ep.3 恐ろしい親切

 「疲れたー」



 大学のカフェで神崎かんざき瑠偉るいはテーブルに上半身の体重を乗せて顔を埋めた。


 テーブルを挟んだ向かいには朔那が座っており、ブラックコーヒーを飲みながら瑠偉を見る。


 大学のカフェは常に生徒で満席で、授業間の時間潰しや、パソコンやノートを開いて課題に打ち込む学生、グループワークのために集まったり、ただ友人と会話を楽しむ者たちで賑わう。


 仕事の休憩にドリンクを買いに来る教員や職員もおり、休憩時間はレジに長い列ができるほどだ。


 瑠偉は大学一年生の入学したばかりの後輩だが、同じ高校に通っていた頃から知った仲だった。


 アメリカ人の父と日本人の母を持つ彼は、目立つ容姿をしている。身長は朔那より高く、スタイルがいいため、モデルのように人目を惹くことが多い。街中を歩くとスカウトをされることも珍しくない。


 黙っていれば男性としての魅力は申し分ないのだが、性格は決してそれに比例しておらず、いわゆるドジなところがある。


 生い立ち上英語は堪能、日本で暮らしてきたため日本語も違和感がないほど自然に話すが、ときどき言葉遣いがおかしいことがある。加えて、人より少しだけ物覚えが悪い。


 本来なら頭が悪い子と評価されるはずが、彼の場合は容姿とのギャップが魅力的だと歳上女性からアプローチされることが多いらしい。


 それでもこの大学に進学するまでの努力ができることは、一種の才能なのかもしれない。



 「朔那さんと同じ大学行きたくて頑張りましたけど、やっぱ城帝の授業は難しいっす」



 顔を上げた瑠偉が愚痴を言いはじめた。


 この大学は授業の内容が難しいというよりは、課題が多いことと、単位取得のためのテストとレポートの量が多いことが生徒を苦しめる。



 「そのうち慣れる。俺も最初は大変だったよ」


 「そんなもんですかあ?」


 「人間は嫌でも学習して慣れていくもんだからさ」


 「じゃあ、頑張ろうっと」



 瑠偉は朔那の言葉に自信を持って姿勢を正した。テーブルの上にあるミルクティーを飲み、気を引き締める。


 単純で操りやすい瑠偉の性格は、簡単にポジティブに切り替わる。その点でいえば、羨ましいものだ。


 朔那はため息をついた。


 この大学のどこにいても朔那と瑠偉は注目される。それは、先述の通り瑠偉が人目を惹く容姿をしているだけでなく、朔那が九十九グループの御曹司であることをほとんどの学生が知っているからだ。


 入学してからというもの、九十九に入社希望の学生から幾度となく声をかけられて、自らの就職活動を有利にしようと企む者がいた。


 面接で御社の社長のご子息と友人でして、と言えば採用されるとでも思っているのならば、短絡的な考えだ。


 大学を卒業すれば、朔那自身も九十九グループに入社することになるだろう。それからもずっと、同じことが繰り返される。


 常に誰かにとっての道具として扱われることにはもう疲れた。



 「朔ちゃん、瑠偉くん。一緒にいい?」



 声をかけられて振り返ると、真綾がドリンク片手に立っていた。


 朔那が友人として認めている真綾と瑠偉は、彼が大企業の御曹司や大金持ちというレッテルを剥がしていたとしても、ひとりの人間として見てくれる。


 だからこそ、大学でこのふたり以外の学生と仲良くなったことはなかった。



 「真綾さん、こちらどうぞ!」



 瑠偉が隣の席に置いていた荷物を床に下ろして彼女のための席を空ける。ドジだと紹介してみたものの、瑠偉は女性の扱いに関しては朔那より長けている。



 「ありがと」



 カフェは席を取っておかないと基本的に座ることができないため、真綾は友人を見つけて合流するスタイルを確立しているのだ。朔那と違い、真綾は顔が広く学内に友人が多い。


 そして、その友人の中には朔那に近づきたい者もいるそうだが、下心で朔那に近づこうとする人間を真綾は許さない。



 「なんの話してたの?」


 「授業についていくの大変なんですよ」



 朔那が向かいで雑談するふたりを見ていると、視界の隅にある女性が入った。


 朔那たちが座っているテーブルのすぐそばを通りかかった女性は、ドリンクを持って歩いているが、どうも足元が不安定で、顔も疲れているように見える。



 「あっ」



 嫌な予感は的中し、その女性は床に倒れ、持っているドリンクの中身をすべてこぼしてしまった。


 周囲の学生が彼女に注目するが、誰も彼女を助けようとはせず、中には転んだ女性を見て笑っている者もいる。


 こういうとき、もっとも早く行動をするのが真綾と瑠偉だ。席から立つと、真綾は女性に大丈夫か声をかけ、瑠偉は床のコーヒーを拭くための布巾を受け取りに商品の返却口に向かった。


 朔那も立ち上がり、レジに向かう。



 「ここに座ってください」



 真綾は座っていた椅子にその女性を座らせると、隣に座って怪我がないかを確認した。幸い身体を強打していないようで、特に痛みもないようだ。


 瑠偉と掃除用具を持った店員が戻って来て、床の掃除をはじめた。



 「あれ、朔ちゃんは?」


 「あれ、どこ行ったんだろ?」



 落ち着いて朔那がいないことに気づいた真綾と瑠偉が周囲を見回していると、新しいコーヒーとホットサンドを持った朔那がテーブルに戻って来た。


 俯く女性の前にそれらを置くと、朔那は向かいに座る。



 「あの、これは・・・」


 「コーヒーとホットサンド」


 「朔ちゃんの奢りです。遠慮せずにどうぞ」


 「それ、俺の台詞でしょ。まあいいや」


 「すみません。ありがとうございます」



 こうして近くで見ると、女性の顔は痩けてあまり寝ておらず疲れ切っているようだ。


 何か悩みがあるのだろうが、他人が簡単に踏み込める領域とは限らない。


 一般的には、そう考えるだろうが、一緒にいるふたりは違う。



 「何かお困りでしたら、話してみませんか? 力になれることがあるかもしれませんし」


 「そうっすよ。こうやって出会ったのも縁ですから」



 朔那が想像していた通りの行動に出た真綾と瑠偉に、自然と笑みがこぼれる。だからこそ、朔那はふたりを信頼しているのだ。



 「いや、でも・・・」



 突然そう言われても、見ず知らずの人に悩みを打ち明けることはそう容易なことではない。



 「この人、九十九グループの御曹司なんすよ。そこらの人より頼りになります」



 瑠偉はなぜか自分のことのように胸を張っている。


 もう指摘するのも疲れた。


 朔那は黙って女性を見る。



 「知ってます。私の兄は九十九の社員なので。お世話になってます」


 「俺は何もしてないけどね」



 九十九の社員といえど、グループ全体の社員数は数千にのぼる。そして、朔那はまだ学生で、会社には関わりがない。



 「実は、大学をやめないといけなくて」



 女性は視線をテーブルのホットサンドに落として恐る恐る話をはじめた。



 「どうしてですか?」


 「お恥ずかしい話ですが、お金の問題で」



 朔那なら、お金のことなど、どうにでもなる。金を貸してほしいと言われれば、すぐにでも貸すことはできる。


 しかし、根本的な問題を解決しなければ、彼女を助けることにはならない。



 「詳しく教えてください。ここでは話しづらいから、場所を移しましょう」



 真綾は立ち上がりやる気を見せるが、それは朔那にとって悪い予感がするものだった。



 「え、どこ行くの?」


 「決まってるでしょ」



 ああ、やっぱり。


 彼女の微笑みはときに恐怖心を刺激する。


 朔那は覚悟を決め、学生の視線を浴びながらカフェを出た。

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