第29話 最初から、俺に振られたかったのか
告白を断った帰り。
玄関で、相も変わらずカッコ良い仕草で佇む草壁を目にした瞬間、春人は脱力した。
当然、その後の帰り道も脱力することばかりであった。それに安堵する気持ちもある一方で、ざわざわと落ち着かない心も生まれてくる。
放課後の用事について、彼女は何も聞いては来なかった。
恐らく分かりきったことではあるし、春人が話すまではと考えてくれているのだろう。気軽に聞かれたくはない内容だったし、春人自身救われた。
だからこそ、思う。彼女は本当に、春人の気持ちを大事にしてくれていると。
春人も、その気持ちにそろそろきちんと応えたい。
「あ、のさ。草壁さん」
「うん、何だい? そのどもりながらもはにかみつつ、上目遣いに見上げてくるそのアングル……最高だよ、須藤君。好きだよ。結婚しよう」
「俺、別に上目遣いになってないからな。身長も俺の方が高いからな」
「気持ちの問題だよ! 須藤君の上目遣いを想像したら、あまりに良すぎて……私の心はまさに爆発したよ」
「いや、それいつも思うけど死んでるよな……、って、はっ!」
いつもの如く、彼女のペースに呑まれてしまった。
いかん、と春人は改めて心を奮い立たせ、彼女に向き直る。
「あのっ。それで、草壁さん!」
「何だい? 今度は、一大決心した様なその初々しくも、勇ましいきらきらした瞳とか……カッコ良すぎだよ。君は、どれだけ私を舞い上がらせれば気がすむんだい?」
「いや、だからそういう意味じゃ……って、ああ、もう! 話が進まない! あのさ! ……この、……登下校のことなんだけどっ」
「うん? 登下校がどうかしたのかい?」
きょとんと瞬く彼女に、一瞬春人は
正直、春人自身今はこの登下校を楽しんでいる。この時間を失くすのは惜しい。
けれど、ちゃんと考えたいのだ。
今のままだと、きっと振り回され続ける。彼女の優しさに甘えて、ずるずるとこの
それは、とても不誠実なことに思えた。
だから。
「あの、さ。……しばらく、この登下校を無くして欲しいんだ」
「――――――――」
それは、一瞬のことだった。
一瞬の、ほんの
だが、見てしまった。春人の目には、はっきりと映ってしまった。
彼女の瞳に、傷付いた色が走った瞬間を。
傷付いた奥に、強い悲しみが
それを余すことなく見届け、直後、すっと綺麗に隠してしまった彼女の傷を
「あ、……っ」
言葉を間違った。
春人が思った時にはもう遅い。
「あー……、……うん」
こほん、と軽く草壁が
「そうかい、もう登下校をやめたいのかい?」
「え? ああ、いや、それは。……あの、その理由なんだけど」
「……ならば、……遂に! 私も、今! 須藤君から告白の返事をもらう時が来たようだね!」
「え……?」
告白の返事。今。
いきなり話が吹っ飛んで、春人の頭の中が真っ白になる。間違ってはいないが、今は急すぎる。
だからこそ、反応が遅れた。それが、
「登下校をやめたい。つまり、それが告白の返事。そう受け取って良いのだよね?」
「え、……ち、違うっ」
そうじゃない。
切り出し方を間違った。いや、タイミングを間違ったのか。
とにかく、彼女が勘違いをしているのはよく分かった。
分かったのに、何故か――いや、いつも通り、彼女は止まらないまま進んでいく。
「さっき、告白をされたんだろう?」
「え……あ」
「そして、その後である現在、登下校を止めたいと君は言った。すなわち、答えは簡単! 遂に、君の次の恋人が決まったということだね!」
「……は、はあっ⁉」
いきなり恋人まで決定された。
ぽんぽんと話が進んでいく流れに、春人は混乱しながらも首を激しく振る。
「ま、待ってくれ。俺、一言もそんなことは言ってな――」
「だって、登下校を止めたいんだろう? つまり、それは、特定の人とか周りに、もう誤解されたくないってことじゃないのかい?」
「え……っ?」
「だって、私は公然と毎日毎日須藤君に告白しているのだからね! 大好きだと声高に宣言しているのだよ! そんな、須藤君大好きな私と君が登下校を繰り返していたら、恋人はどう思う? 誤解するだろう? 私だったら嫌だね! どうしてそんな女と登下校するんだい! って怒るだろうね! 自分の好きな人の隣に、そんな横恋慕しそうな女が四六時中いたら嫌だろう? 君だって、そうじゃないのかい?」
「それは、……いや、違うっ。そうじゃなくてっ」
頷きかけて、春人は軌道を修正する。
春人に恋人が出来ただなんて、とんでもない勘違いだ。タイミングが酷過ぎたせいだと分かっていても、勝手に決め付けないでくれと焦って懸命に口を開く。
「だからっ、聞いてくれ。さっき、確かに告白はされたよ。でも」
「……そう。やはりね」
「いや、だから聞いて」
「皆まで言うなかれ! ……聞かなくても分かるさっ!」
かなり語気が強くなった。
いつも通りの口調のはずなのに、思い切り鼻先で扉を締められた。そんな錯覚まで起きて、春人の声が
「く、草壁さんっ」
「つまり! 須藤君にも、その名前の様に次の春が来た、ということなのだね」
「……、なあ、聞いてくれ。違う。俺」
「いやあ、桜が舞うね! もうすぐ梅雨に入るけれど、季節外れの桜はとても綺麗だろう。……仕方がない。
「え……、……」
祝福って、何だ。
「しゅく、ふく……」
「そうだろう? 好きな人にめでたいことが起きたら、祝福する。それは、当然のことじゃあないか」
「……」
「おめでとう、須藤君。……淋しいけど、君が好きだからこそ。私は祝福するよ」
「――」
めでたいことって、何だ。
おめでとうって、何だ。
誰が、めでたくて、何を、祝福するって言うんだ。
春人に恋人が出来ると思ったからか。勘違いとはいえ、だから笑って受け入れるとでも言うのか。
あれだけ散々春人のことが好きだ結婚しようと
何故、そんなにあっさり諦めるのか。
春人を嫌というほど振り回し、勝手にずけずけ踏み込んできたくせに、去る時は立つ鳥跡を濁さずと言わんばかりに綺麗さっぱり消えていくのか。
こんなに、春人の心に踏み込んで来たくせに。
これほどまでに、深く春人の中に足跡をくっきりと付けていったくせに。
あれだけ、好きだと伝え続けてくれたくせに。
いつの間にか、こんなにも春人の心を揺さぶって、惹き付けたくせに。
それなのに、これほどあっさり手放すのか。
恋人になることを、諦めるのか。
何だ、それは。
――何なんだ、それは。
「……何で、……祝福するんだよ」
「え? だから、それは」
「――っ! 俺が! いつ! 誰かと付き合うって言った⁉」
今までにないほどの大声で叫ぶ。さしもの草壁もびっくりして、いつもの笑顔を崩した。
だが、止まらない。先程の告白の時には冷静になれと己を鎮められたのに。
何より、彼女にあっさり手を振られるのが嫌だった。
「俺が何も言ってないのに、よくもまあ、それだけべらべらべらべらと妄想だけで話を進めて行くな。俺の意見なんて関係ないってか。そうだよな。いつだって、草壁さんが自由に
「いや、……須藤君。落ち着き……」
「落ち着くのは君だろ⁉ 草壁さんは! そんなに俺に他の人と付き合って欲しいのかよ!」
「――」
まるで悲鳴の様だ。
自分で聞いても苦しかったのに、目の前の彼女の方が苦しそうに顔を歪めている。初めて見る彼女の表情に、春人は止めたいのに止まらなくなった。
「清水さんの時もそうだったもんな。振って後悔していないか、とか。散々俺のこと好きって言っておきながら、清水さんと付き合うのをどことなく勧めるとか、……そうだよ。君、本当に俺のこと好きなのか?」
「……もちろんさ」
「好きじゃない! ……そんなの、全然! 好きって言わないだろ!」
好きだ。結婚しよう。
熱く甘く告白する同じその口で、彼女は違う人と付き合うことを簡単に勧める。受け入れようとする。祝福までしようとする。
悔しくて堪らない。
所詮、春人は彼女にとって、――その程度の存在なのか、と。
「しかも、今度は俺がさっき告白された人と付き合うことを、あっさり容認するとか。何だよ、それ……っ」
「……、それは……」
「……好きだ! 結婚しよう! 夫婦になったら! そういうこと毎日毎日言ってたくせに! 全部嘘だったんだな!」
「須藤君……」
「本当に好きだったら、平気で他の人と付き合うことを受け入れられるもんか! ……嫌だ、って。付き合うなって。どんなに醜くても、嫉妬深くなる自分が嫌になっても、一度は絶対止めたくなるだろ!」
春人だったら、嫌だ。苦しくて痛くて堪らない。
彼女が、いつか誰か他の人と付き合うことを考えたらと思うと頭が割れそうだ。爆発して、悲しくて、泣きたくなる。
彼女の元気過ぎる声がもう自分のものではなくなると思うと、辛くて仕方がない。
そうだ。辛い。悲しい。苦しい。痛い。
嫌だ。
「――……、い、……や」
ああ、そうか。
――ああ、そうだったんだ。
彼女が他の誰かと一緒にいるのが、嫌なのか。
これが、本当に恋心かどうかも分からなかったのに。
それは。
「……草壁さん、そういえば、言ってたもんな。……最初に告白をOKした時、俺は君を振るべきだったって。俺を好きになった理由も顔とか、それしか言ってなかったし」
「ああ、……。でも、あれは」
「最初から俺に振られたかったのか? それとも……好きでもないのに、からかってた?」
「……っ、それは、違う!」
「じゃあ! 一体何だって言うんだ! どうして、今! 俺が他の人と付き合うかもしれないっていうのに、そんなへらへら笑った!」
「……」
「俺は、……君にだけは、……笑って、欲しくなかった……っ‼」
勘違いさせた。傷付けた。
だからすぐに訂正しようとしたのに、彼女は笑って傷を隠した。挙句の果てには、恋人が出来るのかと祝福までしようとした。
嫌だった。やめて欲しかった。拒絶して欲しかった。
――付き合うなって。言って欲しかった。
そんな独りよがりなことを、彼女が言うはずないのに。
彼女はいつも誰かのことを思っている。春人の心も大切にしてくれた。
もし、春人が誰かと幸せになる道があるのなら、彼女は――喜んで手放すかもしれない。
それに気付くのが嫌だった。
そんな風に、彼女が春人のためなら簡単に引き下がるのだという事実を、認めたくなかった。
「……、……ごめん。怒鳴って」
「……いいや。私こそすま」
「謝んな」
短く切り捨て、春人は彼女に背を向ける。
己のことを棚に上げていると理解はしていたが、それでも今、彼女に優しい言葉をかけることは難しかった。
「しばらく、……登下校は止めたい」
「ああ、分かったよ」
「……。……これからのこと、少し考えさせて」
「ああ、もちろん」
最後までしっかりした声で彼女は返してくる。その冷静さや強さが腹立たしいくらいに憎たらしかった。
もっと、怒ってくれたって良いのに。
それをせず、最後まで春人の気持ちを尊重してくれる彼女の心遣いと優しさが、今の春人には辛くて、その場を逃げる様に立ち去った。
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