ep.22 ふたりいれば

 城帝大学の大食堂は学生で賑わっていた。ちょうど午前の授業が終わって、学生が一斉に流れ込む時間だ。


 朔那と紗理奈は四人掛けのテーブルで隣に座り、混雑する前に食事を買って待ち合わせをしているふたりを待っていた。


 朔那は食欲が湧かないと言い、ダイエット中の女性が食べるような低糖質なメニューを選んだ。


 紗理奈はあえていつもより高カロリーな揚げ物のランチを選択し、朔那の負の感情をより大きい数字でプラスに変えてしまおうと考えた。


 昼休憩直前に授業がなかった朔那と紗理奈に席を確保するように頼んでいたのは、人目を引く美男美女。


 瑠偉と真綾が授業を終えて、合流する。ふたりは荷物を椅子に置くと、食事を買ってくると席を離れた。


 数日前、亮真と夏海から両親の死の真相を聞かされた朔那は、どこかぎこちない笑顔をするようになり、どう接するべきか悩んだ紗理奈は、結局普段と変わらずにいることにした。


 五分ほどが経って、瑠偉と真綾が食事を載せたトレイを持ってテーブルに戻ってきたが、朔那が作り笑いを顔に無理やり貼りつけていることに気づいているはずだ。



 「朔ちゃん、何かあった?」


 「いいや、何も」



 気を遣った真綾の問いかけにも、こう答えられてしまってはそれ以上の追及は許されない。そして、彼がなぜ浮かない表情をしているかを知っているのは紗理奈だけだった。


 朔那の気持ちを考えると、この状況は気持ちが悪い。父が遺したメモに書いてある人物三名が殺害され、残り一名を探そうにも手がかりがない。


 このままでは、そのときが来るまでただ待っていることしかできない。


 さらに、最後のひとりが殺害されたとして、犯人が見つからなければこの事件の捜査が打ち切りになるだけでなく、朔那が追い求めていた、父が探していた何かを見つけることもできない。


 きっと朔那は一生それが足に絡みついて、重い足を上げ続けることになる。いつか心が折れたとき、彼はその足を動かすことをやめるかもしれない。


 紗理奈は瑠偉と真綾から見えないように、テーブルの下で朔那の手を握った。


 彼は何も言わずに横目で紗理奈の目を見て、小さく頷く。それは、向かいにいるふたりにはわからないほどの動きだった。



 私はいつでもあなたの味方。どんな結果になっても、立ち止まりそうになったら背中を押し続ける。



 朔那は紗理奈の手を握り返す。



 俺は最後まで突き進んでみせる。



 言葉なき会話がふたりの心を繋いだ。



 「ちょっと体調が悪くてさ。心配しなくても、すぐに治るよ」


 「そうなんすか。なんか元気ないなーって」


 「困ったら言ってよ? けど、紗理奈さんがいるから心配いらないか」


 「はい、私はいつでも朔那くんのそばにいます。恩返しです」



 真綾は先日カフェで朔那と紗理奈の関係が一歩前進したことを知っていて、嬉しそうに微笑んでいたが、対照的に瑠偉は驚いているようだった。


 朔那は俯いて、何かを考えている。そして、紗理奈を見て言った。



 「もう十分恩は返してもらったよ」


 「そんな、まだこれからだよ」


 「いいや、もう十分だ」


 「朔那くん?」



 何かを言おうとしたとき、朔那のスマホが着信した。表示されていたのは携帯の番号だったが、登録されていないもので、それが誰かはわからない。



 「ごめん、電話だ」



 紗理奈に伝えようとした言葉はそのまま朔那が飲み込んでしまった。すべてが終わってからでも遅くない。


 朔那はテーブルを離れて大食堂の外に出て、電話を取った。日差しが強く、室内の明るさに慣れていた目を細める。



 「朔那くん、工藤です。ちょっと話せる?」


 「珍しいですね。どうされました?」



 電話をかけてきたのは夏海だった。


 今までは亮真から連絡があったのだが、手が離せないことがあるのかもしれない。夏海に連絡を任せたということは、急いで伝えたい内容なのだろう。



 「菊池晋也を殺害した犯人が逮捕された。菊池メディカル元社員の永谷ながたに悠人ゆうと。現場の公園付近の防犯カメラに映っていて、自宅を訪問したらあっさり殺害を認めた」



 随分と簡単に犯人が見つかったことに朔那は驚いたが、それよりも同じ殺害方法で別々の人間が関連性のある殺人を犯していることに引っかかる。


 必ず裏に糸を引いている誰かがいるはずだ。



 「動機はなんですか?」


 「菊池メディカルはブラックな職場で、被害者の菊池晋也はパワハラが酷かったみたい。他の社員に聞き込みをしたら、社長が亡くなったことを悲しむどころか、殺されても仕方ないというような感じだったわ。永谷は菊池の判断ミスで起こった損失の責任を背負わされて懲戒免職になって、予定していた結婚も破談になった。人生を潰された恨みを晴らしたかったそうよ」



 菊池晋也が殺害されたのは、ふたり目の被害者である萩野と同じく個人的な恨みが原因だった。であれば、金城もまた恨みから殺害されたのだろうか。



 「金城さん殺害の犯人だけまだ見つからないですね」


 「不思議なのよ。二件目と三件目は犯人がすぐに逮捕されているのに、一件目だけまったく手がかりがない。逮捕されたふたりは、あえて簡単に見つかるように仕向けたと思えるくらい」



 夏海が言うことは朔那も思っていた。


 二件目の萩野幸一郎を殺害した彼の妻は、犯行に使った刃物を現場に置いたまま通報した。刃物を処分するか、せめて手袋をして指紋を残さなければ、第一発見者として警察に通報しても逮捕までの時間は稼げるし、物的証拠がない状況は作れたはず。


 今回の菊池晋也の殺害も同じだ。被害者を恨んでいた人間は多く、うまくやれば警察が容疑者を絞ることも容易ではなかったのではないか。公園という人目のつく場所を選び、さらに防犯カメラに映って簡単に自供したことから、あえてそう行動したとしか思えない。



 「警察はまだ金城さんの件で動いてるんですか?」


 「正直言って、手詰まりの状態。会社の社員全員から話を聞いたけど、特に怪しい人や辻褄が合わない話もなかった。山内専務は被害者の死亡推定時刻にコンビニにいることが確認されたし、他の社員もアリバイは成立してる」


 「山内さんは専務なんですか? まだ若いのに」


 「若い?」



 夏海は山内の顔を脳内で投影するが、容姿と実年齢に乖離はない。


 あくまで主観なので、朔那が山内を若いと言うことを完全に否定はできなかったが、彼は五十歳ほどに見えた。専務であっても疑問には思わない。



 「山内さんは三十歳ほどかと思ってましたが、見た目が若い人なのかな」


 「いいえ、とても三十歳には見えないと思うけど」


 「じゃあ、僕が会った山内さんは誰なんでしょうか」


 「山内専務は、朔那くんが会社を去ったあとに、話していると印象がよかったって言ってたわよ」


 「山内専務は、別の人間に山内さんとして僕の対応をさせて、工藤さんたちには僕と話したと嘘をついた、ということですか」



 夏海はある事実を思い出した。


 違う。


 違う人間に山内のふりをさせたのではない。彼もまた、山内だったのだ。



 「あの会社に山内さんはふたりいる。そして、専務じゃない山内さんは、まだ若い人だった・・・」


 「すみません、また連絡します」


 「え、ちょっと!」



 朔那は夏海の呼びかけを無視して強引に通話を終了した。


 確かめなければならない。


 朔那はそのまま大学の敷地を出て、体力の限り走り続けた。


 大食堂に朔那の帰りを待つ紗理奈たちがいることは、すでに忘れてしまっていた。

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