第26話 遂に私へのカウントダウンが来たね!


 草壁とゴーたんショップに行ってから、更に二週間が経過した。


 あれから、結局毎日ゴーたんショップへ行くことになったのが遠い日のことの様に思う。

 冬馬や和樹を巻き込んだり、別の日には草壁の弟の秋を巻き込んだり、つまりは他の人を巻き込んでショップや食事を隅々まで堪能たんのうしたのだ。

 彼らには申し訳なかったが、春人としては色んなゴーたんの食事を楽しめたし、何より彼らと過ごす時間が嬉しかった。

 最終日はまた草壁と二人でショップに繰り出し、着ぐるみのゴーたんやショップの店員さんと別れを惜しんだものだ。――毎日通ったおかげで、すっかり顔を覚えられていたのは恥ずかしかったが。


 そんなばたばたとしながらも、楽しいゴールデンウィークが明けた後。

 学校では春人が草壁とデートに行ったことが何故か噂になっており、毎日佐藤をはじめとするファンに恨みがましい目つきを向けられていた。

 最初の頃は鬱陶うっとうしかったが、二週間も経てばもう慣れた。慣れとは恐ろしい。



「さて、須藤君。一緒にお弁当を食べるのが当たり前になった今、我々は更なる一歩を踏み出すべきだと思うのだよ」



 ゴールデンウィーク前から恒例になってしまった昼食の時間。一緒に弁当を食べていると、草壁がそんなことを言い始めてきた。既に共に食べるのが日課となってしまった冬馬や和樹も、視線だけで彼女に意識を向けている。


「……何かろくでもないことな気がするけど。何?」

「ああ、もちろんお答えしよう! いやね。そろそろ少女漫画やドラマだと、『ま、まさか……君は、昔公園でよく遊んでいたあの子……⁉』『! そうだよ、須藤君……いや、ハル君……っ』『ああ、そうだ、……そうだった。どうして俺は、今の今まで気付けなかったんだ。君は、俺がずっと探し求めていた人だったのに……!』『時間なんて関係ないさ。こうして、君が気付いてくれた。それだけで私は充分だよ……』『みーちゃん……』『ハル君……』――なーんてイベントが起きそうなものなんだけどね!」

「起こらないぞ」

「その通り! 残念ながら! 見事に! そういうエピソードが無いんだよねえ。短くも熱い視線を交わしたとか、甘酸っぱい思い出など微塵みじんもない! はあ、世とはくも不条理なものだよ……」


 ふっと吐息の様にささやき、草壁が前髪を撫でながら流し目をくれる。おかげで周囲の草壁ファンが立ちくらみを起こして倒れていった。そろそろファン達は目を覚ました方が良いと思う。


「というわけで! 仕方がないから妥協案だよ! 私と須藤君が互いに『あーん』をするステップに移ろうではないか!」

「却下」

「またまた。須藤君は照れ屋さんだね! なるほど。そうやってらしプレイで私を悶えさせるのが君の口説き文句というわけか。やるねえ」

「違う」


 前髪を掻き上げながら、微かに頬を染めてわざとらしく照れる彼女に、ジト目で溜息を吐く。

 即座に切り捨てられたからなのか、ふむ、と草壁は考え込んでしまった。あごに手をかけて思索にふけるその顔も、妙に憂いを帯びてさまになっている。

 だが。



「おかしいね。父が言うには、『あーん』というラブラブ甘酸っぱいこいつ見せつけやがって爆発してしまえと全世界が呪うほどのバカップルがやる儀式は、どんなツンデレでもどんなむっつりでもどんな堅物でも、一発で理性を微塵みじんに破壊してしまうほどの威力があると言っていたのだけれど。これは、実行しないと効果がないということなのかい?」



 大真面目な顔なのに、頭の中身が残念過ぎて、世の草壁ファンが哀れに思えてくる。



「あのな……。草壁さん。君はお父上に何を吹き込まれているんだ?」

「実際、私の父は、そうやって母に理性を破壊されたと言っていたよ!」


 とんでもないことを娘に暴露したな、父親。


 顔も知らない草壁の両親のその後を想像し、ついっと春人は視線を逸らす。

 傍にいる冬馬は弁当を食べて寝転がり、和樹は何食わぬ顔で単語帳に目を通し始めた。この二人は本気で薄情だ。助ける気がゼロである。


「まあ、弟も『やってみれば?』って冷めた様に溜息を吐いていたし、これは是非とも実行せねばとね!」

「秋君……。頼む。こういう時は止めてくれ」

「というわけで、さあ、どうぞ! はい、あーん!」

「んぐむっ⁉」


 油断して半開きになっていた春人の口に、強引に食べ物を突っ込まれた。はっきり言おう。情緒の欠片かけらも無い。世の中全ての「あーん」に謝って欲しい。

 もぐもぐと、突っ込まれたものを仕方なく咀嚼そしゃくすると、ふわりと軽やかに甘い卵の味が広がっていった。ふわふわした食感がまた、お菓子を連想させる。


「あ、美味い。これ、卵焼きか?」

「そうだよ! うちの父特製の卵焼きさ! ふわっふわだろう?」

「ああ。……へえ。ほんのり甘くて、お菓子みたいだけど、おかずにもなりそうな味で不思議だな」

「分かるかい? 分かってくれるかい? よし、今夜早速父に伝えておくよ! ポイント稼ぎというやつだね!」

「……いや、違うからな」


 ウィンクして親指を立てる彼女に、春人は遠い目になるしかない。何を言っても、彼女は止まらないだろう。それはこの前弟の秋から聞いた話で理解した。理解したくなかった。

 結局彼女のペースに乗せられたまま弁当は食べ終わり、備え付けのお茶を飲みながら春人は息を吐いた。

 ふっと降りた一瞬の静寂に、春人は心を決める。ゴーたんショップから帰った夜、ベッドの上で湧いた疑問を口にしてみたかったことだ。――二週間も言い出せなかったのは、毎日彼女のペースに乗せられていたからだとは口が裂けても言えない。


「なあ、草壁さん」

「やあやあ、何だい? 須藤君の要求ならば、例え火の中水の中、井戸の中かわずの中エベレストからのバンジージャンプだってこなしてみせるよ!」

「いや、そうじゃない。……草壁さんってさ、何が好きなんだ?」

「それはもちろん! 須藤君さ!」

「そういうのじゃなくて! 俺のゴーたんみたいな感じの好きとかは無いのかって聞いているんだよ!」


 思わず喧嘩腰になってしまって、後悔する。どうして彼女とは普通の会話が成立しないのだろうかと頭が痛くなった。

 そんな彼女は春人の目の前で、きょとんと目を瞬かせた後。


「……。な、なんと……」

「……草壁さん?」

「須藤君が、私にそんなに興味を持ってくれるなんて……! 遂に、私へのカウントダウンが来てしまったのだね⁉」

「か、かうんとだうん?」

「ああ、感慨深いよ、須藤君。君が、私の胸へ爽やかに夏の日差しの様な笑顔で飛び込んでくる助走を考えてくれるなんて! 私は今! 歓喜で胸が震え過ぎて、心臓が爆発したよ!」

「爆発ばっかりしないでくれ⁉ そ、それに、聞いたのは、この前はゴーたんに付き合ってもらったから! だから、次に出かけるなら、草壁さんの好きなものに関わるものにしようと思、……って……?」


 慌てて言い訳を口にしたら、とんでもないことを口走った気がした。はたっと我に返り、春人は口元を手で押さえる。

 だが、時すでに遅し。草壁の目が、ぱっと喜びで輝いた。――彼女のそんな目の輝きを目撃する瞬間が良いな、と混乱のあまり頭の片隅をよぎったことに気付けなかった。



「なんと……! それは、デートかい? デートのお誘いかい?」

「へあっ⁉」

「いやあ、まさかあの須藤君が! 照れ屋で奥ゆかしいはかま姿を是非見てみたい男ナンバーワンの須藤君が! 勇気を振り絞って顔を赤くしながら誘ってくれるなんてね!」

「誘ってない! って、違……! わ、……な、い? え?」

「そういうことならお答えしよう! 他ならぬ須藤君の頼み! 私は勇者になりたかったのだよ!」



 いきなり自分語りが始まった。



 何故、デートのお誘い云々から勇者になりたかったと暴露されるのだろうか。いや、春人から好きなものを聞いたのだから間違ってはいないのか。

 それにしても、なりたかったものの話とはこれ如何いかに。我関せずだった親友二人も密かに目をいていた。

 完全に錯乱しながらも、取り敢えず話を聞く態勢になる。


「えーと……勇者?」

「そうさ! いやあ、昔はよくあっただろう? 勇者が魔王だか竜だか神だか訳の分からない唐突に取ってつけた肩書しかない悪役にさらわれたお姫様を助けに行くお話が」

「あ、ああ。……悪役が可哀相になるからその説明やめてやってくれ」

「昔なんかは、ほら、特に小さい頃とかさ。遊びにしても演劇で何かの役をやるにしても、女の子はお姫様役をっていう認識が多かったじゃあないか。勇者は男の子の役目ってね」

「あー……。まあ、……確かにそうかも?」

「まあ、そんな中で私は勇者をやったのだけどね!」


 やったのかよ。


 思わず素でツッコミを入れてしまったが、「もちろんさ!」と即行で肯定されてしまった。

 普通、こういう話の流れだと、やりたくても出来なかったと打ち明けられるはずだが、流石は草壁。彼女は全ての論理を破壊する。


「お相手のお姫様はね! 当時日頃から突っかかってばかりきて、毎回泣かせるために意地悪しようとしてきたから全部返り討ちにしていた男の子を推薦してあげたよ! もちろん、私が助けに行ってあげたとも! 泣いて喜んでいたね!」


 彼女は、昔から彼女だった様だ。


 むしろ、その男の子は草壁を好きだったのではないだろうか。

 小さな男の子というのは、好きな女の子に意地悪したくなるものらしい。春人にはそういう傾向はなかったが、周囲では何回か見かけたことがある。和樹がよく「アホだな」と言っていた。

 しかし。


 ――昔の草壁さんを好きな人、か。


 春人だって好きになってくれる人がいたのだ。彼女にいたっておかしくはない。今や学校中の人気者なのだから、現在進行形で惚れている人もいるだろう。

 そう考えると、何だかもやっとした黒い感情が春人の中に生まれて漂い始めた。何だろうと首を傾げたが、取り敢えず草壁が続きを話し始めたので耳を傾ける。



「まあ、お姫様役でも良かったんだけどね!」



 良かったのかよ。



 ツッコミどころが多すぎて、春人の感情の振り幅が激しい。しんみりすれば良いのか、草壁らしいと笑えば良いのか。取り敢えず、草壁らしいと納得することにした。


「要は、ただ助けを待つお姫様にはなりたくないと思ったのさ!」

「……助けを待つ?」

「そうさ! 昔の簡単な物語だと、よく助けを待つお姫様を救い出し、めでたしめでたし、だろう? そうじゃなくてさ、頑張って助けに来てくれる勇者のためにも、お姫様だって何とか自分なりに戦って、もしその過程で勇者が困ることがあったら自分なりの方法で助けになりたい。そういうのになりたかったんだよ」

「……」

「昨今は、そういうお姫様の物語も多くなってきているけどね! とにかく、私は助けを求めていたり、困っている人がいたら、そういう人達を助けられる勇者になりたかったのさ。あ、戦隊ヒーローものとかも好きだよ! テレビや映画もよく見るさ」


 左手を腰に当て、右手で本を持つ様に解説する彼女に、春人は妙に納得してしまった。なるほど。彼女は確かにそういう傾向がある。

 春人の心を救ってくれたことはもちろん、ゴーたんショップでの一幕だって、春人を守る様に立つ背中はカッコ良かった。それに、将来の夢が救急救命士か総合診療医というのも、一貫している気がする。



 彼女は、昔から彼女としての道を真っ直ぐ突き進んでいるのだ。



 また一つ彼女のことが知れて、眩しいと同時に苦しくなった。どうして彼女はどこまで行ってもカッコ良いのだろうか。春人は一生敵わない気がする。


「そっか。……えっと。つまり?」

「ああ、私の好きなものかい? それは須藤君だよ!」

「答えになってない……」

「ついでに、目下の目標は君をお姫様抱っこすることさ! 任せたまえ! 豪勢にやるからね!」

「いらん! いい加減諦めてくれよ!」


 叫んでからがっくしと机に突っ伏すと、「そんながっくりした須藤君も最高だね!」とうっとりされてしまった。甘い顔でささやかないで欲しい。心臓にも悪いし、頬が熱を持ちそうだ。



「おい、須藤!」



 何だかんだと騒いでいると、クラスの入り口から佐藤が手を振って呼んできた。


「何だ?」

「誰か呼んでる。女子」


 瞬間、春人はぎくりと心が強張った。顔も表情が固まったのが自分でも分かる。

 だが、行かないわけにはいかない。ちらりと草壁や親友が視線だけを動かしてきたのが気になったが、振り切って入口へと向かう。

 すると、廊下には二人の女子が待ち構えていた。一人は内向的そうな女子でうつむいており、もう一人は彼女の付き添いといった気の強そうな感じの女子だった。


「えーと……、誰かな? 俺に用事だって?」

「あのさ。放課後、学校の裏庭に来て欲しいんだけど」

「――」


 瞬時に悟る。



 これは、告白だ。



 春人の質問に答えたのは気の強そうな女子の方で、もう一人の方は更に俯いて顔を隠してしまった。用事があるのは後者の方だろう。

 だが、今はあまりそういう事態に陥りたくない。


 何故だろうか。


 理由は分からないまま、けれど春人は緩く首を振った。


「ここで言えないこと? 放課後は、用事が」

「すぐ終わるから! お願い。来て下さい」


 最後は丁寧語で頼まれてしまった。かたくなに用事を言わないあたり、確定だ。

 気が重たかったが、相手に恥をかかせるわけにもいかない。裏庭できちんと断ろうと心に決めて頷いた。


「分かった。……放課後」

「ありがとう! じゃっ」


 軽く手を上げて去って行く女子に、最後まで俯いていた女子。

 はあっと細く溜息が漏れた後、横を向くと、ばちっと佐藤と目が合った。

 何か言いたげな強い視線なのが気になったが、この前彼には何故か不機嫌に怒られたばかりだ。あまり不用意なことを口にして同じことになりたくない。今は、これ以上気持ちを落としたくなかった。



「やあ、須藤君。何かあったかい?」

「ああ、……。……草壁さん。放課後、先に帰っててくれるか? 用事が……」

「もちろん! 待っているとも! 夜になって待ちぼうけを食らおうとも、我が愛しの須藤春人のためにカラスの声と共に待とうではないか!」



 元気溌剌と親指を立ててウィンクする草壁に、春人は笑おうとして――出来なかった。何だか彼女にひどい不義理を働いた気持ちになる。

 別に、彼女は恋人でも何でもない。特に気後れする必要はないはずだ。

 それなのに、何故だろうか。



 彼女以外の口から、「好き」という言葉を今は聞きたくなかった。


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