ep.19 不思議な求心力
夕方、授業を終えた紗理奈は大学の敷地を出た。
周囲は同じく授業を終えた学生たちで溢れ、友達同士やカップル、ひとりで歩く人まで様々だが、誰もが輝かしい日々を送っている。
少し前までこの景色は眩しすぎた。自らの人生が暗すぎたせいで、周りの明るさに目が慣れていなかったからだろう。
この景色を変えてくれたのが、朔那だ。友人の真綾と瑠偉が声をかけてくれて、虎徹が協力してくれた。
あの日の出会いは、人生の分岐点だった。
「紗理奈さん!」
突然背後から話しかけられた紗理奈は驚いて猫のように飛び上がった。振り返ると、真綾が笑顔で立っていた。
彼女はいつ見ても、西洋の人形のような綺麗な顔立ちで、それを最大限に輝かせる可愛い服装をしている。
「真綾さん、こんにちは」
「紗理奈さん、綺麗になりましたね。はじめて会った日は、すごく疲れていたようですけど、やっぱり恋は女性を輝かせるんですね」
「あ、いや。そんなんじゃ」
否定しようとしたものの、先日白旗屋で朔那に言われた台詞を思い出して、顔が火照った。
その様子を見た真綾は満足げに笑う。
「本当にそんな関係になったんですね。おめでとうございます!」
「いえ、その、付き合っているわけではありませんよ。なんというか、えーっと」
「立ち話もなんですし、近くのカフェ行きませんか? 時間があれば」
真綾に誘われて、紗理奈は大学近くのカフェに向かった。
ちょうど授業が終わった時間ということもあり、店内は学生がたくさんいた。レジ待ちの列の最後尾にふたりは並び、会話をしつつもレジの上にあるメニューを見ながらどれを注文しようかと狙いを定めていた。
混雑することにも慣れているのか、手際のいい店員は次々とドリンクを作って提供する。長い列の割に順番はあっという間に回ってきた。
このカフェは大学から近いこともあり帰りに立ち寄る学生が多いため、店内で時間を過ごす人よりも、持ち帰る人のほうが多い。レジ待ちの列の長さの割に店内で飲食をする客は少ない。
紗理奈はコーヒーを、真綾はラテを注文して、商品を受け取ってから空いているテーブルについた。
「さて、詳しく聞かせてもらいましょうか。朔ちゃんとのラブラブ新婚生活を」
「いや、ラブラブなんて、そんな関係じゃないですよ」
「隠さなくてもいいじゃないですか。朔ちゃんも瑠偉くんもいないんだし、お兄ちゃんにも黙ってますから」
隠しているわけではない。語れるとしたら、あの料亭で朔那に言われた恥ずかしい台詞だけだ。
「私がいない生活は考えられない、と言われました。だから、どこにも行きません、と返事をしただけです」
「いや、それもう告白ですからね。間違いないです」
だが、その言葉を交わしたあとも、ふたりの共同生活は何も変化はなかった。紗理奈が家事をして、朔那も普段から手伝いをしてくれるが、いわゆる同棲カップルのような生活とは程遠い。
「ただ、確かに朔ちゃんは女心には疎いところがあって。高校生の頃も朔ちゃんを狙ってる女子はいたんですけど、告白されても無神経なこと言ってましたからね」
「その話、聞きたいです! 昔の朔那くんの話」
「昔と言っても、私たちが出会ったのは高校生の頃ですから、つい五年くらい前の話ですけどね。朔ちゃんが九十九の御曹司ってことはすぐに学校中に広まって、不良に目をつけられてカツアゲされることもあったみたいですよ」
「そんな、大丈夫だったんですか?」
「朔ちゃん、ああ見えて喧嘩強いんです。私が他校の生徒に絡まれたときも助けてくれて。まあ、お兄ちゃんほどじゃないですけど」
朔那は自宅にトレーニングルームを作るほどにトレーニングに励んでいるが、服を着ているとスタイルがいい細身の青年だ。あまり強そうには見えない。
思い返してみれば、闇金の事務所に乗り込んできたとき、スーツ姿のリーダーの男の攻撃を簡単に避けていた。喧嘩慣れはしているのかもしれない。
それにあの大柄な虎徹の迫力に比べて見劣りするのは、仕方がないことだ。相手がヤクザでも虎徹を前にすると怯むかもしれない。
「朔ちゃんは人を遠ざけるようなところがあって、悪い人じゃないんですけど、家庭環境のこともあって、あまり他人を信じないんです」
「何がきっかけで朔那くんと仲良くなったんですか?」
「私が強引にアタックしたんですよ」
「アタック?」
「あ、恋愛感情じゃなく、友達になりたくて。なんというか、いつも笑顔なのに、目だけ笑ってなかったんです。なんとしても、あの目を笑わせてやろうと思って」
真綾の感性も人と違うところがあるようだが、彼女のおかげで朔那の人生が明るくなったことは間違いないだろう。
彼が大学で、真綾と瑠偉以外の学生と一緒にいるところを見たことがない。広く浅い交友関係は持たず、本当に信頼できる人としか付き合わないタイプらしい。
「だから、朔ちゃんが紗理奈さんにそばにいてほしい、愛してるって言ったのは、本当に大切な人だと思ってるからだと思いますよ」
「愛してるとは言われてませんけど・・・」
「ほとんど同じですって」
真綾がラテを口に含んだのを見て、紗理奈もそれに倣ってコーヒーを飲む。話に夢中なってせっかくのホットが冷めてしまうともったいない。
こうやって近くで見ると、真綾は本当に綺麗な女性だ。こんなに綺麗な人が近くにいて恋をしない朔那が、紗理奈に恋愛感情を抱くことなどありえるのだろうか。
「紗理奈さんは、朔ちゃんをどう思っているんですか?」
その質問の答えには、言葉がすぐに出てこなかった。人として、尊敬しているし、人として好きだが、それは恋愛感情なのか、まだ確信が持てないでいた。
「大切な人です」
当たり障りのない答えだったが、真綾はそれに満足したのか、微笑んで再びラテが入ったカップを持ち上げて口をつけた。
「朔ちゃんのこと、お願いしますね。って、私なんか母親みたいですよね?」
「任せてください。お母さん」
まさか、紗理奈が冗談を言うとは思っていなかったらしく、真綾は思いっきり笑った。
その声は周囲の客から見られるほどだったが、なぜか不快にはさせない透き通った笑いだった。
なんだかもっと朔那のことを知りたくなった。
微笑んで、コーヒーを飲む紗理奈だった。
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