第11話

「まあ新兵もおりますし、いいでしょう。自分が暗黒種族について、トウヤ殿にレクチャーします。皆も聞いてくれ」


 そう言って大佐がさっと腕を翳す。すると会議室の照明が落とされ、部屋の後方からジリジリという音がし始めた。

 そうか、映写機を回しているのか。


「前回、暗黒種族に奇襲された際の街の様子です」


 俺はごくり、と唾を飲んだ。昨日の今日で流血沙汰には慣れてきたつもりだったが、それでもドン引きするくらいの惨たらしい光景が、そこにはあった。


 人外の生命体といえど、『種族』と呼ばれていることからも人間に近い形態をしていることは想像できた。だがまさか、人肉を食らうとは。

 映像は手ブレが酷く、何が映っているのか判然としない部分もあったが、それはそれでよかったと思う。下手に直視していたら嘔吐しかねない。


 それでも、分かったことがある。この映像が撮影されたのは、機甲化種族占領地域の一角だということ。背景にビルがある。そして、死体(だと信じたい)となった人間の腹部を貪る真っ黒い影。


「これが、暗黒種族……」

「左様です」


 すると急に音声が入り、騒がしくなった。


《一人やられた! 早く救出を!》

《もう無理だ、腹を裂かれてる!》

《じゃあどうするんだ!》

《あいつの犠牲を無駄にするな、総員、一斉射! 弾が切れるまで撃ち続けろ!》


 パタタタタタタタッ、という自動小銃の銃声が重なり合い、隙のない十字砲火が浴びせられる。

 これには流石の暗黒種族も耐えきれなかったのか、逃げることも叶わずに前のめりに倒れ込んだ。そこで映像は終わっている。


「倒した……?」

「はい。しかし、暗黒種族は一体だけではありませんでした。映像が終わったのは、記録係の兵士が別な暗黒種族に殺害されたからです」

「そ、そりゃあ……」


 言葉を続けることができない。それを見越したのか、大佐は口頭で説明を続けた。


「この時に降ってきた暗黒種族は三体。殲滅するのに四名が死亡、十名近くが重傷を負いました」

「で、でも、俺が武闘家種族の下にいた時は、こんなやつは襲ってこなかったけど」

「偶然でしょうな。連中は気まぐれです。しかしここ一週間は、我々機甲化種族の居住地域に降ってくることが多いですね」

「ってことは、あなた方は武闘家も魔術師だけじゃなくて、暗黒も相手にしなけりゃならない、と?」

「左様です」


 いくら何でも無茶だ。俺はそう言いたかった。だが、言ったところで状況が好転するわけではない。

 機甲化は、武闘家の連中には強いといっても、魔術師には弱いという。じゃんけんの原理だ。今この状況で魔術師に攻め込まれたらどうするつもりなのだろう?


「あ、あの、トウヤさん」


 エミが控えめに声をかけてきた。ああ、彼女が演説する場だというのに、すっかり大佐に主導権を握られてしまっていた。


「私、トウヤさんの持ち物を調べさせていただきました。そうしたら、これが」


 エミが懐から丁寧に取り出したのは、武闘家の長老から高位の魔術師に宛てた書状だった。『神の座』へ向かうために結界を解いてほしいという、件の紙だ。


「自分も拝見します。よろしいですね、エミ隊長?」


 大佐の言葉にこくり、と頷くエミ。

 半ば強引に彼女の手から書状を引き取った大佐は、じっくりとその文面に目を通した。


「エミ隊長」

「は、はい!」

「現時刻を以て、トウヤ・クラノウチ殿の身柄を拘束します。よろしいですね?」

「なっ!」


 俺は自分で息が詰まるのが分かった。


「何言ってるんすか! 俺は敵じゃない!」

「しかし、武闘家の長老を通じて魔術師に接触を図ろうとしていたのでしょう? あなたの存在は、我々にとって外交的な切り札になり得る」

「そんな! 俺自身『神の座』に行って何をしたらいいのかも分からないのに!」

「神様に接近できる人間はそうはいません。その密命を背負ったあなたを、野放しにすることはできない」


 大佐は切れ長の目の奥に妖しい光を湛えながら、俺に冷たく言い放った。


「エミ隊長、機甲化の中で最も彼と親しいのはあなただ。彼のお守りをお任せできますか?」

「……分かりました」


 ううむ、こういう状況になってしまっては、エミに迷惑をかけるわけにはいかない。


「俺も了解です。ただ、飯は三食食わせてください」

「無論です。あなたは敵対勢力に属しているわけではありませんからな。さあ、エミ隊長。トウヤ殿の誘導を頼みます」

「はい」


 エミは再び俺の手を取り、歩み出した。


         ※


 エミと共に乗り込んだエレベーターにて。俺たち以外は誰もいなかった。


「ったく何なんだよ、あの大佐って野郎は! 隊長はエミだろうに、突然しゃしゃり出てきてデカい面しやがって!」


 敢えて口にはしなかったが、エミは明らかに追い出されている。もしかして、今頃会議室はエミの隊長続投を認めるかどうかという議論で沸いているかもしれない。


「なあエミ、黙ってていいのか? 隊長はお前なんだろ? ここはバシッと大佐に喝を入れてやれば、士気も上がって――」

「それは無理ですよ、トウヤさん。大佐も皆も、先代の隊長である私の父に心酔していますから」

「エミの親父さんに?」

「ええ。決断力と洞察力に優れた人なんです。私にはないものをたくさん持ってる。私は何一つ受け継ぐことができなかった、駄目な娘です」


 そうか。取り敢えず世襲してみたものの、皆の信頼を勝ち得ていないのか。


「だったら親父さんにアドバイスを貰うとか、何かできないのか?」

「無理ですね」


 そう言うと、エミは薄暗い廊下の一角で立ち止まった。


「父は眠っているんです。三年前の暗黒種族との戦闘で頭を強打して、それ以降意識が戻っていません」


 俺に背を向けながら、目の前のドアのわきに設置されたパネルを操作するエミ。

 するりとドアがスライドし、いかにも病室といった薬品臭さが漂ってくる。


「父が気を失ってしまったのは、私を守ろうとしたからです。そして意識を失う直前、私を次の隊長に指名した。だからこそ、大佐や皆は理解に苦しみ、こんな私に不満を募らせているのでしょう」


 そこまで言われては、今朝やって来たばかりの俺のような人間が口を挟める筋合いじゃない。

 俺がふと顔を上げると、そこは十畳ほどの個室だった。中央にベッドがあり、誰かが眠っている。尋ねるまでもない、エミの父親だろう。


 エミの隣に並ぶように、俺はベッドのそばに立った。頭部を器具で固定され、骨と皮だけになったかのような男性。確実に身体は老化を始めていて、器具の隙間から覗く髪の毛には白いものが混じっていた。


「あっ、すまない、エミ」

「どうかしたのですか、トウヤさん?」

「いや、家族の問題ってプライバシーだろ? こんなデリケートな問題にずかずか踏み込んで、なんだか悪いな」

「いえ、ここにあなたをお連れしたのは私です。あなたには知っておいてほしかった」


 俺に? 昨日会ったばっかりだろうに。

 その疑問が顔に出たのか、エミは軽く肩を竦めて微かに口角を上げた。だがそれは、『エミ』という名前からは程遠い、歪んだ表情だった。


「さっきエレベーターの中で、トウヤさんは私の代わりに怒ってくれましたね」


 それを聞いて、再び俺の頭に血が上ってきた。


「当り前だ! あんな自分勝手な大人、信頼できねえよ」

「私、それが嬉しくて。気弱な私に優しくしてくれたのは、幼い頃に亡くなった母と、今こうして眠り続けている父だけでしたから」


 この言葉の最後の方、エミの声は震えていた。


「ごめんなさい、トウヤさん……。私、あなたを守れなくて……」


 俯いたエミの瞳からぽたぽたと水滴が落ちて、リノリウムの床に吸い込まれていく。

 エミは一人で立っていられなくなったのか、そっと俺と肩を合わせ、手を載せてきた。

 彼女の肩の振動が伝わってくる。しかし俺には、どうすることもできない。戦場にいる時のように、盾になってやることすらも。


「くそっ……」


 精々が悪態をつくことくらい、か。

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