ch.2 託す想い

ep.10 怨恨の刃

 都内の閑静な高級住宅街は、朝からパトカーのサイレンと警察官の話し声で日常とはかけ離れた様相を見せていた。


 午前十一時、広大な一軒家でひとりの男の遺体が発見された。通報があり警察が駆けつけると、ダイニングテーブルの上に仰向けで倒れており、喉元から腹までまっすぐに刃物で引き裂かれるという目を背けたくなる光景が広がっていた。


 警視庁捜査一課の相楽さがら亮真りょうまは、白い布手袋を両手につけて、殺人現場となった広いリビングを眺める。


 亮真は三十六歳で、常に冷静に物事を捉える能力に長けており、捜査に先入観を持ち込むことがないように日々気をつけている。


 高校時代、陸上部に所属しており、短距離走でインターハイに出場した経験を持つほどに走るのが得意だ。


 特に瞬時の加速でトップスピードまで乗せる時間が短く、今まで走って逃げる犯人を逃したことはない。


 二十代の頃は、ひったくりをした原付バイクに追いついたこともあったが、それも歳のせいか、年々身体が重くなっていく。


 被害者はこの家の家主で、金城きんじょう源治げんじ、六十三歳。株式会社GCの代表取締役で、これだけ広大な敷地に一軒家を立てるだけの富は保有しているらしい。


 金城は妻と数年前に離婚しており、子供もすでに自立してこの家を出て行った。それ以来、ひとりでこの家に住んでいたようだ。


 第一発見者は金城に雇われた家政婦の三嶋みしま由紀ゆき、四十二歳。


 彼女は合鍵を持っており、いつも通り午前十時にこの場所に到着した。普段であれば家主は家にいないはずだったが、今日は玄関の鍵は開いていた。不審に思った彼女が廊下を抜けてリビングに入ると、金城が殺害されている状況だったということだ。


 彼女はすぐに警察に通報したが、取り乱した際に遺体に触れ、現場を少し荒らしてしまったそうだ。


 ただ、それはよくあることで知っている人間が血を流して倒れていれば、なんとか救おうと身体に触れて、安否を確認することは珍しくない。


 亮真は室内を見て回るが、部屋が荒らされた形跡は一切なく、窓の鍵もかかっていなかったことから外部からの進入は誰でも可能だったようだ。


 室内を物色されていないことから、強盗目的ではないらしい。


 亮真が考えていると、廊下を歩いて来る足音が聞こえた。この忙しない歩き方は、彼女に違いない。


 予想した通り、廊下から女性が飛び込んできた。



 「遅くなりました」


 「どうした? 何かあったか?」


 「途中で交通事故に遭遇しまして、交通整理を手伝っていたら時間がかかりまして」


 「そうか、ご苦労さん」



 この潑剌はつらつとした刑事は、亮真の後輩であり、相棒の工藤くどう夏海なつみ


 年齢は亮真よりふたつ下で、妹のように亮真の背中を追って、日々事件の捜査をしている。


 この男社会で彼女が花形部署にいられる理由は、なんといっても男顔負けの精神力と身体能力にある。


 幼い頃から空手をしており、高校時代には全国大会で準優勝の経験がある。相手が男でも、彼女が逃すところは見たことがない。むしろ、やりすぎて犯人が気絶したり、怪我をすることが何度かあった。


 そのたびに相棒の亮真も共に説教を受けることになるのだ。


 プライベートでは細身でスタイルがよく、街を歩いていても男に声をかけられることがよくあるそうだが、犯人を追う彼女は鬼の形相になる。



 「強盗・・・ではなさそうですね」



 夏海は質問しようとしたが、周囲を見渡して亮真が答える前にその答えを自ら導き出した。


 家具、小物、すべてが綺麗に置かれていて、家主は不意をつかれて殺害されたと現場が物語っている。



 「顔見知りの可能性が高いな。知らない人間なら少なくとも何かしら争った形跡は見つかるはずだ」


 「怨恨の線が濃厚ですね」



 人間関係による怨恨の殺人のほうが、捜査は行いやすい。なぜなら、被害者の交友関係を調べていると、自ずとトラブルや恨んでいた人間が浮上して、容疑者を絞ることができるからだ。


 強盗であれば、被害者が知っている人間なのか、知らない人間なのか、それすらも判断できない。捜査のために莫大な可能性から答えを導く必要がある。



 「相楽くん」


 「どうです?」



 亮真に話しかけたのはベテラン鑑識官の八尾やおだ。白髪まじりの頭髪で、この人にかかれば微細な証拠ですら必ず明らかになると言われている。



 「鋭利な刃物で胸を縦に引き裂かれるときに、テーブルに押し倒されて後頭部を角に強打してるな」


 「正面から押したってことですか?」


 「ああ、背後か横から襲いかかったなら後頭部の中心をぶつけることはないだろうから、真正面から喉元を刺して、害者はテーブルに乗り上げて後頭部を強打、あとは刺さった刃物を手前に引いたってところだろう」


 「うー、人間のすることですか、それ」



 夏海はふたりの会話を聞いて気持ち悪そうに顔をしかめた。


 だが、彼女の気持ちはよくわかる。いくら恨みを持っているとはいえ、殺害することが目的なら、わざわざ腹まで引き裂くことはない。


 喉元を刺したら、呼吸もできない状態になり、そのまま放置しても間違いなく死亡することは誰でもわかる。


 それでもなお、ここまでの恨みを持って犯行を行うからには、並々ならぬ感情がそこにはあったのだ。



 「殺害方法に何か意味があるのかもしれんな。こんな仏さんは滅多にない」


 「そうですね。ま、周辺から洗ってみますよ」


 「おう、何かわかったら伝える」



 八尾は仕事に戻り、室内から証拠となりうるものを探すため、部下に指示を出していく。


 これから鑑識の気の遠くなるような戦いがはじまるのだ。


 亮真と夏海は、鑑識にしかできないことは任せ、彼らは刑事として求められる仕事をする。



 「まずは、会社の人間からだな」


 「ですね」



 被害者の金城はひとりで暮らしており、外でもっとも会う機会が多いのは、彼の会社の部下たちだ。


 まずは株式会社GCの社員から何か手掛かりはないか、聞き取りを行うことからはじめよう。


 亮真と夏海は金城宅を出て、インターネットで調べた会社の住所に向かった。

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