第26話 お前なぁ!?



「お兄ぃ、見て見てペンギンさん!」


「水族館の中を走るな。あと、俺の手を無理やり引っ張んな!」



 水族館についてから澪のテンションは爆上がりだった。バスから降りて入場した俺たちは時間が惜しいとばかりに様々な生き物を見て回った。しかもバスの中からずっと手を繋いだ状態なのでそろそろかゆくなってきた。そんなこともお構いなしに澪はペンギンがよちよち歩きをしている景色を器用に片手で激写する。



「ねぇお兄ぃ、ペンギンって雛の方が大きいって知ってる?」


「知っとるわそのくらい。舐めとんのか」


「じゃあ体脂肪が50%もあるのは?」


「ほとんど脂肪やないかい。人だと人間ドックのレベルじゃねぇぞ」



 普通に知らなかったので妙に感心してしまう俺。澪はどこで聞いたのかわからない豆知識を稀に披露する。裏付けのため後で調べてみるのだがそのすべてが本当の事なので信頼性がかなり高い。



「凄いよね、あんなに可愛い見た目なのに」


「そういやお前、海の生き物好きだったっけ」


「まぁね。一番好きなのはノドグロかな?」


「食べ物としてじゃねーよ」



 しかもノドグロなんて俺が知る限り食卓に出したことはない。多分親父が俺に内緒とかで澪と料亭にでも行ったのだろう。あの野郎……今度会ったらお高い焼肉屋に連行してやろう。



「あ、イルカショーやるみたい。早く行こうよ!」


「わかったわかった。だからもっと落ち着け、お子様じゃないんだから」


「私はまだまだ子供だもーん」



 いつも家に引きこもってスマホを弄っている冷たい顔とは打って変わり、太陽のような笑顔を見せる澪。何がともあれ、楽しんでもらえているなら何よりだ。一方の俺は写真の一枚も取れないくらいせかせかと連れまわされている。忙しい奴だよホントに。



「お兄ぃ、一番後ろの席取ろう」


「前じゃなくていいのか?」


「水かかったら嫌だし、写真に収めたい」



 そう言って後ろで空いている席を探す俺たち。だが休日ということもありなかなか席が空いておらず、結局前の方の席になってしまう。まあ水槽から距離があるしこれくらいの距離なら水も届かないだろうと澪を言い聞かせる。強いて言うならイルカさんのコンディション次第だが問題はないはずだ。



「念のために、お兄ぃに抱き着いて被弾面積を少なくしとこ」


「だから暑いから抱き着いてくんなって!」



 またもや手を離さず器用にくっついてくる澪。引き離そうとするが全く離れてくれず、そのままイルカショーが始まってしまう。渋々澪を放置して俺もイルカショーを楽しむことにした。ちょうど飼育員さんが大量の魚をバケツに入れてイルカと共にやってきた。



「はーい、それじゃイルカちゃんたちのショーが始まりまーす! まず、こちらのボールを使って遊んでみましょう!」



 そう言って二匹のイルカに餌を与え、綺麗なアーチを描くようにプールの中にボールを放り込んだ。するとイルカがそれに反応し器用に頭でボールをキャッチ。そして二匹で飼育員さんの真似をするようにボールを交互に上へ放り投げ、頭でキャッチするという器用なことをやっていた。



「すごい、かわいい!」



 そう言ってスマホのカメラを向け何枚も写真を撮る澪。澪は動物のドキュメンタリーや動画を見たりするくらいには可愛い動物が好きらしく、今回もその例に漏れずに目をキラキラと輝かせてショーを楽しんでいた。



「ねぇ、お兄ぃ、今の見た!? すごい、すごいよ!」


「おおっ、あんな高いところにある輪っかを潜り抜けるなんてな」


「お兄ぃ、私イルカ欲しい」


「アホ」



 笑顔は変わらないものの割とガチなトーンで子供みたいな提案をしてくる澪。とりあえず後でイルカのぬいぐるみを買って落ち着かせよう。そんなこんなでイルカショーの盛り上がりはピークを迎え、演目も残りわずかになってきた。



「はーいそれでは、イルカとのふれあいタイムの時間です。イルカに触ってみたい人は、向こうの手を挙げている向こうのお姉さんの所に集合して下さーい」



 どうやらイルカショーのラストはイルカとのふれあいタイムで終わるらしい。子供がイノシシのような勢いで飼育員のお姉さんの所へ向かっている中、澪はムムっといった声を唸らせ行くかどうか迷っていた。



(まあさすがに子供がいっぱいだし、恥ずかしくなって行かな……)


「よし、行こうお兄ぃ!」


「はいはい、なんとなく言うと思ってたよこんちきしょう」



 そうして席を立ちあがり子供に群れられているお姉さんのところへ移動する俺たち。だがよく見るとカップルや熟年夫婦など多くの人が並んでいたため俺の恥ずかしさも軽減する。まあ並んでいる大人たちは目の前にいる子供たちの保護者なんだろうけど。



「次に触る子は……あ、君たち、もしかしてカップル?」


「いえ、違いま……」


「はい、そうです!」


「っておい、澪!」



 息を吸うように平然と嘘をつく澪。というか自分で言っといて顔が赤くなってるし変なこと言うなよ。そうして俺たちは二人一緒にイルカに触らせてもらえた。最初はカップルということで気を遣ってもらったのかと思ったが、冷静に考えれば二人一緒に触ってもらうことで時間短縮という効率化が図られていたのだと思う。



「おお、濡れたナスみたいだな」


「お兄ぃ、さすがにそれはな……ほんとだ、ナス触ったことないけどそれっぽい」


「いやないのかよ」


「キュー」



 俺のツッコミと同時に鳴き声を上げるイルカ。一緒にツッコミを入れてくれたのだろうか。まあ好き嫌いでナスを食べないこともないし、ナスの感触はなんとなく想像したのだろう。俺たちはお姉さんに移動を促されるまで存分にイルカと触れ合うのだった。












 水族館を堪能した俺たちはそのまま近くにあるビーチまでやってきていた。ちょうど夕暮れ時で、もう少しすれば夕日が地平線に沈む瞬間が見られるだろう。俺は澪と一緒に輝き始めた砂浜まで歩いて空いていたベンチに座る。



「ふぅ、歩き疲れちゃった」


「まったくだ。お土産まで買わせやがってよ」


「でも、楽しかったな……」



 俺の右手は相変わらず澪と繫がれていたのだが、左手には大きな紙袋を持っていた。中に入っているのは水族館の売店で売られていたクッキーや小さなイルカのぬいぐるみなど、ほとんど澪が欲しいと言い出した品々だった。まあ俺もカニのぬいぐるみを買ってしまったので文句は言えないが。



「お兄ぃ、相変わらず変なチョイスだよね。なんでカニさん?」


「あれだ、一目惚れ的なやつ?」


「え、私カニに負けたの?」


「カニと勝負してどうするんだよ」



 思い返してみれば水族館にカニなんていなかったのだが、ぬいぐるみを目に入れた瞬間ビビッと来てしまい、つい買い物かごに入れてしまっていた。澪だけでなく周りの子供たちも若干引かれてたのが傷ついたが、そんなにカニのぬいぐるみは人気がないんだろうか? 広いスペースを取っている割にはめちゃくちゃ売れ残ってたし。



「それはそうと、久しぶりにお兄ぃとこんなにずっと一緒に過ごしたなぁ」


「だから、いつも同じ家で半日以上過ごしてるって言ってるだろうが」


「それでもずっとベッタリしてるわけじゃないじゃん。だから今日はベタベタしてみた」


「そうだな。俺の手はベタベタを通り越してベッタベタだよ、ったく」



 これ変な炎症でないよな? 少し怖いが目の前の夕日を眺めて不安を先延ばしにする俺。俺は荷物を置いてスマホを取り出し、徐々に海に沈む夕日を写真に収める。すると、澪が思い出したかのように立って、俺をビーチの方へと引っ張った。



「お兄ぃ! 夕日バックにして一緒に写真撮ろうよ! ほらほら早く!」


「な、ちょ、おい!」



 よろけそうになるのを堪えながら俺は澪と一緒に砂浜の方へと駆け出した。もちろん荷物は置きっぱなしだし不用心なことこの上ないが、澪の笑顔を消すのは無粋だと思い何も言わずについて行く。そして海と空しか映り込まない場所まで移動し、夕日を背にして澪のスマホが自撮りモードに切り替わる。



「ほらお兄ぃ、もっと笑ってよ」


「これが全力だ」


「いや、そんなやる気ない笑みを浮かべられても……もうっ、せめて最後くらいビシッとさ」


「なんか、疲れてやる気が起きない」


「むぅ~」



 そう言って澪は拗ねるが、こればかりは仕方ないだろ。ただでさえ今週は部活で忙しかったんだし、休むための休日もこうして澪との外出に使ってしまっているのだ。それに寝不足もたたってちょっと眠くなってもいる。



「はぁ、とりあえず三秒数えてからシャッターを切るカウントダウンモードにするから、それに合わせて最大の笑顔を見せてね」


「へぇ、最近のスマホはハイテクだな」


「お兄ぃってアナロ……いや、昔でもこういうのはあったよ多分」



 そう言って呆れる澪。まあこれ以上冗談を言って水を差すのもあれなのでご要望にお応えして太陽のような笑顔を見せてやろう。どうせやるなら、徹底的にやってやるさ。思えば最近は澪の前で笑顔をあんまり見せていなかったかもしれないしな。



 そうして澪が画面をタップしカウントダウンが始まった。画質も角度も問題なし。とりあえず直前までやる気のない顔をして……



—3—



(しかし、本当に今日は楽しかったな)



 何気ないわずかな時間で俺は水族館での出来事を振り返る。こういう遠足じみた遠出は久しぶりだったのでいい気分転換になった。



—2—



(さてと、俺だって笑顔の一つくらいはできる。とりあえず澪がビックリするくらいの笑顔を……)



 そうして俺も笑顔をキメるべく少しだけ頬に力を入れる。普通は力を抜くかもしれないが、俺は少しだけ力を入れた方がいい笑顔になるのだ。そして……



 —1—



 ちゅっ


「えっ?」



 カシャ!










「えへへ……油断大敵」



 そうして澪がスマホの画面を見せてくる。そこには俺の頬にキスをする澪と、澪の方へ眼を向けたアホみたいな顔をする俺の顔が写っていた。しかも頬にキスをする瞬間にずっと繋いでいた手を離したのでそちらにも気を取られてしまった。



「お、お前っ!?」


「ほら、早く帰ろーよお兄ぃ!」


「ちょ、待てやコラァ!」


「アハハ、お兄ぃが怒った!」



 そうして俺は澪にモヤモヤさせられながら帰宅する。帰りは手を繋ぐ代わりに二人で一緒に紙袋を持った。俺にはよくわからないが、澪はそれで十分だとかなんとか。俺としては楽なので助かるが。



「ねぇお兄ぃ、今日魚食べたい」


「お前、よく心がないって言われないか?」


「え、なんで?」



 そうして特に中身のない話をしながら俺たちは家へと帰宅した。ちなみにあの写真は澪が俺の知らないところで印刷して額縁に入れてご丁寧に机に飾ることになった。最初は文句を言ってやろうかと思ったが、その幸せそうな顔に負けて俺は何も言えずに終わってしまう。ほんと、これからどうしよう……




 ちなみに次の日の朝、俺のベッドに潜り込んできた澪とまた一悶着を起こし、さらに柚姉が家へ遊びに押し掛けてくるというイベントがあったので結局休日は本来の意味をなさなかったとさ。

 うん、俺過労死しちゃう(涙)

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