第13話

「どうわっ!」


 俺は両腕を広げる格好で、エミと准尉を巻き込むように後方にぶっ倒れた。

 ラーメンの中身と器の破片があたりに散らばる。同時に、周辺から一斉に悲鳴が上がった。


 降ってきた『何か』とは一体何だ? 俺がゆっくりと目を開けると、そこには真っ黒い影のような存在がいた。

 

 人間のような四肢を持ち、その先端には鋭利な爪が光っている。

 頭部はのっぺらぼうかと思ったら、すぐさま、ぐわばっ、と上下に展開した。そこには無数の牙が生えている。

 体躯全体を見てみると、細マッチョとでもいうべきだろうか。一見ほっそりしているが、筋肉の形にしたがって上腕や太腿が盛り上がっているのが見える。


 こいつが『暗黒種族』か。大佐に見せられた映像の特徴と見事に合致している。

 意外だったのは、尻尾が生えていることだ。映像は荒くて見づらかったが、確かに腰部から生えている。節くれだっていて二メートルほどの長さがあり、先端は二又に分かれていた。


「くっ!」


 准尉がすぐさま拳銃を抜いた。転倒した姿勢のまま、テーブル上の暗黒種族に向かって銃撃する。暗黒種族は、最初はギャアッ、という悲鳴を上げながらのけ反ったものの、すぐに頭部に両腕を翳して弾丸を弾いた。


 准尉はすぐさま次の弾倉を拳銃に叩き込もうとしたが、取り落とした。


「あっ!」

「この馬鹿!」


 俺は准尉を引っ張り寄せるようにして、思いっきり引きずった。すると准尉のいたところに、強靭な脚部の爪が降ってくるところだった。

 ミシリ、とタイル張りの床にひびが入る。爪の硬度のみならず、指の圧縮力も極めて強い。あれで掴まれたら脱出は困難だろう。


 こうなったら――。

 

「皆、早く店外へ逃げろ! 俺がこいつを引き受ける!」

「ト、トウヤさん!」

「心配すんな、エミ。俺の防御力の高さは折り紙付きだ。だろ?」

「え、ええ、それは……」

「なら早く脱出して、強力な武器を持ってきてくれ。それまで俺がもたせる。早く皆を外へ」


 俺は准尉を引っ張り立たせながら、エミに告げた。


「どうかご無事で!」


 俺は振り返ることもなく、暗黒種族を睨みつけた。いや、相手に目がないからどれだけ威嚇になっているか分からないが。

 俺の防御力の高さを、こいつはまだ知らない。だったら俺がこいつを抱き込んで厨房に飛び込み、ガスボンベに着火するというのはどうだろう。

 銃弾で軽傷を負う程度の防御力を有する暗黒種族。火あぶりにしてやれば大打撃を与えられるはずだ。


 俺は丸腰で、ゆっくりと暗黒種族の周囲を周った。じりじりと距離を詰めようとする暗黒種族。すると、ふっと顔を逸らし、その長い尾の先端を器用に動かした。

 

「俺を串刺しにするつもりか!」


 案の定、俺の腹に尻尾が刺さることはない。はっとした様子で振り返った暗黒種族に対し、俺は尻尾を引っ張ることで応戦した。

 戦闘面では非力な俺。だが、相手が呆気に取られていたせいだろう。簡単に引き寄せることができた。


「人間様の街中で好き勝手やりやがって!」


 俺はジャイアントスウィングの要領で相手をぶん回した。勢いよく厨房に頭から突っ込む暗黒種族。ちょうどガスボンベに直撃し、可燃性のガスが漏れ出した。臭いで分かる。


「これでも喰らえ!」


 俺は跳び蹴りをかまし、相手の動きを封じながら、勢いよくコンロに火を点けた。直後、視界が橙色の爆光に占拠された。さっと眼前に手を翳す。爆発が起こったのは間違いないようだ。


 ギャアアアッ、と悲鳴を上げる暗黒種族。だが、人間を獲って食うような奇怪な生物にかける慈悲はない。

 俺が腕を下ろした瞬間、口の上あたりにルビーのような光が見えた。もしかしたらあれが目なのだろうか? 


 いや、そんな観察はどうでもいい。俺はそれこそ神様の加護で全身を守られながら、何度も何度も相手を踏みつけた。

 その度に、相手の反撃は弱々しくなっていく。やがて相手が完全に動かなくなった。


「……よし! ってアチッ!」


 俺は慌てて飛び退いた。熱さを感じた部分、右足の脛を見下ろす。すると、そこには小さな穴が空いていた。ズボンが焼けて穴が空き、そこから火の粉が入り込んだらしい。まあ、火傷とも言えない僅かな負傷だったが。


「いや、待てよ?」


 俺は首を傾げた。サンのサーベルを喰らった時でさえ、俺は僅かなミミズ腫れ(既に引いている)しか負わなかった。それに比べれば、火の粉による負傷など何ともないはずだ。

 それなのに火傷を負いかけたのはどういうことだろう?


「トウヤさん!」

「トウヤ殿!」


 遅ればせながら、エミと准尉が戻ってきた。二人共、立派な自動小銃を肩から提げていたが、濛々と上がる黒煙の前で足止めを食っている。二人からは俺が見えていないようだ。というより、俺の視力が一方的に上がっているのか。


 俺は爆発で崩れた壁の破片や瓦礫を避けながら、店外へと脱出した。


「ああ、トウヤさん! ご無事だったのですね!」

「おう。取り敢えずあの真っ黒な野郎、一匹は仕留めたぜ」

「よかった、あなたが無事で……」


 すると、エミは自動小銃を手離し、目元を拭い始めた。


「お、おいおい、泣くことはねえだろう? 俺は神様の加護がついてるんだから」

「でも無茶しすぎです! 暗黒種族と一緒に爆発に巻き込まれるなんて、常人なら死んでます!」

「まあ、そりゃそうだろうけれども……」


 正直、ここまで心配してもらえるとは思わなかった。というより、想っていてもらえるとは予想外だった。


「飯、食いそびれたな。仕方ねえから別なラーメン屋を――」


 俺が照れ隠しにそう言いかけた、まさにその時だった。

 突然、空が真っ暗になった。見上げると、黒々とした暗雲が立ち込めている。さっきも皆が警戒していたが、その時とは比較にならない早さだ。


 俺がそれを認めた頃には、市街のあちこちで銃声が響き始めるところだった。


「畜生! 俺にも武器をくれ!」

「こ、これを!」


 エミが差し出したのは、拳銃とコンバットナイフだった。

 やや心細い。だが、俺自身の攻撃力がへっぽこである以上、武器に頼った方がいいのは間違いないだろう。


 ズタタタッ、ズタタタッ、と小刻みに銃撃する兵士たち。だが、暗黒種族は次から次に降ってくる。俺の視界には、既に十体近い奴らが映り込んでいた。

 さて、どいつから相手にするべきか。相手を見定めようとしていると、ある兵士の背後にぬっと敵が現れた。彼の視線の先には、低めのビルの上からそちらを威嚇するもう一体の敵。

 あれでは、背後から丸齧りにされてしまう。


「おい、そこをどけ!」


 俺は大声を張り上げ、拳銃のセーフティを外した。さっき准尉が行っていた動作を真似たのだ。それから突進し、勢いそのままに兵士を突き飛ばす。

 同時にさっと腕を翳すと、ちょうど敵の顎が俺の左腕に食いつくところだった。


「ぐっ!」


 俺は自分が顔を顰めるのが分かった。久々に痛みを感じたのだ。土亀を相手にした時でさえ、感じなかったはずなのに。


 ええい、とにかく今は敵をぶっ倒さなければ。こいつは人間じゃない。害獣駆除と一緒だ。殺してしまえばいいんだ。


「放しやがれ!」


 俺は敵の無防備な腹部に、連続して弾丸を撃ち込んだ。危険と判断したのか、跳び退る敵。

 だが俺は狙いを外すようなことはなかった。目がよくなっていたのか、敵の出血部位を眼球で追うことができたのだ。

 それは俺の握った拳銃の銃口も同じだ。まさか十発も弾丸を腹部に喰らうとは思ってもみなかったのだろう。流石の暗黒種族もバランスを崩し、跳躍の途中で体勢を崩した。


「これでも食ってろ!」


 俺もそれを追って跳躍し、右腕ごと敵の口内に拳銃を突っ込んだ。そして残り五発を連射。敵は後頭部から派手に血と脳漿を撒き散らし、ぴくりとも動かなくなった。


「はあっ!」


 俺は大きく息をついた。弾切れを起こした拳銃を放り投げ、腰元に差していたコンバットナイフを握り込む。僅かに出血しているところからして、左腕の皮膚は破られてしまったらしい。


 神様の加護というのは、こんな気紛れなものだったのだろうか? 今まで何度も、俺に鉄壁の防御力を授けてくれたのに。

 逆に、俺には今までこれほどの攻撃力はあっただろうか? いや、なかったはずだ。


 思えば、誰も神様の加護が『防御力限定』だとは言っていない。神様と思しき青年の声が聞こえた時も同じだ。俺を重宝してくれるようなことを言ってはいたものの、防御力を授けてやるとは口にしていない。

 

「まったく、俺に何をさせたいんだ……?」


 呟きながら、俺は背後に殺気を感じた。


「チッ!」


 横っ飛びして回避する。突っ込んできたのは別個体の暗黒種族だった。壁に頭部をめり込ませている。

 考えるのは後、今は生き残り、できるだけ多くの人々を救わなければ。

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