第5話 変化する日常


「ふぁ……」



 夜遅くまで妹の相手をしていたのですっかり寝不足になってしまった。しかし目覚まし時計のアラーム機能は都合よくサボったりすることなく健在だ。この電子音を聞いて今日も朝早くから起床する。こんな時、ショートスリーパーの人が本当に羨ましい。


 部屋を出てチラリと澪の部屋を覗いてみると、安心した顔ですやすや眠っていた。どうやら夜遅くまで一緒にいたことが功を奏したらしい。いろいろと疲れてしまうが、妹の安心した顔を見れるのならば安いものだ。



「さて、今日も頑張りますかね」



 俺は朝起きたら食事を作る前に必ず家の掃除をするようにしている。自分の部屋はもちろん、リビングやキッチン回りなどを簡単に掃除する。トイレやお風呂は休日や夜に回してしまうが、基本的に朝はどこかしら綺麗にしないと落ち着かない。澪には潔癖症と馬鹿にされるが、俺は掃除が好きというより家事が好きなのだ。そこは誤解しないでほしい。



「ふぅ、大体終わったな。あとはごみを出してと」



 今日は燃えるゴミの日なのでごみ袋をまとめて家を出る時に一緒に持っていくようにする。それが終わってようやく朝食づくりの開始だ。だが、今日はいつもと違っていた。



「っ、まだ痛むな」



 どうやら左手は一夜で完治しなかったらしい。フライパンの柄を握った瞬間に鈍い痛みが脳に直接響いてきた。とはいえ打ち身には違いないので、今日一日安静に過ごすことを決意する。体育の授業が今日はないというのが何よりも救いだ。



「新垣さんは大丈夫だったかな」



 あの後別れたのでどうなったのかはわからないが、トラウマになってもおかしくはない事態に陥っていたのだ。本来ならケアをするべきなのだろうが、俺は彼女の友達でもないし家族でもない。助け出した張本人とはいえ蚊帳の外といっても過言ではないのだ。



「まああの人には友達がいっぱいいるし、大丈夫だろ」



 俺なんかが出張らなくてもきっと彼女と仲のいい人たちが何とかしてくれる。そう信じながら冷蔵庫から取り出した卵を割る。今日はオムレツでも作ることにしよう。あとは適当にパンを焼きインスタントのコーンスープをつければ立派な朝食になる。



 そして一通り朝食の準備を終えればいつも通り妹を起こしに部屋へと向かう。部屋を覗いてみると、先程来た時と変わらない姿勢でぐっすり眠っている。呆れながら俺は妹の体をさすりながら大声でたたき起こす。



「ほら起きろ! もう朝だぞ!」


「んっ、魔界はこれから夜……」


「夢に浸るな! というか、何で俺より先に寝たお前が俺より長く眠ってんだよ、ったく」



 グチグチしながら妹の体を揺らし続ける。一分ほど続けていると、ようやく澪はむくりと起き上がり俺の方を見た。そして不満そうに



「せっかく魔界の王になってたのに」



 と訳の分からないことをぼやいていた。というか、昨日の精神状態を乗り越えてどんな夢見てたんだよ。



「ほら、寝ぼけてないで着替えて降りてこい。朝飯とっくに出来てるぞ」


「ん、わかったぁ」



 そう言いつつ再びベッドダイブを決め込む澪をしばき倒し、俺も一度自分の部屋に戻って制服に着替える。そしてリビングへ降りてキッチンに立つと同時に澪も目をこすりながら降りて来る。今日は珍しくきちんと着替えて降りてきたようだ。


 そしてテーブルに料理を乗せた皿を運ぶタイミングで澪もようやく目を覚ます。そして俺も椅子に座って妹と同時に手を合わせる。



「「いただきます」」



 昨日は隣に座っていたが、今朝はきちんと向かい合わせに座って食事をする。昨日のようなシチュエーションはイレギュラーだが、今後も用心しなければいけないだろう。そんなことを思いながらオムレツをスプーンで掬っていく。



「そうだ、お兄ぃ」



 俺が自分で作ったオムレツに舌鼓を打っていると、トーストを齧りながら妹が声をかけて来た。俺は顔だけを向けて何だと問い返す。すると妹はスマホをいじって画面を見せてくる。



「来月お父さんが日本に帰ってくるって連絡来たよ。お兄ぃに伝えておけってさ」


「親父が?」



 澪のスマホの画面を見てみると、確かに澪宛てにそのようなメッセージが届いているのが見えた。来月あたりに帰ろうと思っているとかお土産を期待していろとかそのような内容だ。



(いや、何で澪に送って俺に連絡なしなんだよ)



 面倒くさがったのだろうか。それとも可愛い妹を優先したため血の繋がった息子を投げやりにしているのだろうか。どちらにしろ理不尽な家族だ。だが、父がこの時期になって帰ってくる理由には心当たりがある。



「多分それ、お前の進路関係で一度帰ってきてくれるんだぞ。ちゃんと話し合えよ」


「はーい」



 そう言いながらトーストを再び齧る澪。本当にわかっているのか心配になってくるが、そこらへんは面倒くさいので親父に一任しようと心の中で決める。


 そうして朝食を食べ終え食器を流しに置き、すぐ学校に出かける準備をする。少なくとも昨日よりは時間に余裕があるようでよかった。澪は昨日俺が買ってきた英和辞典を持って行ってくれるらしい。さっそく今日の授業で使うようだ。



「お兄ぃ、急いでー」


「わーってるって」



 俺は台所に置いていたごみ袋を持ち家の鍵をかける。そのまま家を出て近所のごみ置き場にごみを捨て、待たせていた澪の元へと向かう。すると澪は気を利かせて俺の自転車を持ってきてくれていた。



「サンキュ」


「はいはい」



 そうして昨日と同じように学校へと向かう。すると目の前に見知った人物を見かけた。昨日は家を出るのが遅すぎたせいで会わなかったが、どうやら今日は会えたらしい。その人物は俺たちを見つけると手を振って駆け寄ってきてくれる。



「おはよ楽、澪ちゃんも」


「おはよう柚姉」


「おはよう撫子ちゃん」



 俺たちは家が近いのでよく一緒に登校している。とはいえ毎日会えるわけではないのでタイミングがあった時だけだ。柚姉は澪に近づき頭を撫でる。なんやかんやでこの二人も仲がいいのだ。



「そうだ楽。昨日のやつってまとめてくれた?」


「うん、時間を削って何とかね」



 そう、これが昨日寝るのが遅れてしまった最大の理由だ。だが時間をかけたおかげでしっかりとした資料を作ることができた。あとは柚姉や先生のチェックを待つだけだ。そうして俺たちはゆっくりと学校に向かって歩いていく。



「部活って、そんなに楽しいの?」



 俺と柚姉が部活の事ばかり話していると、会話に入れず不満そうな顔をした澪が俺たちにそう尋ねて来た。そういえばこいつ、中学校に入ってからずっと帰宅部だった。



「楽しいっていうより、趣味?」


「柚姉にとっては天国のような環境だろうね。大好きな星のことが学べてゲームもできるし」


「ふふっ、まあね」


「そのせいで大事なことが後回しになって大変だけどさ」


「ううっ、それを言うのは卑怯でしょ」



 人数が二人というだけあって本来なら廃部になっていたもおかしくはない。だが柚姉が顧問の先生に必死に頼み込んで何とか部を存続させてくれているのだ。だからこそ、もうちょっと真面目に活動してほしいのだが。



「ふーん、そうなんだ」



 澪にもいつか仲間と何かを成し遂げようとする大切さを知ってもらいたい。もし機会があれば、来年天文部にでも誘ってやりたいところだ。まあその時には柚姉は卒業しているが。



「じゃ、澪ちゃんはここまでだね。いってらっしゃい」


「うん、また今度ね」



 そうして澪は俺たちと別れ自分の中学校へと向かっていく。そして俺と柚姉は一緒に学校へと向かう。この人と一緒に歩くとせっかく持ってきた自転車も無駄になるのだが、まあしょうがないだろう。



 そうして俺たちも学校に着き昇降口で別れる。そして教室の中に入ると、相変わらず人気の一角があった。もちろん新垣さんの周辺だ。だが俺はそれを無視して柴山が座っている後ろの席へと腰を下ろす。すると相変わらず暇そうな柴山がこちらに向いてきた。



「よぉ、今日は昨日より早いな」


「お前は時間ばっかり計ってるな」


「お前が来るまで暇なんだよ」



 そう言って柴山は椅子をこちらへと向けて来た。柴山にも声をかける友達はいるが俺以外とはあまりしゃべらない。だからこそ朝は過ごしにくいのだろう。まあ、こいつとは中学の頃からの仲だしな。



「そういえば、また撃墜王のレコードが更新されたらしいぜ。それも一気に二つも」


「……そうか」



 あんなことがあった後に男子に告白されるとは、新垣さんもついていないな。というか、相変わらずゴシップ好きだな柴山は。いったいどこから情報を仕入れてくるのやら。



(……ん?)



 そう思っていると、こちらに向かって誰かが近づいてきた。なんとなく心当たりがあるが、それと同時に嫌な予感が俺の胸中を渦巻く。なにか面倒ごとに巻き込まれてしまいそうだと。


 そして俺が覚悟を決めて顔を上げると、俺の机のもとに昨日助けた新垣さんがやってきていた。もちろんクラスの男子や女子を問わず注目されている。柴山に関しては驚き目を見開いていた。



「その、小鳥遊君。昨日の件で改めてお礼を言いたくて。えっと、ありがとね」


「え、ああ。構わない」



 昨日の件。柴山はその言葉に引っかかったのか不思議な顔をしている。男子はもちろん、クラスの女子たちも驚いたかのようにコソコソ喋りだす。基本新垣さんが自分から男子と喋ることはないのだ。それに加えて男子である俺に新垣さんがお礼を言っている。面白いネタが生きがいの彼女たちにとって気にならない方が難しいのだろう。



「あと、その……よければなんだけれどね?」



 一呼吸おいて新垣さんはまた喋りだす。最初は話慣れていない俺に緊張してきたようだが徐々に顔のこわばりが薄れてきた。そして、女神のような慈悲の溢れるとびっきりの笑顔でこう言ってくる。



「私とお、お友達になってくれないかな?」



 この言葉は新垣さんが告白を受けた男子に返すものだ。だから、自分からその言葉を出すことはない。実際新垣さんにそう言われた多くの男子たちは傷ついて新垣さんの元から離れていくのだ。実際、クラスメイト達は新垣さんの珍しい行動に呆然としている。



「私、小鳥遊君と仲良くなりたいな」



一拍おき、クラスメイト達がざわついた。

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