第4話 豹変する妹
「だいぶ遅くなっちゃったな」
自転車を本屋の駐輪場に置いてきてしまったせいで余計に時間を食ってしまった。新垣さんをしつこく誘っていたチャラそうな男の姿はないかと怯えていたのだが、彼もすでに移動したようだった。
そして食料を買わなければいけないことを思い出し、近くのコンビニへと立ち寄り妹の分と合わせ適当に弁当を購入。そんなことをしていたらすっかり遅くなってしまった。
「というか、手が痛ぇ」
自転車のハンドルを掴んでいる左の手のひらに鈍い痛みが走る。男を吹き飛ばすために掌底のような張り手を繰り出したのだが、その時に手を痛めてしまった。軽い打ち身で済んではいるが、今夜は湿布でも貼って眠りたいところだ。
「それにしても、澪は大丈夫かな?」
俺は家で一人待つ妹のことを案じる。普段はマイペースで俺のことをこき使う妹なのだが、特殊な条件下では性格が豹変する。そしてその条件を今この瞬間満たしてしまっているのだ。
不安に駆られた俺は痛む手に構わず自転車を飛ばしていく。そうして数分もしないうちに家のガレージへと辿り着いた。ガレージには俺の自転車と父の車がいつも停めてある。だが、父はほとんど海外にいるためこの車が動いているところを未だに見たことがない。あの父のことだから、コレクションと言い出してもおかしくはないが。
俺は玄関に回りゆっくりと家の扉の鍵を開く。家の明かりがついていないが、澪は恐らく既に帰宅してるだろう。
ガチャリという音を立てつつ扉を開けた後、澪の靴があることを確認する。うん、どうやらきちんと帰ってきているようだ。そして俺も靴を脱いで荷物を持ち、澪がいるであろうリビングへと向かう。
リビングへの扉を勢い良く開けると、真っ暗なリビングのソファーに座る澪の姿を見つける。澪は制服を脱ぎ散らかしたまま下着姿で三角座りになりスマホをいじっていた。だが俺が帰ってきたことに気が付くと、一目散にこちらへ飛んでくる。
「ううっ、遅いよお兄ぃ!」
「ぐほっ!?」
荷物を持った状態で思いっきり飛び掛かられたので、バランスを崩してそのまま倒れこんでしまう。何とか澪とコンビニ弁当は守ろうとうまいこと衝撃をやらわげる。そしてコンビニ弁当を素早く置きそのまま澪を受け止めた。
「い、いきなり飛びつくなよ」
「お兄ぃ、お兄ぃっ!」
「わかった。わかったって」
「うっ、ううっ」
澪が泣きながら俺のことを抱きしめてきたので背中をさすって落ち着かせる。だがこうなった澪はなかなか落ち着いてくれない。だから俺は背中だけでなく空いた手で頭も撫でてやる。
(まったく、なんでこんな風になっちゃったんだか)
澪は幼い頃に母親を亡くした。そのため家族がいなくなるのを極度に恐れているのだ。あの時は俺が必死に宥めて事を収めたが、その時から澪は俺が長時間近くにいなくなると精神が不安定になるようになってしまった。学校などは大丈夫らしいがプライベートな空間、特に家の中では厳しいらしい。
そして数年前に父が事業を海外に広めるため頻繁に海外出張に行くようになって滅多に帰ってこなくなったのがさらに拍車をかけた。つまり澪は、俺が近くにいないとすぐに心を病んでしまうようになったのだ。その結果、俺に依存するようになった。
一度病院に連れて行ったことがあるのだが、その時の医者にはメンタルヘルス(メンヘラ)との診断が出された。それ以来澪のことを気にかけるようにはしているが、今回のような事態があるために完璧とはいかない。
「とりあえず澪、お腹空いただろ。コンビニの弁当で悪いが一緒に食べよう。な?」
「……うん」
澪が泣き止んだタイミングを見計らい食事のことを切り出す。今回は久しぶりのメンヘラ発動だったが昔はこのような事態がよくあったため解決策は分かっている。話題をすり替えて盛り上げればいいのだ。
「俺は弁当を温めてるから、澪はちゃんと着替えてこい。あと、制服もきちんとたため」
「うん」
そうして澪は制服を持って二階へと上がっていく。時間をかけて抱きしめたことにより一人で立ち上がれるくらいには回復したらしい。俺は痛んだ体を起こして弁当を取り出しレンジへとぶち込む。
(澪にはきちんと自立してほしいけど、やっぱあれじゃなぁ)
普段は兄としてだらしない生活を指摘し注意する俺だが、澪があんな状態なため強く出れないでいる。口先だけ、というやつだ。一体どうすれば澪は安心して日常を過ごすことができるようになるのだろうか。ずっと俺が付いているわけにもいかないし。
(あいつ、学校では優等生のはずなんだけどな)
澪は中学校で勉強と運動の双方においてトップクラスの成績を収めている。担任から生徒会に推薦されたそうだが、本人の性格から辞退したらしい。面倒くさそうという理由が実に妹らしいが。
「お兄ぃ、ちゃんと着替えて来たよ!」
「あ、ああ。偉いぞ」
「うん。えへへ」
メンヘラ状態から回復した澪はいつも以上に素直になる。普段は落ち着いており素っ気ない態度を取るのだが、こうなったら一日中ベタベタされるのだ。今も電子レンジで弁当が温まるのを待つ俺の腕を掴んでくっついてくる。
「ほら、弁当取り出すから離れろ」
「うん、わかった」
そう言って俺の腕を離すが、今度は邪魔にならない程度に服を掴んでくる。どうやら俺から離れるつもりはないようだ。
俺は一度妹を無視してリビングのテーブルに弁当を運ぶ。そして椅子に座るのだが、いつもは正面に座る澪はあろうことか隣に座ってきた。しかも、肩が触れるくらい距離が近い。
「おい、いつもの席に座れよ」
「たまにはいいじゃん。私、今日はお兄ぃの隣で食べたいな」
そう言って笑みを浮かべておねだりしてくる澪。こうなってしまったら、厳しいことを言っても意味がない。泣きながら同じことをお願いされるだけだ。
だから俺は諦めて弁当の蓋を開け始めた。すると澪もそれに倣って弁当の蓋を開け始める。俺は生姜焼き、澪は好物のハンバーグがメインのお弁当だ。
こうなることが分かって、あらかじめ澪の好物であるハンバーグのお弁当をチョイスしておいたのだ。そしてそれは、大正解だったといっていいだろう。
「わぁ、ハンバーグだ。お兄ぃ、ありがとね」
お弁当の中身を見た澪は俺を見て笑みを零している。ちなみに澪のお弁当は俺のお弁当より大幅に高額だったが、これで少しでも澪の心を和らげることができるのなら安いものだ。
(結局、俺が澪のことを甘やかしすぎているのが一番の原因だよな)
そう思いながら二人で手を合わせ「いただきます」と言う。隣を見るとハンバーグを笑顔で食べる澪の姿があった。その笑顔を見て俺の心が安らいでいるあたり、俺も澪という存在に依存しているのかもしれない。
ただ
「澪、さすがにもう少し離れろ。食べにくい」
「なぁに? もしかして、胸が当たってるの気にしてるの?」
「いや、お前そんなに胸ないだろ。それに、当たってるのはお前の肩だろうが」
「むぅー」
時折俺のことをこういう風に扱うのがいただけない。こういうことさえなければ、本当にかわいい妹なのだが。
そうして弁当を食べ終え、俺は弁当のケースを片付ける。そのついでにカフェオレを入れてやった。もうすぐ夏とはいえ夜はまだ冷える。カフェオレで体を温めてもらいつつ、甘さでまだ残っているであろう不安を取り除くのが目的だ。
「あ、兄ぃありがと」
そうして俺も澪の隣に腰を落とし、カフェオレを飲みながらテレビをつける。今やっているのは愛らしい動物を紹介する番組だ。これなら今の澪に見せても問題ないだろう。というか俺、やっぱり過保護だな。
「ふふふっ」
そう思っていると、いきなり澪が笑い出した。そんなに面白い場面が流れたのかと画面を見るが、別にそんな映像は流れていない。澪の方を見ると、微笑ましい笑みを浮かべ俺の顔を覗き込んでいた。
「なんかこういう風に同じホットドリンクを飲んでテレビを見るって、私たち夫婦みたいだね」
「毎日こんなもんだろうが」
「それでも、だよ」
そう言って再びテレビを眺め始める澪。全く何を言っているんだとその言葉を流したが、次の瞬間何気ない顔で澪がこう呟く。
「あーあ。お兄ぃと私が兄妹じゃなければなー」
「……」
兄妹じゃなければ結婚できる、と言いたいのだろう。妹が何気に呟いたその言葉に俺は内心冷や汗を流す。
そう、何を隠そう俺と澪に血の繋がりはない。いわゆる義理の兄妹というやつだ。俺は父の連れ子で澪は亡くなった母の連れ子。澪はまだ幼かったのでよく覚えていないようだが、俺はしっかりと覚えている。
そしてその事実を、澪は知らない。
(いつかは伝えなくちゃいけないんだろうけど)
澪との関係性が崩れることを恐れるあまり真実を明かせないまま数年が過ぎてしまった。真実を知った澪がどのような行動を取るのか全く予測できない。だがはっきりしているのは、俺たちは兄妹で家族だということ。だからこそ、間違いがあってはいけないのだ。
結局俺は今日も真実を明かさないまま、澪が寝付くまで彼女の部屋で一緒に過ごしたのだった。
——あとがき——
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