ep.4 他人の靴を履く

 都内の高層マンションが立ち並ぶエリア。


 これらのほとんどは九十九グループが建設したもので、最下層の部屋を購入するにも五千万円は下らない。


 洗練されたデザインの建造物に、緑豊かな庭園が映え、都会でありながら自然が体験できる人気のスポットになっている。


 このエリアに住んでいなくても訪ねる人は多く、散歩や子供の遊び場として人々に愛されていた。


 朔那は真綾、瑠偉、カフェで会った女性とエレベーターに乗り込むとセキュリティカードをかざして最上階のボタンを押した。


 一定の階より上に向かうためには、このセキュリティカードで認証を受けるか、居住者によって室内から認証確認をしてもらわなければならないようになっており、安全性は保証される分上階になるほど販売価格は上がる。


 そして、このエレベーターは有名メーカーの最新式で、わずかな時間で遥か高いところまで人々を運ぶことができる。


 扉が開くと、エントランスにあったような豪華なロビーの奥に、ひとつだけ扉があった。


 朔那が扉のそばについている端末のパネルに人差し指をつけると、鍵が解錠された。


 最新のマンションは、すでに鍵を必要としないらしい。



 「どうぞ」


 「お邪魔しまーす」



 朔那は扉を開けると、玄関で靴を脱いで廊下を進む。真綾と瑠偉は何度も訪ねて慣れているように靴を脱いであとを追った。


 女性は、促されるままに躊躇しながら室内に入る。


 廊下を進んだ先はリビング、ダイニング、キッチンになっており、今までの人生で民家に見たことがないような広い空間にシンプルに家具が配置されていた。


 広すぎるがゆえに、どれだけ家具を置いても部屋は寂しい雰囲気になるのだろうが、この部屋にはソファ、テーブル、テレビと小物を入れるための棚があるだけで、インテリアにはあまり興味がないようだ。


 しかし、リビングの奥は一面が巨大なガラス窓で、都内の景色がよく見える。


 外部から室内が見えることもないため、カーテンはつけられていない。



 「コーヒー入れますね」


 「よろしく」



 瑠偉はキッチンのどこに何があるのかをすべて把握しており、迷うことなく食器棚からカップを出して、お湯を沸かして準備をする。



 「どうぞ、座ってください」



 真綾は女性にソファに座るように促し、朔那は「俺の家なんだけどな」と言いたげにその様子を見ていた。


 先ほど買ってもらったホットサンドは鞄に入れてある。感謝してあとでいただくことにしよう。



 「自己紹介まだでしたね。私は白幡真綾、外国語学部の二年生です。で、あのイケメンが神崎瑠偉。最近大学デビューしたばかりの一年生。で、彼は九十九朔那、二年生。もう知ってますよね」


 「私は北河紗理奈と言います。経済学部の三年生です」


 「それじゃ、先輩ですね」



 コーヒーを四人分トレイに載せて瑠偉がやって来た。ひとつずつテーブルにコーヒーを置いて、朔那のコーヒーを除いて、そばにシュガースティックとフレッシュを置く。



 「ありがとうございます」


 「それじゃ、話の続きを。お金の問題で退学しないといけないというのは、どういった事情ですか?」


 「私には親がいません。先ほど言った通り、六歳上の兄だけが家族です。だから、学費は奨学金で払って、生活費はアルバイトで稼いでいます」


 「それが急にできなくなった理由は?」



 朔那の質問に、紗理奈は俯いて表情を曇らせた。


 大学に入学してから二年間、紗理奈が言った方法で経済的に自立できていたのに、それが突然できなくなったことには、何か理由があるはずだと朔那は考えた。



 「母が作った借金の取り立てに追われて、なんとか少しずつお金を払っていたんですけど、私の返せるお金では到底足りなくて」


 「お母さんは、いないって言いましたよね?」


 「父は私が幼い頃に家を出て行きました。そして、母もひとりで子育てをすることに疲れて、私を捨てました」


 「そうだったんすね」



 瑠偉は母がいないと聞いて、てっきり亡くなったのだろうと思っていたが、そうではなかったらしい。


 紗理奈の母が借用書の連帯責任者に娘の名前を書き、返済ができずに消えたということだろう。


 世の中には子供の足を引っ張るだけの毒親がいることは事実だ。


 朔那は血の繋がらない母親から愛情を受けたことはないが、少なくとも生きる上で邪魔をされたことは一度もない。経済的な支援はしてくれるし、その点は感謝している。



 「兄がいまして、仕送りをもらっていて、でもそのお金はいつか兄に返そうと使わずに貯めていたんです。そんなときに母が現れて、闇金の人が私の家までやって来て、仕方なく兄の仕送りのお金を渡して、それでも足りなくて」



 話しているうちに紗理奈は涙を流していた。


 自らが置かれた状況に対する悲観だけでなく、兄からもらったお金に手をつけてしまったことへの罪悪感がそうさせるのかもしれない。



 「とうとう借りていた部屋を追い出されました。人相の悪い人たちが大声出して、扉を叩くので、他の部屋から苦情が入ったみたいです。家具を全部売って、そのお金も渡しました。住む場所もなく、食費も削っていたら、頭がボーッとして、目を覚すためにコーヒーを買ったんですけど」



 そうして限界を迎えたときにカフェで倒れ、朔那たちと出会った。



 「今はどうやって暮らしてるんですか? 部屋を追い出されて、住む場所はあるんですか?」



 紗理奈は俯いたまま首を横に振った。



 「ネットカフェで泊まったりで凌いできたんですけど、毎日泊まるお金もなくて、何度か公園で夜を明かしたこともあります」


 「そんな・・・」



 劣悪な環境でも、なんとか精神を保っているのは、兄のためだろう。だが、このままではいつ最悪の事態が起こるかわからない。



 「その借金はいくら?」


 「四百万円です。どんなに頑張っても、すぐには返せませんし。兄に頼ることもできません。私のために自分を犠牲にしてきた兄に、これ以上不幸な思いをしてほしくないんです」



 朔那は紗理奈の言葉を最後まで聞くと、ソファを立って廊下の奥へと歩いて行った。扉を開ける音がして、しばらくすると手に何かを持って戻って来た。


 テーブルの上にどんっと置かれたものは、札束だった。



 「四百万円ある。これで借金を返せばいい」


 「いえ、そんな。受け取れません」



 出会ったばかりの人からこんな大金を受け取るわけにはいかない。何より、返済能力がない現状でお金を借りることは詐欺にあたる。



 「朔ちゃんは、お金の見返りに酷いことしようなんて考えてません。安心して受け取ってください」


 「そうじゃなくて、こんな大金お返しするまでどれだけかかるか」


 「利息はなし。返済期限もなし。大学を卒業して、働きはじめてから、無理のないペースで返してくれればいいよ」



 私がどんな人間かもわからないのに、どうしてここまでしてくれるの?


 生い立ちのせいか、兄以外の人間は信用せずに生きてきた。だけど、この人たちは、私を救おうとしてくれている。


 頼っていいのかな?


 両親すら頼ることができなかった私でも、この人たちを信じていいのかな?



 「俺は九十九の人間だけど、母とは本当の親子じゃないんだ。両親のことはあまり覚えてない。だけど、環境には恵まれて、不自由のない生活をしてる。もし、九十九に養子に来てなければ、あなたと同じ状況だったかもしれない。だから、助けたい。それじゃ駄目かな?」


 「駄目じゃ、ないです」


 「このお金は俺が持っているより、あなたが使うほうが有意義だ。なら、喜んで差し出すよ」



 紗理奈は、テーブルに置かれた札束に手を伸ばした。それは、感じたことのない重みがあり、感じたことのない温かみを纏っていた。



 「ありがとうございます。必ず返します」



 これで解決だ、とはいかない。紗理奈が解決すべき問題はもうひとつある。



 「紗理奈さん、住む場所がないんですよね? 朔ちゃん、なんとかならない?」


 「いえ、大丈夫です。それはなんとかしますから」


 「駄目っすよ。女性がひとりでネットカフェなんて。それに、お金がないから外でいることもあるんすよね? 危ないっすよ。朔那さん、なんとかなりませんか?」



 真綾と瑠偉の視線が朔那を突き刺す。


 なんとか、と言われても、できることといえば、ひとつしかない。



 「一部屋空いてるから、自由に使っていいよ。鍵もついてるし、紗理奈さんが俺と同居するのが嫌じゃなければ」


 「嫌じゃないですけど、その・・・」


 「朔ちゃんは襲ったりしないから安心してください。全然女の子に興味ないんですよ。それでももし、何かされたら私が殴ります」


 「俺も殴ります」


 「おい」



 こういうとき、なぜか真綾と瑠偉は息が合う。いろいろと指摘したいが、それはまた今度にしよう。


 紗理奈は内心不安だったが、確かに今は頼らなければ生活していくことすら難しい。



 「すみませんが、しばらく泊めていただいていいですか? 家事でもなんでもしますので」



 真綾と瑠偉がハイタッチして、新生活に必要なものを買いに行こうと立ち上がる。



 「いや、私お金が・・・」


 「朔ちゃんが出しますよ。新生活のお祝いです」


 「おーい」



 真綾は紗理奈の手を引いて足早に玄関に向かった。


 反論する時間は一切与えない作戦らしい。



 「大変っすね。朔ちゃん」


 「お前ら、憶えてろよ」



 朔那は大笑いしながら逃げる瑠偉のあとを追った。


 楽しいショッピングのはじまりだ。

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