第15話


         ※


 翌日。

 あの後きちんとシャワーを浴びた俺は、やや流行遅れの、しかし着れないこともないようなシャツとジーパンに着替えていた。ちなみにここでの『流行』とは、俺が元いた世界の日本での流行、という意味だ。


 昨日の戦闘で命を落とした兵士たちの慰霊式があるとのことで、俺はエミに連れられて軍司令部を出た。


「エミ、大丈夫か?」

「……」

「エミ?」

「あっ、は、はい!」


 慌てて顔を上げるエミ。しかしその目は腫れぼったく、ついさっきまで泣いていたんじゃないかと思うほどだ。エミは昨日とは違い、迷彩服ではなく制服と制帽を着用している。

 俺は自分の格好があまりにフランクではないかと心配になったが、誰にも見咎められはしなかった。


 問題は、エミに連れられて行く先だった。

 

「エミ、どこまで行くんだ? だんだんビルも減ってきたけど」

「いいんです。こちらへ」


 一般市民が買い物したり、談笑したりしている大通りから裏道に入って、かれこれ二十分は歩いている。殉職者を弔うにしては、この裏通りはあまりに人通りが少なく、廃れている印象を受けた。


「なあ、本当にこっちで――」


 と言いかけた時、ようやく視界が開けた。そこには大佐を始めとした兵士たちが整列しており、棺桶が八つほど、一つにつき四人の兵士に担がれて運ばれていく。

 エミはすぐさま列に並び、近づいてくる棺桶の隊列に対してビシッと敬礼を決めた。俺も見様見真似で敬礼を試みる。


 だが、俺はこの慰霊式の雰囲気におかしなものを感じていた。

 多くの民間人が参列し、涙を流し、泣き喚き、棺桶に縋りついている。それは分かる。だがそれに比べ、市街地中心部にいた人々の生活っぷりがあまりにも普通だった。

 笑顔があり、交流があり、まるで昨日のことなど他人事であるかのような態度だった。


 そこで俺は、一つの『辿り着きたくない考え』に誘導されてしまった。


「エミ、もしかして兵士たちって、貧しい家庭の生まれの連中が多いのか?」

「はい」


 エミは即答した。その反動か、俺の脳内で怒りの間欠泉が噴出した。


「つまり、この街の平和は貧しい人たちが守ってるってことだな? 一般市民には見えないところで!」


 ようやく俺の言わんとするところに気づいたのか、エミは丸眼鏡の向こうの瞳をきょろきょろさせながら口をぱくぱくさせた。


「えっと、あの、兵士に採用されれば好待遇ですし、退役後の生活も保障されて――」


 ああ、やっぱりだ。やっぱりそうだったのか。

 機甲化種族の街並みに歩み出てから薄々感じていた違和感。それは、ここまで発展した街なら、貧富の差が生まれているのではないかということだ。


 自分の嫌な予想が当たってしまい、俺は眉間に手を遣った。


「くそったれが……」


 貧富の差というのは、俺が伯父に養子として引き取られてから、嫌というほど目にしてきたものだ。

 弁護士として高給取りだった伯父は、常に弱者の立場にあろうとしていた。そしてその姿勢は、直接法律や裁判に関わらない俺のような養子にも伝わってくるものがあったのだ。


 一種の正義感とも言えるかもしれないし、偽善なのかもしれない。

 だが俺は、今は伯父の姿勢から学んだことを活かすべきだと思った。だが、どうすればいい? 

 今すぐ慰霊祭をもっと派手に執り行うようにさせる、とか? いや、それが殉職者の供養になるとは思えない。

 しかし、平和ボケしている人々に伝えなければ。あんたたちの今日の平和は、多くの貧しい若者たちによってもたらされたのだと。


 俺は敬礼を続けながらも、ギリッと奥歯を噛み締めた。

 その時だった。余計な茶々を入れられたのは。


「これはこれは! エミ元・隊長にトウヤ殿ではありませんか!」

「あっ、大佐。ご苦労様です」

「いえ、自分は何も」


 長身の大佐が、こちらに影を落とすようにしてそばに立っている。


「こちらの犠牲者は八名、ですか」

「ええ。准尉のことは残念でした。しかし残り七名は、この貧困街の出身者です」

「おい」


 今の『おい』という呼びかけが、自分の口から発せられたのだと気づくのに、俺はしばしの時間を要した。それほど低く、地鳴りのように響く声だったのだ。

 

 大佐は場慣れしているのかこちらを見くびっているのか、平然と顔を向けた。


「何でしょう、トウヤ殿?」

「何でしょう、じゃねえだろうが!」


 俺は足を踏み鳴らし、叫んだ。さっと周囲から警戒の目を向けられたが、知ったこっちゃない。


「こいつらは、皆を守るために死んだんだぞ! それを貧困街の出身だからって理由で差別するのか? その死を軽視するのか? ふざけるのもいい加減にしろよ!」

「トウヤ殿、あなたは部外者だ。我々の社会の在り方に口出しされるいわれはない」


 肩を竦めて見せる大佐。俺は確かに、自分の脳内でブチッ、と何かが切れるのを感じた。


「てめえ、それでも人間か!」


 そう言って胸倉を掴む――はずだったのだが、俺は躓いた。起伏のない、アスファルトの地面だったはずだが。

 見下ろすと、俺の右足が地面にめり込んでいた。ミシッ、と嫌な感覚が足の裏から伝わってくる。


「おや、どうかなさったのですか、トウヤど――」

「気易く呼ぶんじゃねえ!」


 俺は身を屈めたまま、ダッと駆け出した。頭突きを喰らわせる要領で大佐にタックルを見舞う。


「うおっ!」


 大佐を押し倒したものの、すぐさま蹴り飛ばされた。腹部に鈍痛が走る。俺は後ずさりして、なんとか転倒を免れた。まだ防御力は高めだが、明らかにこちらが受けるダメージは増えている。


 立ち上がった大佐に向かい、俺は殴りかかろうとした。しかし、すぐに周囲の兵士に取り押さえられてしまう。


「畜生! 放せ! エミ、こいつらをなんとかしてくれ!」

「……ごめんなさいトウヤさん、今の私にその権限はないんです」

「人が無惨に殺されてるのに、皆は平気な顔で街を歩いてる! そんなの許されてたまるか!」

「そこまでだ、トウヤ殿」


 すると、滑らかな動作で大佐は拳銃を抜いた。


「形式上はどうあれ、ここは死者を弔う場。その神聖な場を騒がせた罪、軽くはない」

「人命を軽視してるお前らの方が、よっぽどの罪人だろうが!」

「あなたに口出しされる覚えはないと言っている!」


 大佐はぴたりと俺の眉間に銃口を向けた。そして、容赦なく発砲。


「いってぇ! マジで撃ちやがった!」


 もしかしたらダメージを無効化できるのではないか。そんな俺の希望的観測は呆気なく裏切られた。いや、即死しなかっただけ十分ダメージは軽減されているとみるべきだろう。

 それでも、俺の方が不利な立場にいることは疑いようがない。


 そして、銃撃は一発ではなかった。


「まだ気絶せんのか」


 大佐は再び銃口を上げ、続けざまに引き金を引いた。大型のオートマチック拳銃が、バスン、バスンと音を立てる。


「ぐっ! がっ!」

「待って! 止めてください、大佐!」

「あなた自身が言ったはずですぞ、元・隊長! 自分に我々を止める権限はないと!」

「命令ではありません! 人間としてお願いします! 彼は多くの兵士の命を救った恩人ではありませんか!」


 しかし、エミがそう言い終える頃には、俺の意識は朦朧としていた。

 大佐の射撃の腕前は確かなものだったようで、十五発全弾を俺の眉間に撃ち込んでいた。


 弾倉を交換し、セーフティをかけて拳銃をホルスターに戻す大佐。

 俺は視界に靄がかかるのを感じていた。


「トウヤさん? トウヤさん!」


 最後に見聞きしたのは、こちらを覗き込むエミと悲鳴に近い彼女の声だった。


         ※


 次に意識を取り戻した時、案の定というか何というか、俺は牢屋にぶち込まれていた。

 石造りのひんやりした個室は、まあ居心地が悪いわけではない。目の前にあるのが鉄柵でなければ、だが。


 冷静になって考えてみれば、俺は大きな矛盾に踏み込んでいる。そう言わざるを得ない。

 元いた世界での理不尽な事実を嫌悪しながらも、この世界では防御面で重宝され、いつの間にか戦いという感情を覚えつつもある。これほどおかしな話はない。


「一体俺は、何がどうなってほしいんだよ……」


 今ほど平和だの、平静だのといった言葉が空虚に思えた瞬間はない。

 仮にこのまま閉じ込められているとすれば、俺の所属は機甲化種族ということになるのだろう。

 すると相手をするべきなのは、相性の問題を考えれば魔術師種族と暗黒種族。だが俺にだって限界はある。本来なら、一刻も早く高位の魔術師の力を借りて、『神の座』に向かうべきなのだ。


「こんなところで取っ捕まってるわけにはいかねえんだよ……」


 俺はぐしゃぐしゃと髪を搔き乱した。

 短い悲鳴が廊下から聞こえてきたのは、まさにその時だった。

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