ep.8 制裁

 「お邪魔します」



 闇金事務所の扉を開けて、朔那が堂々と室内に足を踏み入れた。


 ソファに座る紗理奈と、そのそばで彼女に手を伸ばすスーツ姿の男、さらにその奥で柄の悪い男たちがこちらを見て驚いている。



 「朔那さん、どうして」



 今にも泣きだしそうな紗理奈のそばまで進み、隣に腰を落とした。大きくため息をつき、足を組む。


 朔那は震える紗理奈の顔を見て、優しい笑みを浮かべた。その手には何かの書類が入った茶封筒を持っている。


 言葉にしなくても、もう大丈夫だ、と言われているような安心感があった。



 「一番偉いのは誰ですか?」


 「俺だ」



 紗理奈の近くにいたスーツ姿の男が答えた。


 いかにもお金がありそうな服装、アクセサリーを身につけた男は、気怠そうに向かいのソファに座った。



 「少し、お話をしましょうか」



 ジャケットは床に投げ捨てられ、ネクタイを外してワイシャツの胸元が大きく開かれていることから、彼が何をしようとしていたのかは容易に想像がつく。


 もちろん、すでにこうなることはわかっていた。



 「北河紗理奈さんを引き取りに来ました」


 「それは、どういう意味だ?」


 「言葉のままですよ。日本語は理解できますよね?」



 朔那の挑発するような態度に、奥に並んでいた男たちがこちらに歩みを進め、朔那を囲むように立った。


 それでも朔那は一切動揺することなく、男たちの顔をじっと見て微笑んでいる。


 この余裕はどこから来るのだろう。


 もし、力ずくで逃げるにしても人数差がありすぎる。



 「借金なら僕がお支払いしますよ。借用書を見せてもらえますか」


 「そんなものはない」


 「ない? おかしいな」



 朔那はまるで大根役者のように両手を広げてわかりやすく驚いた演技をする。それがさらに男たちの癪に障ったようで、静寂に包まれた室内に舌打ちの音が響いた。



 「借金は口約束でも契約が成立する」


 「ええ、知ってます。が、あなたたちもビジネスで金貸しをやっているのであれば、法的に有効な契約書を証拠として持っておくべきではありませんか? それがないのであれば、僕はここで支払わなくても、追及する手段はないに等しい。何か反論はありますか?」


 「あのね、お兄さん。俺らがまともな金貸しに見えるか? 法律がどうとか、そんな綺麗事じゃこの世界では生きていけねえんだよ」



 向かいの男のこの言葉で、朔那の雰囲気が変わったことに紗理奈は気づいた。彼を取り巻く空気というべきか、オーラのような何かが急激に冷たくなったような感覚だった。



 「だろうね。あんたたちがやってることは調べた」



 朔那は持っていた茶封筒をテーブルに投げると、摩擦が勝つまでそれはテーブルを滑り、ちょうどスーツの男の手が届く距離に止まった。


 男は封筒から書類を取り出し、一枚ずつ目を通していく。ページが進むにつれ、表情が険しくなっていくことがわかった。



 「てめえ、何者だ」


 「ただの大学生。ただし、少しだけお金と知恵を持った、ね」



 紗理奈はこの場で起こっていることが何も理解できず、ただ向かいの男と朔那の顔を交互に見ているだけだった。



 「あんたの狙いは借金を回収することじゃなく、紗理奈さん本人だ。そこに書いてある通り、ここはただの金貸業者じゃなくて、法外な利息を設定して客がお金を返せなくなるまで追い詰めて、最後には身体を売らせることで回収している。ビジネスとしては賢いだろう。が、さすがに規模を大きくしすぎた。証拠を掴むのも簡単だった」



 男は書類と封筒を床に投げ捨て、朔那を睨みつける。


 今にも襲いかかってきそうな般若の如く形相を浮かべ、獲物の首に噛みつくタイミングを測っているようだ。



 「紗理奈さんの母親は、あんたらから金を借りた。それがいくらかは知らないけど、あんたは娘が金になることを知って、快く引き受けた。お金を返しに来るように仕向け、この場所に誘い出せれば、あんたらの勝ちだ」



 母親はさらにお金を手に入れるため、紗理奈に借金の話をして、実際にお金を持って来させた。この場所でお金を奪い、あとはこの男たちに娘を差し出せば、晴れて自分は大金を手に入れて借金も免除というわけだ。


 虫唾が走る。


 こんな親がこの世にいることに、抑えようのない怒りを覚えた。


 だから、紗理奈を救い、この男たちにはここで地獄を見せることを選んだ。



 「さて、それがわかればもうここに用はありません。帰ります」



 朔那は紗理奈の手を引いてソファを立った。扉を振り返ると、男たちが逃さないように通路を塞ぐ。


 すでにこうなることは朔那も予想していたはずだ。むしろ、この状況を作るために悪態をついていたとさえ感じさせる。



 「ただで返すわけないだろうが。悪いが、痛い目に遭ってもらう」


 「そうか。置き土産を忘れるところだった」



 朔那がスーツの男に笑顔で振り返ると、勢いよく入り口の扉が開き、前に立ち塞がっていた男が綺麗に宙を舞って床に叩きつけられた。


 入ってきたのは、背が高く、日本人とは思えない顔立ちの男だった。着物を着ていて、扇子で顔を煽ぎながらゆっくりと一歩ずつ、怯える男たちにじりじりと寄ってくる。



 「朔、いいんだな?」


 「ああ、頼む」



 先頭にいた男は少しずつ後退りをしていたが、白幡虎徹の圧に耐えきれなくなり、ついに玉砕覚悟の特攻を決意した。


 虎徹はまるで何もなかったようにその男を一撃で沈める。



 「何してんだ! 全員でかかれ!」



 リーダーの男の声で次々と虎徹に襲いかかるが、何人が束になって飛びかかっても、彼はそのすべてを跳ね返し、ペースを変えることなく歩き続けた。


 朔那は紗理奈の手を引いて壁際に逃げるが、話していた男だけが朔那に向かってきた。


 普段から命令だけで安全なところにいる男は、どうも実戦には不慣れらしい。


 大振りの拳は空を切り、朔那は虎徹がいる方向に男を蹴った。そのままよろけた男は、虎徹にぶつかり、その威圧感に屈服して床に膝をつく。



 「それでは、失礼します」



 小さい声で勝利宣言をして朔那は事務所をあとにする。



 「数がいた割に弱かったな。朔ひとりでも大丈夫だったろ」


 「紗理奈さんを守りながら戦うのは難しいからさ」



 階段を降りながら話す虎徹は、どうにもまだ暴れ足りないようだった。


 もうすぐ警察がここにやってくる。


 虎徹に調べてもらった証拠は床に散らばっている。


 制裁は完了だ。帰ろう。


 朔那は紗理奈の握った手に力を込めた。

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