第3話 女の子には優しくしろ


 新垣さんは金髪のチャラそうな男に絡まれていた。酔っぱらっているわけでもないのにニヤニヤしながら笑みを浮かべ新垣さんに話しかけている。新垣さんも振り払おうとしているが男が力強く腕をつかみ拘束され、さらには恐怖で大声を出せないようだ。



「なぁ、いいだろ。すぐそこにおすすめのカラオケがあるんだって。別に取って食うわけじゃねーんだからさぁ」


「わ、私はカラオケに興味がありません」


「大丈夫だって。盛り上がるように俺がダチ呼ぶから。きっと楽しいって、な?」



 どうやらあのチャラそうな男は新垣さんをカラオケに連れ込みたいようだ。その後どんな行為に及ぶのかはわからないが、あの様子だとロクなことにならないだろう。


 とりあえず、新垣さんを助けたいのだが……



(うーん、あの人強そうだし怖いな)



 俺が闇雲に出て行っても悪い結果にしか繋がらない気がする。こんな時は大人に頼るのがベストなのだが、夜ということもあり人通りが少ない。つまり、結局俺がやるしかないっぽい。



(これ以上新垣さんを怖がらせたくないしな)



 曲がりなりにもクラスで一番かわいいと評判の女子だ。そんな人物が酷い目に遭ってしまえば、クラスの人たちがどれだけ騒ぐかわからない。柴山とかも下心丸出しだが、彼女のことが気になっている様子。友人が憤るところなんて見たくないし。


 そして俺は有効そうな作戦を考え、すぐにそれを実行に移す。



(新垣さんって運動神経良かったよな。なら、大丈夫なはず……)



 懸念されるのは俺の体力についてだが、それは根性でどうにかする。そして俺は気づかれないギリギリの距離まであの二人に近づき、大きく息を吸い込んだ。


 そして、近隣中に聞こえるほどの声量で叫ぶ!



「お巡りさーん! ここです。ここに女の子を襲っている男が居まーす!!!」



 俺が叫ぶと、チャラい男だけでなく新垣さんまでギョッとした表情で俺の方を見た。そして男が怯んだ一瞬の隙をつき距離を詰め、そのまま胸の部分めがけて左手で張り手のようにたたきつける。



「ぐおっ!?」



 チャラそうな男はそのまま後ろへ倒れこんだ。その拍子で掴んでいた新垣さんの腕を離してしまう。新垣さんは何が起きたかわからないのか震えながら俺の方を見た。しかし、心配している余裕はない。



「こっちに!」


「えっ、ぁ……」



 俺は新垣さんの手首をつかんで走り出した。目的はただ一つ。さっき吹き飛ばした男から逃げ切るためだ。柴山ならともかく、俺には喧嘩をできるほどの強さはない。さっきは不意を突いて弾き飛ばすことに成功したが、二度目はないだろう。現に、右の掌が痛み始めている。



「おいてめぇ! いきなりなにすんだ!」



 後ろを振り返ると、チャラそうな顔が豹変し鬼のような形相を浮かべた金髪の男がこちらに走ってきた。俺も負けじとスピードを上げ新垣さんを引っ張っていく。


 

そして五分ほど走っただろうか。もう後ろに先ほどの男の影はなかった。俺と新垣さんは荒くなった息を整え、一度道の真ん中で立ち止まる。



「新垣さん、怪我無い?」


「あ、うん。私は大丈夫」



 新垣さんは俺以上に息が切れており激しく肩で息をしていた。あの緊張状態から全力疾走に移行するのはやはり体の負担が大きかったらしい。だが、彼女はそれでも一生懸命ついてきてくれた。おかげでうまくあの男をやり過ごせたのだ。



「えっと、小鳥遊君だよね」


「あれ、俺のこと知ってるの?」


「知ってるも何も同じクラスだよ」



 まさか俺のことを認知してくれているとは思わなかった。俺のような隅っこの人間の名前を憶えているという社交性が、彼女が人気な理由の一つなのだろう。



「どうする? このまま交番に駆け込もうか?」


「いや、さすがにそれは大事になっちゃうよ」



 俺にとっては充分大事だったと思うが。だが彼女はこのまま何もなかったことにして帰りたいようだ。被害を受けたのは新垣さんなので彼女がそう言うなら俺もそれに従うことにする。



「というか、なんでこんな時間にあんなところにいたんだ?」



 俺の記憶が確かなら、確か新垣さんは帰宅部だったはず。だからこんな時間まで外にいるというのもおかしな話だ。しかも、人目のつかない路地裏に。


 すると新垣さんは目を伏せながら喋りだす。



「その、今日はクラスで仲のいい子と遊んでいたんだけど、気が付いたら帰りが遅くなっちゃって。一応途中まではその子と一緒に帰ってたけど、別れた途端にあの人に腕を掴まれて言い寄られたの。私が断り続けたら、無理やり路地裏に連れ込まれちゃって」



 話を聞くに、本当に危ないところだったようだ。結構乱暴な手段で助け出したことに罪悪感を覚えていたのだが、なんとかそれが吹き飛んだ。痛んだ手も氷か何かで冷やせば明日にはよくなるだろう。


 俺が今後のことについて考えていると、急に目の前の新垣さんが震えて涙目になっていた。そして、どんどん震えが止まらなくなっていく新垣さんを見かね、俺が慌てて声をかけた。



「だ、大丈夫か?」



 俺がそう尋ねると、新垣さんは涙をぬぐいながら小さな声で返答する。



「うん。もしも小鳥遊君が助けてくれなかったら、私、どうなってたんだろうって……」



 俺があそこを通りかかったのは奇跡だった。そういう意味では、理不尽な買い物を押し付けてきた澪に感謝するべきなのかもしれない。それに俺が妹の頼みを無視して妹に無理やり買い物に行かせていたら、もしかしたら新垣さんの代わりに澪が危ない目に遭っていたかもしれない。そういう意味では運がよかった。


 とりあえず、今は新垣さんを慰めることに集中しよう。目の前で女の子に泣かれていては落ち着かないし、柚姉も女の子には優しくしろと言っていた。なにより、怖がっている女の子に寄り添えず放置するようでは、澪や父に顔向けができない。



「とりあえず、落ち着くまで一緒にいてやる。だから泣くな」



 我ながら、とんでもなくぶっきらぼうな言葉だったと思う。しかし、俺はこんなときにどういうことを言えばいいのかわからないし。漫画やアニメの主人公ならもの温かい言葉を恥ずかしげなくかけられるのだろうが、俺はしょせん脇役みたいなものだ。だから、俺が新垣さんに掛けられる言葉はこれくらいが限界だった。


 だが、新垣さんは変わらず肩を震わせたままありがとうと言ってくれた。それだけで、俺の心もほんの少しだけ温まった。何がともあれ、力になれたのなら幸いだ。


 そうしてしばらく時間が経ち、ようやく新垣さんは泣き止んでくれた。目は赤く腫れているが、それでもかわいいのは反則だと思う。普段そういうことを意識しない俺ですら目を合わせるのが緊張してしまう。



「ありがとね、小鳥遊君。おかげで元気出た」


「そうか。それで、一人で帰れるか?」



 可能なら、親御さんに迎えに来てもらうべきだと思う。さすがに学校の先生をこんな時間に呼ぶのは気が引けるし、頼れる大人が意外と少ない。だが、このまま新垣さんを一人で帰らせる方が危険だと判断した。



「……」



 しかし新垣さんは、なぜか黙って俺のことを覗き込んでいた。まるで捨てられそうな子犬みたいで、せっかく落ち着いていた心臓が再び鼓動を速めてしまう。だがとりあえず、新垣さんが望んでいることは分かった。だからあえてそれを声に出して提案してみる。



「それじゃ、俺が送っていこうか?」


「その、迷惑だと思ったけど、いいの?」


「もともと今日は遅く帰るって家に伝えてるんだ。それがもう少し遅くなったって構わないさ」



 澪には事前に帰りが遅くなると言っている。部活で資料を作っていた時に進行度を危惧して連絡しておいたのだ。だからもう少し帰宅が遅くなっても問題はないだろう。



「それじゃその、お願い、します」



 そうしてしおらしくなった新垣さんと再び歩き出した。偶然にも逃げてきた方向に彼女の家があるらしく、そこまで時間はかからないそうだ。道中ほとんどか言わさなかったが、彼女と話して会話が長く持つとは思えなかったため特に気まずいとは思わなかった。


そして先ほどの場所から十分もしないうちに、彼女の家に辿り着く。



(へぇ。これが新垣さんの家か)



 実家がお金持ちだと噂で聞いていたが、見たところ普通の二階建ての一軒家だ。大きさは俺の家よりは大きいが、思っていたよりこじんまりしている。もっとこう、豪邸のようなところに住んでいるようなイメージだった。


 俺は玄関前で彼女のことを見送る。ここまでくればもう安心だろう。そして新垣さんは改めて俺にお礼を言い始める。



「小鳥遊君。その、あ、ありがとね!」


「いいよ。それじゃ、おやすみ」


「うん、おやすみなさい」



 そうして俺は新垣さんのことを見送った。本当に警察に相談しなくてよかったのかと不安はあるが、これを機に彼女は夜遅くまで気づかず友達と遊ぶということはなくなるだろう。つまり、もう大丈夫なはずだ。



「にしても、意外とテンパったりする子だったんだな」



 今回は非常時だったこともあるが、それを抜きにしても新垣さんはよそよそしかった。帰り道で俺が彼女の方へ眼を向けると、彼女と高確率で目が合った。そしてなぜかはわからないが新垣さんは目線をそらす。だがその後もずっと俺のことを見つめてくるのだ。



「ま、明日からはいつも通り。ただのクラスメイトだ」



 俺と新垣さんがこれ以上深い仲になることはないだろう。というか、卒業まで話すことはないかもしれない。つまり、今回は色々な意味で運がよかったのだ。



 まあそんなことはどうでもいい。とりあえず早く家に帰ってご飯でも……



「……あ」



 そこで俺はふと気が付く。そういえば自転車、本屋の駐輪場に置きっぱなしにしたままだった。

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