ep.16 父の遺品
それは都内の高層マンションが集まっているエリアにあった。
周囲を見上げるとどれも立派な建造物だが、目的のそれは一際目立ってその存在感を放っている。
「これか」
「ここに若干二十歳の大学生が住んでいるんですか。羨ましい限りですね」
「そりゃ、九十九の御曹司だぞ? そこらの大学生とは置かれた環境が違う」
夏海が亮真に自らの置かれた環境と比べて愚痴をこぼすが、このマンションの最上階に住む青年についての情報を調べていたときから、これが現実であることはわかっていた。
刑事として毎日外を駆け回っていても、これだけのものは手に入らない。これもまた運であり、人生だ。亮真は科せられた使命を果たすまで。
エントランスに入ると、すぐにガラスの自動ドアに道を遮られたが、この空間だけでも人は住めそうだ。
夏海は進んで部屋番号を確認して呼び出しを行った。十秒ほど経って、女性の声で返事があった。
将来が確約された学生に恋人がいるのは当然のことか。三十六歳にもなって恋のひとつもできない亮真は、自分の存在が虚しくなった。
「九十九朔那さんのお宅ですか?」
「はい、そうですが」
「突然すみません。警視庁捜査一課の工藤と申します。少しお話を伺いたいのですが、お時間よろしいでしょうか?」
夏海が話し終えると、しばらく沈黙があった。おそらく女性が朔那にどうするか判断を仰いでいるのだろう。
仮に彼が断れば、彼への疑いは増す。しかし、きっと彼はそうしない。
なぜなら、むしろ彼は亮真と繋がる機会を待ち望んでいるようだったから。
「どうぞ、エレベーターに乗ってください」
予想通りだ。
エレベーターホールへのガラスのドアが開き、亮真と夏海はボタンを押さなくとも扉が開いたエレベーターに乗り込む。
目的の階はすでに設定されており、それ以外の階では降りられないようになっていた。エレベーターもここまで進化したのか、と感心していると、扉が開いて最上階に到達した。
周囲を見渡すが、どうやらこの階には部屋がひとつしかないらしい。インテリアは目を惹くほどに絢爛で、この部屋の価値は一般人では到底手が届かないものだ。
「どうぞ、お入りください」
夏海がインターホンを押そうとすると、その前に扉が開いて女性が室内に招いてくれた。
靴を脱いで長い廊下をまっすぐ進むと、広いリビングの奥に巨大なガラス窓があった。いや、ガラスでできた壁と表現するほうが正確かもしれない。そこからは都内の景色がよく見え、周辺ではもっとも高い位置にある部屋だった。
「お待ちしていました」
あのとき会社で出会った青年がソファに座ってふたりを出迎えた。
「待っていた、というのは?」
「言葉の通りです。刑事さんたちがこの場所に来るのを心待ちにしていたんです。どうぞ、お掛けください」
やはり、彼は何かを知っていて、あえて我々の印象に残る方法を選択したらしい。亮真の考えは間違っていなかった。
夏海は隣で気づかれないように深呼吸をしている。きっと、彼女も目の前にいる青年が何を掴んでいるのかを聞き出そうと決意したに違いない。
ふたりがソファに座ると、出迎えてくれた女性が三人分のお茶をトレイに載せて歩いて来る。
ひとつずつテーブルに上に置くと、「私は部屋にいるね」と朔那に言ったが、朔那は彼女の手を取り、「ここにいて」と返事をする。
困惑した様子の女性は頷いて隣に座った。
「彼女さん、ですか?」
「ええ、彼女は北河紗理奈といいます」
否定しなかった朔那に驚いて女性は顔を見た。このふたりの関係も、ただの恋人というわけではなさそうだ。
「もう僕の素性はご存知ですよね」
「はい、失礼ながら調べさせてもらいました」
「はじめに伝えておきます。今回、金城さんが自宅で殺害された事件について、僕は何も知りません。だから、話せることはありません」
「なら、どうして我々を待っていたんですか?」
事件に関して何も話すことがないのであれば、警察に用はないはずだ。しかも、仮に彼が犯人であるとすれば、わざわざ自ら疑いを持たれるようなことはしない。
「これはあくまで可能性の話ですが、今回の殺人事件が、僕の父、桐生実誠と関係があるかもしれません」
朔那の言葉は、ある意味で亮真の予想通りのものだったが、なぜ彼がそう考えるのか、その根拠がほしいところだ。
朔那は一枚のメモ用紙をテーブルの上に置く。それは、ポケットに入るほどのサイズで、何やら細かい文字で数字とアルファベットが書かれていた。
よく見ようと亮真と夏海が身を乗り出し、「見てもいいですか?」と手に取る許可を取ってからふたりで内容を確認した。
TT 20010423 500
KG 20040525 800
HK 20051103 1,200
KS 20070222 1,500
「これは何を表しているんですか?」
「正直、僕にもわかりません」
「この内容と、今回の殺人に関係があるとお考えで?」
「可能性はあると思っています」
二文字のアルファベットは人物のイニシャル。続く八桁の数字は年月日のようだが、最後の数字が何を表しているかはわからない。可能性として考えられるのは、金額。金銭の発生する取引を行った何かを記録したもの。
朔那は、上からふたつ目のKGが金城源治であることを疑っているのだろう。
「これは、父が唯一僕に遺したものです。きっと何かを伝えたかったんだと思います。これまで、これらのイニシャルに一致する人物が巻き込まれた事件をすべて調べてきました。ただ、KGが一致した事件は今回がはじめてです。そこで、偶然お会いしたおふたりに、お話ししようと・・・」
「私たちは刑事ですから、捜査情報は話せません」
夏海は刑事として毅然とした態度で朔那に宣言した。
他のイニシャルに比べて、名前がGではじまる人物は確かに珍しいかもしれない。
「わかってます。ただ、僕が捜査に協力できることがあるとも思っています。迷惑をかけるつもりはありません」
「とは言っても、桐生実誠さんが亡くなったのは十三年前。そのリストにあるのは、すべてがさらに前の日付です。今になって何かが起こるとも考え難いと思いますが」
そこで亮真のスマホが着信し、手に取ると相手は一ノ瀬だった。亮真は失礼と一言許可を得てから電話を取る。
亮真はテーブルにあるリストを覗き込み、用件を聞く。
それと同時に脳内に電撃が走る感覚を覚えた。目を見開いたことで、きっとこの表情から何かが起こったことを朔那に悟られただろう。
「すみませんが、ここで失礼します。またお話を伺うことがあるかもしれませんが、そのときはよろしくお願いします」
亮真がソファを立つと、夏海に目配せをして小走りで廊下を抜けた。靴を履こうとすると、朔那がリビングから追いかけてきて、電話番号が書いてあるメモを手渡す。
「また連絡します」
そう言って亮真は部屋を出ると、エレベーターに乗り込む。
夏海は亮真が焦っているように見えた。
いつも冷静な彼にしては、わかりやすく動揺している。
どうも様子がおかしい。
エレベーターの扉が完全に閉まったことを確認して訊ねる。
「どうしたんですか?」
「殺しだ。自宅のテーブルに仰向けで、胸が縦に裂かれた状態で遺体が発見された。被害者は
「それって・・・」
「ああ」
金城の殺害と完全に同じ方法だ。あの強烈な光景を思い出すと、遺体を見る機会が多い夏海ですら鳥肌が立つ。
「まさか、本当にあのリストと今回の事件は関係が?」
「わからん。だが、仮に関係があるとしたら、被害者はまだ出るということだ」
これからもまだ被害者が増える連続殺人になるとしたら、十三年前、桐生実誠が調べていた件を調べる必要がありそうだ。
エレベーターが一階に到着し、扉が開くと同時にふたりは駆けだした。
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