ep.7 敗者
これでまた、自由な生活が手に入る。
鞄の中を見ると、確かに札束が入った封筒が入っていた。腕を組んで歩く男は、私より二十歳も若いが、彼はずっと一緒にいようと言ってくれた。
すべては計画通りに進み、自分に才能があるとさえ思ってしまう。
娘の紗理奈がどれだけの貯金を持っているかは知らなかったが、城帝大学はお金持ちが通う大学として有名だ。
その分、教育体制が整っているらしく、日本中から優秀な生徒が集まるが、家庭の問題で経済的にゆとりがない者は入学すら許されない。
まさか、九十九グループの御曹司と交際していたとは思わなかった。
闇金の取り立てのせいで部屋を追い出され、しばらくはネットカフェなどで生活を保っていたらしいが、さすがに彼氏に頼って部屋に同居することになったようだ。
九十九の跡取りの恋人が家もないような女では、体裁が悪い。だが、紗理奈のことだ。迷惑をかけまいとひとりで解決しようとしたのだろう。
親のいない子供が、これだけお金のかかる大学に入学するためには、背後に必ず資金源がある。
そう睨んだ私の考えは大正解。
その結果、大金を手に入れ、私はこれから第二の人生をはじめることができる。
世間の目など気にしない。
母親失格だと言われても、人間失格だと烙印を押されても、最終的に笑っている者が勝者なのだ。負けた者は指を咥えて羨ましがり、恵まれた誰かを悪く言うことで自らの立場を正当化しているにすぎない。
私は被害者だった。
子供が幼い頃に、あの男は私を捨てて消えた。若い女に奪われた。
あの男にどれほどの魅力があったか、今となっては疑わしいが、一度は私が選んだ男だ。
私が選択を誤ったことは認める。
当時はまだ、子供に愛情を持っていた。何よりも可愛い息子と娘、ふたりがいれば、どんなことだって耐えられるはずだった。
だが、ある日考えてしまった。
あの男の、夫の血が入った子供たちも、いつか私を裏切るのだろう。こうやって精一杯愛情を注いで、自らの人生を犠牲にして働いたとしても、彼らは私を見捨てて去っていくかもしれない。
もう裏切られるのはごめんだ。
私はそう疑って、自ら子供と離れることにした。
その後、数人の男と関係を持ったが、若い男は貢がせるだけ貢がせて、もう甘い蜜は吸えないと判断した瞬間、他の女に乗り換える。
そう、私はずっと被害者であり、敗者だった。
このお金で、私を愛してくれているこの人と一緒に、幸せを手に入れる。やっと私は、真の勝者になることができた。
腕に力を入れ、男の顔を見て微笑むと、彼も同じように笑みを返す。
周囲からは親子に見えるかもしれないが、周りの目など今更気にしない。
高揚する気持ちが地面を蹴る足に力を入れ、自然とリズムを刻むように身体を前進させる。
「すみません、少しよろしいですか?」
突然私の世界を破壊する声が飛び込んできた。
それは、紺色の帽子と同じ色の服を着たふたりの男だった。ふたりともまだ若く、この状況でもっとも話したくない存在だ。
「ご協力をお願いしたいのですが、身分を証明するもの、何かお持ちですか?」
歳の離れたカップルは怪しいとでも言うのか。失礼な話だ。愛があれば、歳の差など大きな問題ではない。
「今は持ってないです」
隣の男が答えると、警察官は私に持っているかと訊ねた。残念だが、生憎私も今は持ち合わせていない。
ふたりは何やら目で会話をするように無言でお互いを見て、ひとりが「手荷物を見せてもらえますか?」と鞄に手を伸ばした。
「やめて。別に危険なものは持ってないわよ」
私は反射的に鞄を抱え込んで、警察官の手から逃れようとする。
この行動は怪しいだろうが、嘘はついていない。鞄の中に大金が入っていようが、犯罪ではないのだ。
ただ、娘から強引に奪い取ったものという後ろめたさが、身体を無意識に動かした。
「危険なものがないなら、見せていただけませんか? 何もなければそれで終わりですから、ね?」
警察官はこの程度のことには慣れていると言わんばかりに、穏やかに説得を開始した。
「鞄の中を見せたらそれで終わりっすか?」
隣の男が苛立ちながら、若い警察官に訊いた。
彼も同じことを考えたのだろう。四百万円を持っていようが、それは犯罪ではない。そのお金の入手経路については説明する義務もない。
それに、お金を奪われた紗理奈は、今頃闇金事務所であの男たちに囲まれている。もう警察に通報することもできない。
「わかった。自由に見て」
鞄を差し出すと、ひとりが手に取って中を見る。当然、封筒に目が止まり、もうひとりがそれを取り出した。
「随分たくさん持ち歩いてるんですね。四百万ですか。何か高い買い物でも?」
「ええ、ちょっと。基本いつもキャッシュを使うので」
「いいですね。僕たちみたいな庶民にとっては、羨ましい限りです」
警察官のふたりは引き続き鞄の中身を確認していくが、その封筒以外に怪しいものは何もない。
「もういいですか? あまり時間がないんですよ」
彼がそろそろ我慢の限界らしいが、この無意味な拘束からは、まもなく解放される。
「あ、おまわりさん」
突然、視界の外から現れた男女が警察官に話しかけた。
カップルのようだが、男は外国系の血が入っているようで、鼻が高く、芸能人のような華やかなイケメン。女は彼氏に引けをとらず、人目を引くような美形で、モデルと言っても疑われないスタイルを持っている。
「このふたり、さっき女の子から封筒を奪って行きましたよ。多分、あれお金じゃないかな」
「偶然通りかかって、さっき警察に通報したんですよ」
警察官はそれと同時に耳についているイヤホンに手を当てる。最悪のタイミングで通報された内容が無線連絡で入ったらしい。
イケメンの男はスマホの画面を警察官に見せる。反応から、おそらくそれは私たちが紗理奈から封筒を奪った様子を映した動画だろう。
通報、目撃者、犯行の動画、そして鞄の中の大金、すでにすべてが完璧に揃っている。
「もう少し、お時間いただけますか? お話を聞かないといけなくなりました」
警察官の目が鋭い光を放ち、私たちを捕らえる。
危険を悟ったのか、腕を組んでいた男が私のそれを振り払って逃げ出した。
「待ちなさい!」
警察官のひとりが彼を追いかけて走って行く。
終わった。これからの人生、やっと輝けると思ったのに、結局私は、どれだけ努力しても敗者なんだ。
「紗理奈さんの気持ちを踏みにじって、最低」
犯行を目撃したという眩しいほどに若くて綺麗な女が、確かにそう言った。
そうだ、このふたりは、昨日紗理奈と一緒にいた。私は騙されたんだ。こいつらにはめられた。
「お前らのせいで!」
私は力の限り叫んだ。
このカップルをただで返すわけにはいかない。
だが、警察官が簡単に私の身体を止めた。
「やめなさい!」
「こいつらが、私をはめたのよ! こいつらを捕まえて!」
「何を言ってるんだ!」
暴れている中年の女を物珍しそうに見ては笑う通行人が目に入った。
「どいつもこいつも馬鹿にしやがって。 私は被害者なのよ」
「ふざけんな! 被害者は俺だ」
逃げたはずの愛しの彼が警察官に捕まってこの場所に戻って来た。その表情からは怒りがあふれており、先ほどまで向けてくれた笑顔はどこかに消えてしまっていた。
「何よ、あんたもお金を手に入れたらふたりで一緒に暮らそうって言ったじゃない! 愛してるって」
「うるせえ! 誰がお前見たいな年増を好きになるかよ。金が手に入るから一緒にいただけだ」
「何よそれ!」
応援のパトカーが到着し、現場では男女の醜い罵り合いが続いた。
自らを被害者と言い訳して行動を正当化していたのは、私のほうだったのか。
そんなはずない。私は、ただ幸せになりたかっただけなのに・・・。
「紗理奈さんがここにいなくてよかったっすね」
「うん。あとは、朔ちゃんに任せよう」
瑠偉と真綾は、紗理奈の未来が明るいことを祈った。
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