思い出の勇者料理カツドゥン
高村 樹
思い出の勇者料理カツドゥン
勇者リューは元の世界に帰っていってしまった。
そう思うことにした。
あの強かったリューが死ぬはずがない。
必ず生きて戻ってくると約束してくれた。
リューと共に戦った仲間の報告では、魔王を倒し、この世界を救うという使命を果たしたその直後、何もない空間に突然裂け目のようなものが現れ、その中に飲み込まれてしまったのだという。
魔王討伐と勇者リューの消息が途絶えたという報告が入ってからもうすでに三日が経ってしまった。父であるエフベルト王に懇願し、国中を捜索してもらっているが有力な手掛かりは今のところ得られていない。
「王女殿下、そのように思い詰めては体に毒でございます。勇者殿が消息を絶ったと報告が入ってからというもの、ほとんど何も口にしていないではありませんか」
執事長のパリスが心配そうな顔で見つめている。
パリスは幼き日より今日まで、身の回りの世話から、読み書きなどの教育までしてくれた育ての親といってもいい存在だった。そのパリスにこんなにも心配をかけてしまっている。パリスの深い皺が刻まれた顔が、今日は一層険しく思い詰めているように見えた。
「失礼します。勇者リューと共に魔王と戦った賢者オロロカ様、戦士ノーキング様が姫様に直に報告をしたいとお目通りを願い出ておりますがいかがいたしましょう」
扉の向こうから警護役を任されている騎士の声が響く。
「パリス、入ってもらうように伝えて」
パリスは扉の近くまで行き、短く「入れ」と伝えた。
警護役の騎士に連れられ、二人の男が入室すると恭しく膝をついた。
二人は旅装ではなく、場にふさわしい正装だった。
賢者オロロカは、名門貴族出身で私の幼馴染でもあった。子供の頃は一緒に遊んだこともある。氷魔法でバラの花を作り、プレゼントしてくれたこともある。
戦士ノーキングは、国軍を束ねる騎士団長の末子だ。こちらも家柄が良く、何度かすれ違い、挨拶したことがある。
異世界から来た勇者リューのお目付け役兼パーティメンバーとして魔王討伐に同行したのだった。
「アマリア王女殿下、この度は魔王討伐を見事成し遂げましたこと、御報告申し上げたく参上いたしました」
賢者オロロカは、顔を上げ、誇らしげな様子で高らかに報告する。戦士ノーキングも満面な笑みで胸を張る。
魔王討伐の成功で国中が喜び沸き立ち、連日連夜祭り騒ぎになっているのは聞いている。
しかし、今は勇者リューの消息が気になって、皆と喜びを分かち合うことができない。
「それで勇者リューの消息はどうなりましたか」
賢者オロロカは苦虫を嚙み潰したような顔で床を見つめる。
「勇者リュー殿は誠に残念でございました。無事であれば、今頃我らとともに、この歓喜の輪に加われたものを。いや、まことに惜しい男を亡くしました。あれほどの深手を背中に負ってはまず助かりませんな」
戦士ノーキングは部屋中に響く大きな声で答える。
賢者オロロカは、余計なことを言うなとばかりに、ノーキングの服を掴み、睨みつける。
「勇者リューは空間の裂け目に飲み込まれたと聞いていましたが、深手を負っていたのですか」
「魔王めの悪あがきにございます。勇者殿が勝利を確信し、背を向けたその時、魔王の最後の一撃が背中を抉ったのです。その後、魔王も力尽き、勇者殿も空間の裂け目に吸い込まれたというわけです。賢者である私の予想ですが、あれは次元の狭間に繋がっており、あの深手では帰還は絶対に不可能。勇者リューは銅像でも作り、後世までその武勇を伝えることで報いればよろしいかと存じます」
リューは、空間の裂け目に吸い込まれただけではなく、深手を負っていた。
目の前が真っ暗になるような感じがして、倒れ込みそうになる。
自分が気をもんだところで意味がないことはわかっている。
リューが無事帰ってきてくれることを祈り、毎日大聖堂に行き、祈り続けていたが、神様は何も答えてはくださらなかった。
勇者リューは自分たちの都合で呼び出した異世界から来た人間だった。
王家に古くから伝わる秘宝の力を借り、三日三晩大がかりな儀式の果てに異なる世界から魔王に太刀打ちしうる力を有した者、すなわちリューを召喚した。
彼には元の世界に家族がおり、そこで歩むはずだった人生があったのだ。
魔王の手下に捕えられていた私を単身乗り込み助けてくれたのも勇者リューだった。
彼が助けてくれなければ私は今頃、魔王への貢ぎ物になってしまっていたことだろう。城への帰還の途中、歩けなくなった私をおぶってくれた背中のぬくもりを今でもはっきりと思い出せる。
近くの村へたどり着き、王都へ迎えを寄こすように使いを送った。
王都から迎えの者たちが到着するまでの一月ほど、村に滞在した。
リューは民家の調理場を借り、見たこともない料理の数々を作ってごちそうしてくれた。
中でも大好きだったのは次のメニューだった。
オークの肉をたたいて柔らかくした物にパンを削ったものをまぶして焼いたものを卵でとじ、コメという植物の小さな実を炊いた物の上にのせて食す≪カツドゥン≫。
野草とパンひとかけらが入った上品なスープ≪スマシージル≫、塩味で食感が心地よい≪アサヅッケ≫。
本来使用する食材はこの世界では手に入らないものが多かったため、味見をしながら、近い味にしてくれたとのことだった。
その料理の一つ一つが全て美味しくて、秘訣を尋ねると「ダシだ」と短く笑って答えてくれた。前にいた世界ではニホン料理の修行中の身だったと明かしてくれた。
彼との一月の思い出は、城での生活しか知らない私にとってこの世に一つしかない宝石のように大事なものだった。
「勇者リューは残念なことになりましたが、忘れましょう。また幼き日のように私が傍にいて王女殿下を御支えいたします」
賢者オロロカは涙を浮かべ、震える拳を自分の膝に叩きつける。
「失礼」
突然、扉が勢いよく開き、戦士ノーキングの腰にぶつかった。
ノーキングはそのまま前につんのめり、顔面を床に強く打ち付けてしまった。
「何者だ。無礼ではないか。王女殿下の御前であるぞ」
オロロカは無遠慮に入室してきた給仕の男を睨みつける。
給仕はオロロカの視線など意に介さず、料理の乗ったワゴンを室内に運び入れると不敵に笑った。
クローシュに覆われているのに、おいしそうな香りが部屋中に漂い始めた。
空腹のせいか、≪その料理≫の匂いを感じ取ってしまう。
食欲をそそる香り。
私はこの香りを知っている。
思わず唾液が溢れるのを感じ、はしたないと己を恥じた。
「アマリア、ずっと食べてないんだって?」
給仕の男は親しげに問いかけてきた。
年は二十代半ばくらいであろうか。この国では珍しい黒い髪と眉。精悍な顔立ち。
良く鍛えられた体躯は、城勤めの使用人のものではない。
給仕の服は身に着けているが、その男の顔は紛れもなく勇者リューその人だった。
オロロカとノーキングの顔に戦慄が走る。
「どういうことだ。生きているはずがない。偽物だ」
オロロカは後退り、全身を小刻みに震わせている。
「驚いたか?俺も驚いたよ。まさか仲間のお前たちに殺されそうになるとはな。魔王を打倒して感慨に浸っているところを背後からバッサリ。振り向いたら、オロロカ、お前の火球の呪文が直撃。正直、何が起こったのかわからなかったよ」
勇者リューは苦笑いを浮かべた。
動揺する二人を尻目に私とパリスの前に料理が乗った大きめのワゴンを移動させた。
リューは私たちを庇う様に背を向け、オロロカ達に正対する。
そのタイミングで扉からは二人の武装した衛兵が扉を閉め、その前に立ちふさがる。
警護役の兵士もオロロカとノーキングから距離を取り腰の武器に手をかける。
パリスは私の傍に近づくと耳打ちした。
「アマリア様、詳しいことは後で説明しますが、勇者リュー殿の入城を手引きしたのは私でございます。安否について秘密にしていたことお詫び申し上げます」
パリスは悪戯が露見した子供のような笑顔を浮かべた。
「ノーキング!どういうことだ。生死を確認しなかったのか」
「見た感じでは、たぶん死んでいた。仰向けになったまま身動き一つしてなかった。オロロカ、お前が魔王の手下に報復される可能性があるからと早く来いと急かしたから、近付いては見ていない」
「なんだと、自分の無能を棚に上げて、俺のせいにするのか」
オロロカはノーキングの胸元を掴み、詰め寄る。
ノーキングはオロロカを力づくで引きはがそうとする。
「ノーキング、お前に切り付けられた背中は鎧に傷をつけたが、俺の身体には届いていない。オロロカ、お前の火球は熱かったが火傷をするほどじゃない。倒れたのは魔王との戦いで本当に消耗してたからだ。限界だった。罪を認め、俺の前に二度と現れないと約束するなら水に流そう」
命を奪われそうになったのに、二人を許すのだとリューは言い切った。
なかなかできることではない。その寛大な慈悲の心を持つが故、勇者なのだと私は思った。
「ふざけるな。こいつは勇者の名を騙った偽物だ。それこそ魔物の中には、人に化ける能力を持つ者がいるという。皆騙されているだけだ。ノーキング、こいつを捕えろ。さすれば、お前の父上もきっと見直し、騎士団長の座をお前に譲るであろう」
オロロカは、先ほどまで罵り合っていたことなど忘れて、ノーキングに指示を出す。
ノーキングは、どう猛な唸り声をあげて、リューに掴みかかろうとした。
リューはワゴンの下棚から金属製の四角いお盆をひとつを取り出すと、ノーキングの顔面を打ち据えた。
ノーキングは白目を抜き、鼻血だして仰向けに倒れた。
「役立たずめ。こうなれば我が最大最強の呪文でこの場にいる全員を消し炭にしてくれる」
オロロカは、背後を取られまいと壁際まで移動し、何やら集中し始めた。
「オーウ・マァ・イパッ、スーター・タダッ・ユ・デッルー・ダッ・ケー」
オロロカの口から、低く重々しい声が響く。
室内にいるリューを除く全員に緊張が走る。
「燃えさかる地獄の炎よー、わが声を聞き届けたまえー」
詠唱は続き、オロロカの形相がさらに険しいものとなっている。
「その大いなる炎の端火を我に貸し与えたまえー」
兵たちが互いに顔を見合わせ、飛びかかってよいものか戸惑っている。
勇者リューはため息をつくと、左腕を前に、金属製のトレイをもった右手を後ろに回し、独特の奇妙な構えを取る。室内にいた全員が息をのむような凄まじい気迫の様なものがリューが持つトレイに集まっていく気がした。
「貸してくれたまえー、貸してくれたまえー、地獄の火を」
オロロカの詠唱はまだまだ続くか続かないのかわからない。
「トレイ・スラッシュ!」
リューは勢いよくトレイを投げつける。
リューの溜めた渾身の気を纏った金属製のトレイが回転しながら宙を飛び、オロロカの下腹部に直撃した。
「ひ、卑怯なり」
詠唱の中断を余儀なくされたオロロカは、下腹部を抑え、その場に崩れ落ちた。
「狼藉者どもをとらえよ」
執事長パリスの声に兵たちが動き出す。
賢者オロロカと戦士ノーキングを拘束し、室外へ連れ出していく。
彼らにはこの後厳しいさばきが下るのだろう。
救国の英雄たる勇者リューを害そうとしたばかりか、魔王討伐の功績を騙り、場内で無用の狼藉を働いたのだ。
気が付くとパリスの姿は消え、室内には私とリューしかいなくなっていた。
「アマリア、少し冷めてしまったが、好きだろ?異世界風かつ丼」
クローシュを取ろうとしたリューに駆け寄り、力いっぱい抱きしめる。
リューの逞しい肉体の実感が伝わってくる。
リューはここにいる。死んではいなかった。
「アマリア、本当に冷めてしまうよ」
もう二度と放したくない。ずっと傍にいてほしい。
自分の感情を制御できず、涙があふれる。
「ずっとお慕いいたしておりました」
しがみついて離れようとしない私をリューは黙って抱きしめてくれた。
後日、勇者リューと王女アマリアは、英明なるエフベルト王に認められ、婚礼の儀が行われた。長年、後継者たる男子に恵まれていなかった王は、有望な後継者と幸せそうな愛娘の姿を見て、大いに満足したという。
賢者オロロカと戦士ノーキングは、死罪を申し付けられたが勇者リューの嘆願により国外追放に減刑された。
ちなみに王女アマリアにとって「かつ丼」という発音は難しかったらしく、愛する夫にその料理をせがむとき、「カツドゥン」と発音してしまい、夫から訂正されるというほほえましい光景が終生続いたようである。
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