どういうことだ?」


 「あの日、はじめて僕が相楽さんと工藤さんに会った日、僕たちは会社の入り口のスペースで話しましたよね?」


 「そうだったな」



 亮真と夏海はあの日のことを思い出した。


 山内啓太を訪ねたが、先客がいると言われて椅子に座って待っていた。


 そうだ。


 あの女性社員にそう言われたから、山内啓太が朔那の対応をしていると先入観を持ったのだが、冷静に考えてみれば応接スペースを使用しているから終わるまで待ってほしいという意味だったのかもしれない。



 「僕は、誰と話したかを訊かれたので、山内さん、と答えました。あの段階で僕はこの会社に山内さんがふたりいること、そして、おふたりが知っている専務の山内さんを知らなかった。逆に、おふたりは若い山内さんを知らなかった」



 朔那の指摘通り、朔那と会った段階で社員の中に山内がふたりいることは知らなかった。そのあとの聞き取りで社員全員と面会し、もうひとり山内がいることを知った。


 だが、そこでも朔那が言っていた山内は専務の山内だと気に留めることも疑うこともなかった。


 なぜなら、先入観ともうひとつ理由があったからだ。



 「私たちが山内専務に朔那くんの話をしたとき、朔那くんの対応をしていたのは自分だと思わせるように振る舞った」


 「そう。山内専務、山内啓太はそう思わせることで僕と会わずに、なおかつ刑事であるおふたりに不審に思われることもなく難を逃れた。では、どうして山内専務は僕に会いたくなかったか。それが事件の真相を解く鍵だと思います」



 元刑事であった朔那の父、桐生実誠が息子に遺した違法な臓器移植のメモ。


 実誠が臓器移植について調べていたこと。さらに彼の妻であり、朔那の母が、ひとり目の人物、TTが臓器移植を受けた日付の頃亡くなったこと。


 山内啓太が、朔那に会えなかった理由。


 すべてがひとつに繋がっているはずだ。



 「山内啓太さんの身辺調査は?」


 「もちろんしているが、彼には金城が殺害されたとされる時刻にアリバイがある。あまり掘り下げられていない」


 「彼が金城さんを殺害した犯人かはわかりませんが、この一連の殺人事件に関わっていることは確かです。彼のことをよく調べてください。家族、交友関係、生い立ち、経歴、きっとどこかにヒントがあるはずです」


 「わかった」



 亮真が言うと、夏海はスマホをポケットから取り出して誰かに電話をかけた。上司に連絡して、山内の身辺調査を強化するよう話しているらしい。


 亮真は腕を組んで何かを考えていたが、朔那を見た。



 「どうして山内啓太は君に会えなかったんだ? 君も彼のことは知らないんだろ?」


 「ええ、名前もはじめて聞きました。山内専務の写真はありますか?」


 「ああ、ちょっと待ってくれ」



 証明写真のようなものはないが、コンビニから提供された防犯カメラの映像の一部を切り取れば、顔は確認できるかもしれない。


 スマホでデータを再生し、タイミングを見て停止した。かろうじて顔が確認できる程度だが、仮に朔那が山内に会ったことがあれば、思い出すかもしれない。


 亮真が動画と格闘していると、朔那のスマホに着信があった。



 「もしもし」


 「朔那くん、どこに行ったの?」



 紗理奈の声で、大食堂で一緒に食事をしていたことを思い出した。


 夏海からの電話で外に出て、何も言わずにこの場所に来てしまった。



 「ごめん、急用でさ」


 「もしかして、あの件?」



 彼女はもうすべてを知っている。だから、心配になって電話をしてきたのだ。



 「お願いだから、無茶はしないで。私はこれからも朔那くんと一緒にいたい」


 「わかってる。必ず帰るから」



 紗理奈と話していると、亮真がベストタイミングで動画を止めることに成功したらしく、こちらを見て待っている。



 「ごめん、切るね。今夜もご飯楽しみにしてる」



 朔那は一方的に電話を切った。


 こういう状況でなければ女性に嫌われる行動だが、紗理奈は理解してくれる。


 亮真はスマホの画面を朔那に見せると、じっとそれを見つめ、数秒沈黙があった。



 「なるほど」


 「知ってるのか?」


 「いえ、会ったことがない人です」


 「ないのか」



 亮真はわかりやすく落胆したが、朔那はひとつの可能性につきあたった。


 それが真実であれば、父を失くしてからの十三年間、それは朔那にとって違う意味を持つことになる。



 俺は何も知らなかったんだな。


 知らないほうが幸せだった。


 だけど、俺は刑事の息子だ。


 必ずひとつの答えを見つけてみせる。

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