第7話

「日付が、変わったわね」


 私はそう言うと、机の上に、ある物を置いた。


 それは、宿屋のロゴが入っているマッチの箱だった。


「……ど、どうして君が、それを持っているんだ!?」


 彼は、明らかに動揺していた。

 私はその様子を見て、確信した。

 彼はやはり、浮気をしていた。


 このマッチの箱を見つけたのは、彼が調味料を再び買いに行った時のことだ。

 ソファの上には、彼が脱いでそのままになっているジャケットがあった。

 私はそれを見て、ハンガーにかけようとして、持ち上げた。


 その時、なんとなく、違和感を感じた。

 それが何なのかは、最初はわからなかった。

 しかし、ジャケットのポケットを見ていると、少し膨れていることに気付いた。


 何か、入っている。

 いつもは、こんなに膨らんでいない。

 なんとなく、嫌な予感がした。

 そして私は、そのポケットの中に何が入っているのか確かめた。


 それは、宿屋のロゴが入っているマッチの箱だった。


 それを見た時、私は大きなショックを受けた。

 どうして、こんなものを、彼が持っているの?

 こんなところ、友人と行ったり、仕事で行ったりはしない。

 どういう経緯でこれが彼のポケットに入っているのかは、すぐに察しがついた。


 ローマンは、誰かと浮気している。


 それ以外に、こんなものがポケットに入っていることの、説明がつかない。

 私は、ローマンが帰ってきたら、すぐに問い質そうと思った。

 でも、心の中では、まだローマンを信じていたい気持ちもあった。

 以前、あれだけ誠心誠意謝って、反省していた彼が、また浮気をするなんて、信じられなかった。


 何かの間違いであってほしかった。

 もし、また過ちを犯したのだとしても、正直に話してほしかった。

 だから、私は待った。

 でも、彼は何も言わなかった。


「ローマン……、あなた、浮気をしていたのね?」


 だから私は現在、こうして彼に、問い質している。

 

「そ、それは……、違うんだ……。えっと……そうだ、仕事で会った人がくれたんだよ」


「こんなトラブルの元になるものを、誰かに渡す人がいるわけないでしょう」


「あぁ……、違うんだ……、えっと、それは……、えっと……」


「いい加減に、認めなさい! あなたは、浮気していたんでしょう!? 相手は、誰? まさか、またマリーに会っていたの? それとも、別の人?」


 私は、彼に詰め寄った。

 浮気をしていたのは、間違いない。

 あとは、その相手が、誰なのか、突き止める必要がある。

 そして、その相手には当然──。


「黙れ! 浮気なんてしていないと、言っているだろう!」


 突然、ローマンが叫びながら、腕を振った。

 彼の拳が、私の頬に当たる。

 気付けば、私は床に倒れていた。

 

 遅れて、じんわりと頬が熱くなってくる。

 痛みも、感じ始めた。

 目から涙が浮かんできた。

 どうして私が、殴られないといけないのよ……。


「あ……、ああ、すまない、クリスタ……。つい、カッとなって……」


 もう、彼を許す気はなかった。

 私の心は、彼のことを完全に見限っていた。


「浮気のことは、私の両親にも、あなたの両親にも報告します。もう……、私たちの関係も、これで終わりです……」


「待ってくれ! 頼む! こんなことが知られたら、僕は破滅だ!」


 彼は必死に懇願していた。

 しかし、その頼みを聞き入れるつもりはない。

 私は、お父様たちがいる屋敷へ向かおうとした。


 その時、突然ローマンが笑い始めた。

 こんなに歪んだ表情をしている彼を見るのは、初めてだった。


     *


 (※ローマン視点)


「待ってくれ! 頼む! こんなことが知られたら、僕は破滅だ!」


 僕は必死に彼女に懇願した。

 しかし、彼女は聞く耳を持たなかった。

 そして彼女は、その場から去ろうとした。

 おそらく、両親たちに報告に行くつもりだろう。


 そうなれば、僕の人生は終わりだ。

 なんとかして、阻止しなければ……。

 何か、打つ手はないのか?


 その時、ある考えが、頭をよぎった。


 これなら、彼女に浮気のことを、報告されずに済むかもしれない。

 気付けば僕は、笑っていた。

 自分の発想に酔いしれそうだ。

 とっさに思いついたが、これなら、彼女も考えを改めるはずだ。


「クリスタ! 僕が浮気していたことを、君が報告すればどうなるのか、少しは考えてみたらどうだ?」


 僕の言葉を聞いて、彼女は戸惑っている様子だった。


「どうなるかって……、そんなの、私とあなたの縁が、切れるだけでしょう? それが、どうかしたのですか?」


 彼女は、僕に軽蔑の眼差しを向けながら、吐き捨てるようにそう言った。


「そうだ、このことを報告すれば、僕と君の縁は切れる。だが、縁が切れるのは、僕たちだけではない! 僕と君の家の縁も、切れることになる!」


「そうですね。それで……、それがどうかした……」


 彼女の言葉は、途中で止まった。

 どうやら、彼女も気付いたようだ。


「そうだ! 僕と君の家の縁が切れれば、当然、お互いの家を支援し合っていた関係も壊れる! また違う相手を見つければいいだけだが、それでも時間がかかる。つまり、どういうことになるか、わかるか? 職を失う者が、少なからず出るということだ! どこかで、新たに雇われる者もいるだろう。だが、路頭に迷う者だっている! そんなことが、あっていいのか!? 彼らは訳も分からないまま、路頭に放り出されるんだぞ! お前の! お前の一声のせいでだ! 食べる物も得られず、死ぬ人だっているだろう! それは、お前が殺すようなものだぞ! お前が報告すれば、必ずその未来が訪れる! それでもお前は、両家の関係を壊す結果になる浮気のことを、報告するのか!?」


 僕の言葉を聞いて、彼女の目からは涙があふれていた。


「そんなの……、できるはずがありません……。あなたは、最低だわ……。こんな、こんな酷い人だったなんて……」


 彼女はその場で泣き崩れた。

 思った通りだ。

 一度は僕の浮気を水に流したような、甘い考えの彼女だ。

 こう言えば、彼女が報告しないことはわかっていた。


「悪く思うなよ。僕だって、破滅は御免なんだ。これからは、ただの同居人として、ビジネスライクにいこう。これで僕は、堂々と浮気ができるというわけだ」


 笑いが止まらなかった。 

 一時はどうなるかと思ったが、結果的には、むしろ好転したと言ってもいい。

 彼女は浮気のことを報告できないから、これで浮気し放題である。


 それに、明日はちょうど、マリーと会う約束をしている日だ。

 何か適当な理由を考えて出かけようと思っていたが、もうその必要もない。

 マリーに会える明日が待ち遠しかった。

 しかし、気分をよくしていたこの時の僕はまだ、想像すらしていなかった。

 

 まさか、明日、あんなことになるなんて……。

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