ep.20 迫りくる閃光
「どうぞ」
亮真が扉をノックすると、室内から入室の許可が出た。ドアノブを回して扉を引き、頭を下げて足を踏み入れる。
「失礼します」
「どうした?」
捜査第一課長室の立派なデスクに座っている一ノ瀬が業務を行なっている手を止めてこちらを見る。
管理職は現場の指揮を執ることだけが仕事ではない。亮真は彼の姿を見て、自らはいつまでも現場のプレイヤーでいたいと願った。
昇進したくないわけではなく、一ノ瀬が果たしている役割が自分にはできないと思ったからだ。人にはそれぞれ才能があり、亮真のそれは人を統率する役割には向いていない。
それだけの話だ。
亮真が一ノ瀬を尋ねたのは、桐生実誠について話を聞きたいと思ったからだ。
「桐生さんの息子さんは元気にやってたか?」
「はい、とても立派な青年になっていました。可愛らしい彼女もいるようです」
「そうか。相楽、先を越されたな」
「俺は仕事に生きますから」
「頼もしいな」
一ノ瀬は冗談を言って笑う。彼は既婚者だが、仕事も立派にこなしている。
どちらかひとつを選ぶ必要はないが、残念なことに亮真はそこまで器用なタイプじゃない。夏海もまた、恋愛などには興味がないタイプの女性だった。
このふたりの間に何かが起こるかもしれない、とかつて一ノ瀬も思ったものだが、その点の勘は冴えていなかった。
「あんな高層マンションの最上階の部屋、はじめて入りましたよ」
「九十九の跡取りだぞ? 我々庶民とは生活水準が違う」
「本当、羨ましいですね」
一ノ瀬が椅子から立ち、ソファに腰掛けると、立っている亮真に向かいに座るように手で促す。
会釈をしてからその指示に従った。
「桐生さんが亡くなって、息子さんがどうなったのか、心配してたんだ。だが、ただ仕事の後輩だった俺に何もできることはなかった。今は幸せそうで安心したよ」
本当に彼、朔那は幸せなのだろうか。経済的なゆとりはあるし、恋人もいて、将来が約束されている。
側から見ると、何も悩みがない順風満帆な生活を送っている金持ちの御曹司。だが、彼は今でも父親の死の真相を追って、檻に囚われている。
彼に全幅の信頼を寄せたわけではないが、力になりたいと思わせる不思議な魅力がある。
「で、桐生さんについて訊きたことがあるんじゃないのか」
「いや、さすがですね」
「わかるに決まってんだろ。特に相楽はわかりやすい癖に暴走することがある。工藤をつけたのは、子守をしてもらうためだ」
「いやいや、工藤のほうが暴走すると怖いですよ」
一ノ瀬は、どちらも似たようなものだと思っているが、それは口に出さないことにした。今目の前にいる先輩を立てておくことにしよう。
「桐生さんが追っていた事件について、聞かせてほしいんです」
一ノ瀬は過去を思い出しているのか、遠い目で天井を見上げて、大きく息を吐いた。
「刑事として、いや、それ以前に人間として素晴らしい、本当に尊敬できる人だった。まだ刑事として未熟だった俺に捜査のいろはを叩き込んでくれた。だけど、桐生さんの奥さん、朔那くんのお母さんが病気で亡くなってからだ。桐生さんは少しずつ、おかしくなっていった」
「おかしくなった? どういう風に?」
一ノ瀬は表現に困って再び天井を見上げた。おかしくなった、という表現に違和感を覚えながらも、それ以上の的確な言葉が出なかったらしい。
「桐生さんは、シングルファザーとして朔那くんとの時間をとても大切にしていたし、私生活を理由に仕事に手を抜くこともなかった。だが、ひとりで行動することが多くなった。刑事なら、その意味がわかるだろう」
亮真は一ノ瀬が言わんとしていることを理解して頷く。
刑事はいかなる場合もふたりでの行動が基本であり、単独行動は原則禁止されている。理由はいくつかあるが、最たるものは危険であるからだ。
仮に追っていた犯人に奇襲をかけられたとき、ひとりで襲われてしまっては応援を呼ぶこともできないままに最悪殺害される恐れがある。
ふたりであれば、加勢して救うことも、応援を呼ぶこともできる。
「何かを調べていたんでしょうか?」
「そうかもしれないな」
そのとき、亮真の脳内に電撃が走った。
なんだ? 俺は一体何に気づいた?
表現しようがない複雑な思考が一瞬繋がったが、瞬時に消えてしまった。
「あの、桐生さんの奥さんは入院していたんですか?」
「ああ、病気だったからな。一度だけ見舞いに行ったことがあるが、あのときはまだ出産の前だったな」
「ちなみに、朔那くんの母親が亡くなったのはいつの話です?」
「確か、朔那くんが生まれて数日後、間もない日のことだったと思うが。あれは、桜が散ってから少し経った頃だったから四月の下旬頃か。それがどうかしたのか?」
四月の下旬・・・ありうる。
確証はないが、亮真の推理が正しければ、桐生がおかしくなって、ひとりで調査をしていたことも辻褄が合う。
「入院していたのはなんという病院ですか?」
「えーっと・・・そうだ、竹中医院だ」
その病院なら亮真も知っている。地域に根づいた総合病院で、都心にある大型のものには届かないが、困ったら竹中医院という住民がたくさんいるほど評判のいい病院だ。
「竹中医院、ですね。わかりました。ありがとうございます。失礼しました」
亮真は勢いよく立ち上がり、突然のことに驚いている一ノ瀬に背を向けて課長室を飛び出した。
「何かに気づいた、か。あとで報告しろよ」
亮真はすでに部屋を出て一ノ瀬の声が届かないことはわかっているが、信頼している部下の判断に、今は任せることにして、途中で止めていた業務を再開するためにデスクに戻った。
廊下に出た亮真は早る気持ちを抑えきれず、スマホで夏海に電話をかける。走りながら、「出るぞ!」と叫ぶと、廊下のコーナーの死角から歩いてきた女性警官が驚いて携えている資料を床に投げ飛ばしてしまった。
「おっと、申し訳ない」
亮真は立ち止まって、床に落ちた資料を集めて警官に手渡し、再度謝罪の言葉を述べて再び廊下を進む。
「相楽さん、何があったんですか?」
その間に部署からやってきた夏海が追いつき、亮真の背後にいた。
「竹中医院だ。朔那くんの母親が入院していた病院。臓器移植は、そこで行われていたんだと思う」
「どうして、そう思うんです?」
「説明している時間はない。とにかく病院に急ぐぞ」
亮真の思考は夏海には理解できないが、様子を見ると状況が切迫していることを察した。
まだ判明していないことのほうが圧倒的に多いが、これがきっかけになって捜査は急展開を迎える。
そんな期待と、これから待ち受ける未知への不安を胸にふたりは警視庁を飛び出した。
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