第3話 幼なじみと怪文書 その2

 音楽の授業を終えて、四時限目は体育だった。


 チャイムと同時に教室へ急いで戻り、すぐさま体操着たいそうぎ着替きがえてグラウンドに集合、などというスケジュールを組んだ人間の顔を見てみたいものである。人でなしめ、とのそしりはまぬかれまい。これから毎週水曜日はこうだと思うと、少々胃が痛い思いがする。


 女子は三組の教室内で、男子は廊下ろうかで着替え、という教育現場でさも当然のように行われる差別によって、いくらかの羞恥心しゅうちしんと戦いながら制服をぐ。


 普通の学校は更衣室こういしつくらい用意するもんじゃないのか、と文句を言いたいところだが、扉一枚隔とびらいちまいへだてた向こう側で女子があられもない姿になっていることを思えばそう悪くはないので、改善かいぜん嘆願たんがんを出す気は毛頭もうとうない。おそらく歴代れきだいの男子生徒の総意そういであろうから、俺もしたがっておくこととする。


 入学したてということもあってか、グラウンドに移動する皆の動きはてきぱきしていた。おくれて来たのは体育準備係の女子生徒だけだ。

 男女別に四人ずつのグループに分かれ各々おのおの準備運動じゅんびうんどうをし、グラウンドを二周走って、男子はソフトボール、女子はソフトテニスと遊びの延長えんちょうのような授業に、教師は見て回る程度ていどだった。


 体育の授業じゅぎょうわりから昼休ひるやすみにはいるまでのインターバルがない、というのもまたおおいなる欠陥けっかんではないだろうか。グラウンドから教室きょうしつもどって、また廊下ろうかで着替えをさらされる苦行くぎょうあと女子じょしが着替え終わるのを待たなければ教室の弁当べんとうひとり出せないというのはあんまりだ。ただ、扉一枚隔とびらいちまいへだてた向こうがわで女子たちが(以下略いかりゃく)。


 女子の着替えはながい。来週らいしゅうからは昼食ちゅうしょくあらかじめ廊下にしておく必要ひつようがあるかもな、とおもいながら、この時間じかん使つかって一階いっかい自販機じはんきものった。ちょうど戻ってきたタイミングでガチャとかぎひらおとがして、女子がかおのぞかせながら男子入室だんしにゅうしつ許可きょかす。


 そのわきからぬるりと、れんが廊下へ出てきた。手には自分の弁当が入った巾着袋きんちゃくぶくろと、俺のリュックがある。そこに昼食が入っていることをれんらないわけはない。


 昼休ひるやすみは自由時間じゆうじかんだ。教室にもせきにもしばられない。それすなわち、れんが俺の時間をうばうことも自由ということを意味する。したがって俺に自由はない。しつけられたいぬのように、れんの後ろをついて行く。これが毎日まいにちのことなのだ。


 封鎖ふうさされた屋上おくじょうへ向かう階段かいだんおどは、れんと俺とが入学式当日につけた、教室と人間から逃避とうひするオアシスだった。おそらくは周知しゅうちのエスケープゾーンだが、わざわざのぞんでくるやからがいるはずがなく、それだけで充分じゅうぶんなのだろう。


 階段にハンカチをいてこしけ、れんは弁当を食べていた。


 あいわらずむすめ溺愛できあいし、高校こうこう一年生いちねんせいたせる昼食をいまだにキャラべんにする母親と、娘にへんな虫が付かないように見張みはっていてくれと俺に毎朝まいあさメールを送ってくる父親に育てられたれんは、今日きょう黄色きいろ電気でんきネズミをしたオムライスをうれしそうな顔で頬張ほおばっている。


七瀬ななせ今日お弁当は?」

「作るのが面倒臭めんどうくさいからって半額はんがく菓子かしパンまれた。三個さんこ

「太るよ?」

「菓子パン三個程度さんこていどで太る男子高校生はエネルギー消費しょうひりてないだけだ」

「じゃあ太るね」

「ああ。確実かくじつに太る」


 俺はメロンパンを紙パックのコーヒー牛乳ぎゅうにゅうながみながら、れんがぱくぱくとしあわせそうな顔で弁当を頬張る姿をちらちらと見ていた。その笑顔えがお幼少期ようしょうき何一なにひとつ変わっちゃいない、いつもの水都恋みとれんだ。


 ――いや、待て。ちがうぞ。いつものれんじゃない。


 れんいしんぼうだ。だから食事時しょくじどきにはいつもニコニコしている。好きなものをあじわえるよろこびをみしめているのだ。だが、今日の恋は心なしか咀嚼そしゃくする回数かいすうが少ない。小学生があそびたい一心いっしん宿題しゅくだいざつに終わらせようとしているみたいだった。


 あっという間にれん両手りょうてかさねられる。


「ごちそうさまでした」

「はえーな」

七瀬ななせおそいだけなんだよなぁ」


 違う。れんはやいのだ。いつもより、異様いように。


 昼休みはまだ始まったばかりだ。そう理由りゆう見当みあたらない。だが、思えば今日のれんはずっとそわそわしていた。誰もやしないのに周りを見回して、やはり何かにあせっているような、何かをしたくて仕方がないような。


「……あのね、七瀬ななせ


 嫌な予感よかんがした。れんけっしたように声をはっしたからだ。


 今は昼食時ちゅうしょくどき、食事を取る以外いがいに何をすることがある。それなのになんだ、感情かんじょうがあふれ出したような表情ひょうじょうで身を乗り出し、ゆかゆかる俺にきらきらした目を向けて「あのね七瀬ななせ」と来たら、まるで昼飯ひるめしまさる何かに俺をもうとしているみたいじゃないか。


 水都恋みとれんは、自分の興味きょうみが向いたところへはまよいなくすすいのししのような人間で、よく言えば好奇心こうきしんかたまりだし、わるく言えばたんなるガキだ。


 だからこそ、俺はげたくなった。


 恋の興味が向かう方向ほうこうに、俺にとっての極楽ごくらく存在そんざいしないと経験けいけんかたっている。


「なあれん。チョコパンやるから今からしようとしている話、なかったことにしないか?」


 と、言い終わるまで待つれんじゃない。


 れんはブレザーのむねポケットから一枚いちまいかみを取り出し、こちらに突きつけた。


 逃がさない。とばかりに。


「これを七瀬ななせに見てもらいたかったの」

「……なんだそれ」かざるをまい。

かみ! さっきつくえなかで見つけたの。だれかが入れたみたい」


 見ればかる。ただの紙切かみきれだ。ちいさなのひらサイズのおおきさだった。


 仕方なく受け取って、コーヒー牛乳をすすりつつ目線めせんとしてみれば、なるほどこれはれんの興味をきそうなものだと少し納得なっとくした。


 そこに横書よこがきで書かれていたのは、たったむっつの文字もじだけだったのだ。


「『水都恋さんへ。』……か」


 差出人さしだしにんの名前も内容ないようもない。ただ誰にてたかだけが書かれた一枚の紙。一部の線がわざとらしく太く書かれていて、何故なぜ一ヶ所いっかしょだけ紫色むらさきいろのペンが使つかわれている。


新聞しんぶん文字見もじみてるような気色悪きしょくわるさだな」

「でも綺麗きれいだよ」


 だからどうした。


 さて、問題はここからだ。これを見せられて、「何だこれわけかんねぇ」でませてくれる水都恋みとれんではない。


 経験はさけぶ。逃げるべきだと。すぐに「俺は無関係むかんけいだ」とくちにして抵抗ていこうを見せなければならない。


 しかしれんはそれをゆるしてはくれない。双眸そうぼうはまっすぐ俺を見つめ、ともすると甘えているような仕草しぐさで、しかしとう本人ほんにんはいたって真剣しんけんに、


「わたし、このなぞきたい!」


 これを口にするのだ。


「たぶん、ここにはメッセージがあるんだよ。ちょっとあやしいけど、言葉ことばではつたえられない大切たいせつおもいがきっと」


 怪文書かいぶんしょだぞ、そんな大層たいそうなものがあってたまるか。と、言ってしまうのは簡単かんたんなのだが。


 それはこいかんだった。根拠こんきょなんてない。ばかばかしいといてもいいものだろう。だが残念ざんねんなことに、それは俺には出来できないことだった。


 おさなころれんはよく分からない洞察力どうさつりょくで、まどからはいってきたサンタクロースの写真しゃしん違和感いわかん気付きづき、それをうそだと叫んだ。みちびしたこたえは的外まとはずれだったが、れん観察力かんさつりょくみたいなものはあなどれない。


 だからきっと、これにも何かあるのだ。俺にしてみれば誰かのイタズラかたちの悪い遊びにしか見えないこれも、れんがそう言うなら、何かあるのかも知れない。


 そして、れんわらう。掲示板けいじばんえがかれたアニメキャラクターのような屈託くったくのない笑顔で、この俺のウィークポイントを射貫いぬくように。


「だからね、七瀬ななせ。これがいったい誰からのメッセージなのか、謎めいた書き方をして、わたしに何を伝えたいのか、昼休みいっぱい使って、二人ふたりかんがえてみない?」

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