第16話 デートではない


 長年隠していた秘密がバレてしまった翌朝。しかし意外にも夕飯後の澪は落ち着きを取り戻しており、いつも以上に俺はゆっくりと過ごすことができていた。夕飯時も席は向かい合わせで普通。その他にも特に声を掛けられたりはしなかった。



 もしやこれ、意外と良い方向へ進んでいるのでは?



 昨日寝る前の俺はそんなことを考えていた。家族ではなく異性という線引きをすることで私生活を引き締めることになったのではないか。もしそうなら、もっと早くバラしておけばよかったと後悔するほどにはすんなり言うことを聞いてくれた。いつもは俺が言わないとお風呂に入るのを面倒くさがったりするのに今日は俺が言わなくても自ら行動を起こしていた。



『あ、お兄ぃ、今日わたし先入るね』



 そんなことを言われたものだったから、思わず喉が突っかかってしまった。だが素直に嬉しかったのでこのまま放置していれば真っ当な女の子に育ってくれる。そしてゆくゆくは俺の手を離れ……と思っていたのに。



「すー……すー……」



 何で俺の隣で寝てるんだよこの妹は!!



 現在時刻は朝9時。今日は休日だし自転車を直しに行くのは午後でいいかと思っていたのでつい夜更かしをしてしまった。そして俺が眠りに落ちた後、この妹は俺のベッドに入り込んできやがった。こんなこと、今まで一度もなかったというのに。



(しかも下着に服一枚だし!?)



 澪は下着にダボダボな大きめの服を着るというカジュアルな服装をして俺の隣で眠っていた。確かに夏とかは女の子がよくする格好なのかもしれないが、どうしてそんな格好して俺の隣で熟睡してるんだよ!



「おい澪マジで何してんだよ……早く起きろって!」


「ん……あれ、お兄ぃ?」



 俺が澪の体を揺さぶってそこそこ大きい声を掛けると澪は眠たそうに眼をこすって起きて来た。しかしあろうことか二度寝しようとしてたので俺はすかさず澪の体を揺すって問い詰める。



「おいお前、俺のベッドで何してやがる?」


「え、寝てただけだけど?」


「『どうしてそんな当然の事聞くの?』みたいな顔しても無駄だぞ。とっととキリキリ喋べれい」


「えっと、気まぐれ」



 澪はそんなことを言って俺の言及を躱し、そのまま立ち上がって部屋を出ていった。まったく、本当に何を考えているのやら。このままでは俺のプライバシーが危うい。



「部屋に鍵をつけるか本気で検討しようかな」



 あいつは気まぐれだと言っていたが、今までこんなことはなかった。そして不定期だろうが毎日だろうがあんなことをされたら俺の心臓が持たないし世間的にもよろしくない。何度も言うが、俺と澪は義兄妹とはいえ血が繋がっていないのだ。そんな年頃の男女が一緒のベッドで寝ていると近所で噂がたてばさすがに気まずくなってしまう。



「それはともかく、とっとと体を起こそう」



 俺は寝間着姿から適当な服を身繕い一階へと降りてゆく。どうやら澪は自室で二度寝を始めたらしく、リビングには昼まで姿を現さなかった。まあ、あいつはいつも休日は昼過ぎまで眠っているのだが。



 そして俺たちは朝食兼昼食であるうどんを啜りながら、午後の予定について話し合う。ちなみに澪はいまだに俺の隣で寝ていた時の格好のままだ。頼むからもう少し足とかを隠すような服を着てくれ。



「お兄ぃはサイクリングショップ以外に行きたい場所ある?」


「え、ああ。まあいくつかはあるな」


「そう、じゃあ私が行きたい場所にも付き合って」


「はぁ、まあいいさ。どうせ修理中は暇になるんだしな」


「わーい」



 澪は大根役者のような喜び方をしてそのままうどんに七味をかける。まったく、いったい何を考えているのやら。



 俺たちは昼食を済ませるとそのまま食休みを挟んでショッピングモールへと向かった。もちろん澪は可愛らしい服装に着替えていたし、俺は壊れた自転車のかごに荷物を突っ込んで一緒に歩いてゆく。



「こんなことなら、向こうでお昼ご飯食べればよかったね」


「言われてみればそれもそうだな。まあ、それはそれで高上りだろうし」


「あのうどんっていくらくらい?」


「二人合わせて百円もしない」


「へぇ、お兄ぃ意外と主夫やってんねぇ」



 俺は澪の言葉に適当に相槌を打ちながらそのままショッピングモールの方へと向かってゆく……のだが。



「ねぇ、そろそろ腕離してくれない!?」


「え、なんで?」


「歩きにくいわ! こっちは自転車引いてんだぞ」



 澪の奴、家を出てからここまでずっと腕を組んできやがる。振り払おうとするとがっしりとホールドしてきて離せないし、自転車から手を離すわけにはいかないので反対側の手を使うわけにもいかない。



「ほら、迷子にならないように」


「幼稚園生か! 今どき小学生でも親と手を繋ぐのを嫌がるわ」


「ほら、私なりに良好な関係を築いていこうと」


「それならとっくに手遅れだよ、今までの言動を振り返れ」


「えーお兄ぃ辛辣」


「そうだな。多分お前と柚姉限定だよ」



 全くこの妹は。昨日の夜は少しだけ期待したのに次の日にはこれだ。頼むからそろそろ兄離れしてほしいと思いつつ、何とか腕を振り払うことに成功する。正確には向こうが少し熱いと言ってきていきなり離してきたのだが。



「お兄ぃ、そういえば今日の夜お父さんが帰ってくるって。今朝一番で私のスマホに連絡が来た」


「ああ、そんなこと昨日言ってたけど、今日だったのか」


「うん、せっかくだし今夜はご馳走を所望」


「そうだな。俺のパンチでもご馳走してやるか」



 あのメッセージのやり取り、俺は絶対に許さない。とりあえず親父が帰ってきたら一発パンチを食らわせてやろう。まあそういうことだし、今夜は腕によりをかけて何か作ってやるか。



 そんなことを考えつつ俺はショッピングモールの中にあるサイクリングショップへと向かう。外から直接店への扉があるのでそこを通って店員に自転車を預けて来た。なんとなく察していたが、タイヤは丸ごと交換しなければいけないらしい。突然の出費に泣きたくなるがこれで一人の女の子を救えたと思えば安い頬だ。


 さあ、後は澪の行きたい場所に付き合うだけだ。とこへ連れまわされるかわからないが、気合を入れなければ。そして俺は澪の方を見る。


 いったい何を所望してくるのかと思いきや、澪はなぜか少しだけモジモジしながら



「じゃあ、一緒に服を選んで」


「ふ、服?」


「夏を早めに見据えて、新調したいの」


「まあいいか。ほら、とっとと行くぞ」



 澪のよそよそしさに困惑しつつ、俺たちはモールの中にある服屋をいくつか巡った。そしてその中で最もよさげな店舗へと戻り、候補を絞り始めてそのまま試着大会が始まった。



「お兄ぃ、どう?」


「イイトオモウゾー」


「ふふ、もっと褒めて」


「サイコー」



 まさかここまでたくさんの店舗を歩き回されるとは思っておらず俺は思わず片言しか喋らないロボットみたいになってしまった。こだわりたいのは分かるがせめてもう少し店舗数を絞ってくれと心の中で叫ぶ。



「お兄ぃ、これどう?」


「イイゾー……って元の服やないかい」


「あ、さすがに気づくんだ。お兄ぃ私の事大好きすぎ」


「うっさいわ」



 思わず面倒くさくなってしまうことに変わりはないが、さすがにすべてをないがしろにするわけはない。結果的に澪の好感度は上がったようだ。ギャルゲーなら歓喜の瞬間かもしれないが、今の俺にとっては地雷そのもの。そう考えると俺は少しだけゾッとする。



「じゃあ、これにしようかな。あと、こっちのやつ」


「まったく、金はあるんだろうな?」


「さすがに持ってきてるよ。それとも恰好つけて払いたい?」


「んなわけあるか」



 この妹、調子に乗らせるとすぐにこうなってしまうから困る。あとこれだけ歩き回れるならこの前辞書を代わりに買いに行かなくてもよかったよな!



「それじゃ、お会計済ませて来るね」


「なら、俺は先にサイクリングショップに戻るよ」


「むぅ、待っててくれないの?」


「はは、冗談だ……」



 半分くらいはな。いや、サイクリングショップに向かう前に今晩の食材を買い込まなきゃいけないし、その時カートを引く役目を担ってもらおう。そんなことを考えていると案外早く時間が過ぎ、会計を済ませた澪と合流する。そして俺たちは一階の食品館に降りて買い物を始めた。



「お兄ぃ、お肉一つで迷いすぎ」


「バカ、こういう一つ一つの選択が家計の節約につながるんだ」


「だからって、値引きのおばさんが来るまで待機してるのはどうかと思う」


「う、うるさい。結構頑張ってるんだぞ!」


「その頑張りの甲斐あって、今このかごの中は値引き品ばっかりだよ」



 俺が苦労している姿にあきれ果てる澪。確かにここまで細かく節約する必要はない。しかし一度節約術を覚えてしまった俺はそれをとことん突き詰めるようになってしまった。たぶん、主夫としての才能が目覚めた瞬間だったのだろう。そして俺はずっとお値打ち品ばかりを狙うようになってしまった。



「その努力を、家族への愛情に注ぐのはどう?」


「お前に注ぐとしたらガソリンだよ。やる気という名のな」


「お兄ぃひどい」



 そんな言い合いをしつつも買いたいものはきちんと購入していく俺。ちなみに今夜のメニューは手作りのローストビーフにしようと思っている。親父に手料理を振るう機会はそう多くないので、下手なものは食べさせられない。



「ねぇ」


「なんだ、今野菜の目利きで忙しいんだが」


「なんだか、新婚みたいなノリだね」


「ぶはっ!」



 澪が変なことを言うものだから思わず息を詰まらせ咽てしまった。というか、今までのやり取りのどこにその感覚を感じ取ったんだよ。あと、変なことを意識させるな。



「だって、今夜の食材を一緒に買う男女って私の中ではそんなイメージなんだもん」


「全国の新婚さんに独特な偏見を押し付けてんじゃねーよ」


「うーん、じゃあ同棲を始めたばっかのカップルや熟年夫婦とか?」


「ああもうハイハイ、それでいいよ」



 とりあえずこれ以上変なことを言わせないために適当に同意してこの会話を終わらせる。なんというかこのままこの会話を続けていたら危険だと俺の中のセンサーが感知したのだ。まったく、どうしてこんなことになったのやら。


「実質的にこれってデートだよね」


「……っ!?」


「お兄ぃ、ちょっと照れて顔赤くしてやんの」


「はぁ? 生鮮エリアの冷風で冷えただけだし」


「それってむしろ火照りを収めてるんじゃ……ま、いっか」



 こうして俺たちは変な空気感に包まれながら食材購入を終えサイクリングショップへと向かう。迎えに言った俺の自転車は元の姿を取り戻していた。新品のタイヤに見惚れそうになり、これから汚すと思うとなんか申し訳なくなってくる。



「お兄ぃここに私の服置くねー」



 俺がもっと自転車をいたわろうかと思っていたら、躊躇なく自分が買った服をかごに突っ込む澪。まったく、なんだかこいつといると自分が馬鹿らしくなってくる。



「それじゃお兄ぃ、帰ろ」


「わーってるよ」


「ふふ、腕組もうか」


「え、やだ」


「えーやだー」


「っておい、無理やり腕組んでくるなって!」


「ほら、前見て歩かないとまた自転車壊れちゃうよ」


「お前の腕を振り払って一人で自転車乗って帰ってもいいんだぞ」


「お兄ぃ、鬼畜すぎぃ」



 そう言って澪は俺の腕を離すも、今度は服を掴み始めた。注意して辞めさせようかと思ったが、これで満足してくれるならまあいい。本当に無理やり振り払ってしまうと、澪が泣いてしまうかもしれないから。


「楽しかったね、デート」


「デートじゃないし」


「ニヤニヤ」


「擬音を言葉でいうなよ」



 そうして俺は一緒に夕焼けにあてられながら、澪と色々なことを話す。最近は変なことが多かったし兄妹の時間をとれていなかった。だからこそ、こういう時間は貴重なのだ。


 そうして義兄妹とはいえ今後も良好な関係を築いていきたいと思う俺なのだった。



(ふふふ……計画通り!)



 澪の胸中など気づかずに。

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